京都大学特別教授の本庶佑先生が、遂にノーベル生理学・医学賞を受賞されました!
本庶先生は、私が国会議員時代から科学技術政策についてずっとご指導をいただいている恩師であり、元京都大学総長の井村裕夫先生、iPS研究所長の山中伸弥先生とともに最も敬愛する研究者のお一人です。
癌の画期的な免疫療法開発に道を開かれ、ノーベル賞受賞はもはや時間の問題とされていましたので、ここ数年は発表が近づくたび、心臓が締め上げられるような気持ちで吉報を心待ちにしていました。
ですから10月1日夕刻、スマホで受賞を知った瞬間は街中にもかかわらず、「ヤッター!」と思わず声を上げガッツポーズしてしまいました。
ノーベル賞を授与されるほど偉大な研究活動を続ける一方で、本庶先生はいつも日本の科学技術や医療の未来、つまりはこの国の行く末そのものを慮られていて、日本の科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議などでも多大なる尽力をして下さいました。
国会や自民党本部の会議でご一緒するたび、歯に衣着せぬ言い回しで、目の前にいる官僚や大物議員にビシッと直言下さり、当時、正論のみの徒手空拳で科学技術政策に取り組んでいた新人議員の私は、何度も助けていただきました。
そんなご縁もあって、現在、本庶先生には私が主催する政策研究会の発起人をお引き受けいただいており、4年前には会主催のセミナーでご講演もいただきました。
「日本の医療の未来」という演題でお話下さったのですが、前半は超・少子高齢化社会を迎え必至である、医療・介護費の増大による国家財政の破綻を食い止めるため、「先制医療」の実現をはじめとした様々な医療システム改革を提言され、後半は、まさに今回ノーベル賞を受賞された「がん免疫療法」についてお話下さいました。
この講演が開催されたのが2014年5月で、先生の研究成果により誕生したがん治療薬「オプジーボ」がメラノーマ(悪性黒色腫)に対する保険適用薬として日本で認可されたのが同年7月のこと。
ですから、当日の会場で「オプジーボ」という画期的新薬やがん免疫療法についてご存知の方は皆無に等しく、講演が進むに連れ驚きと感動が会場を次第に満たして行くのを肌で感じました。
講演が終わるや否や、最前列で耳を傾けてらっしゃった元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏が本庶先生のもとに駆け寄り、「こんなに素晴らしい治療法が開発され、しかもそれを発見したのが日本人だなんて。なんて誇らしい!」と、上気した面持ちで感激を伝えてらっしゃいました。
オプジーボはその後も適応拡大が認められ、現在では6種類のがん治療薬として認可され、更に3種類のがんで申請が行われていますが、実はがんの治療薬はがんの種類毎にそれぞれ治験を行い承認申請を行わなければなりません。
臨床試験には最低でもそれぞれ数十億円という巨費がかかりますから、承認まで膨大な経費と時間がかかってしまい、助かる命が助からずに終わってしまったり、薬価が押し上げたりという結果になっています。
オプジーボも発売当初は患者1人あたり1年で約3500万円もかかる高額薬として話題となり、これでは医療保険制度に重大な悪影響を及ぼすということで政府が値段を半値以下に切り下げましたが、薬が使えるがんの種類が増えればそれだけ需要が増え、価格も下がることが期待できます。
本庶先生が発見した「PD-1」を活用したがん治療薬は、免疫細胞のブレーキ役であるPD-1にがん細胞が働きかけられないよう結合をブロックするという仕組みなので、この原理が同じである以上、がんの種類別に治験を行う必要はないように思われます。
本庶先生もそのことをおっしゃられていて、治験そのもののあり方の改革が急務であることを痛感させられます。
さて、治験の改革以上に本庶先生が憂いておられるのが、基礎研究を担う若手研究者の研究環境悪化です。
オプジーボについても、「僕は1円も要らないから、ロイヤルティー(特許権への対価)を全額投じて、基礎研究に取り組む若手研究者を支援するファンド(基金)を京大に作りたいんだ。」と常々おっしゃっていました。
ただ、研究成果の知的財産権が帰属する京都大学が、製薬会社である小野薬品工業と契約を結ぶ際、ロイヤルティーの比率を大変低く設定した契約書にサインしてしまったため、このままでは京大にロイヤルティーがほとんど入って来ないということがわかりました。
そうした中、本庶先生はご自身で国際弁護士を探され、小野薬品工業とはもちろんのこと、その提携先である海外の大手製薬会社とも長年に亘り交渉を続けておられます。
今回、ノーベル賞の賞金もそのファンドに入れることを既に発表されていますが、ノーベル賞発表を受けて株価も急反発した製薬会社が、基礎研究振興や若手研究者育成のため、心ある決断をしてくれることを願ってやみません。
それにしても今振り返ると、本庶先生や井村先生と総合科学技術会議などで一緒に仕事をさせて頂いた2000年頃が、日本の科学技術の頂点であったことを実感します。
昨年、英科学誌『ネイチャー』に、日本の科学研究がこの10年間で凋落の一途をたどっていることを指摘する特集が掲載されました。
論文データベースScopusによると、2015年までの10年間に、世界中では論文数が80%増加しているのに、日本からの論文は14%しか増加しておらず、特に、コンピューターサイエンス、生化学・分子生物学、きわめつけは日本のお家芸であり今回のノーベル賞を生んだ免疫学で、低落傾向が顕著なのだそうです。
2002年頃から日本の論文国際競争力が低下し始めていて、13年には人口あたり論文数が世界35位、先進国ではもはや最低になってしまっています。
日本の研究力低下は単なる論文数の不振にとどまらず、論文の質を示す一流雑誌への掲載数も低下、また日本の研究者が参加する国際共著論文の比率も続落、さらにはかつてトップクラスだった論文引用数も世界10位に落ち込むなどと、27ある指標のどれをとっても衰退していることを示しています。
2004年の国立大学独立法人化以降、毎年1%(22年からは1.3%)ずつの予算削減が実施される中、日本の公的研究費の総額も削減され、基礎研究をめぐる環境悪化は今や限界に達しています。
ちなみに、世界中が研究費を増額している中、わが国の科学技術予算は、2001年からほぼ完全に横ばい、大学院博士課程への進学者は2003年をピークに下降線をたどっています。
もちろん研究予算の削減以外にも、大学の常勤ポストについている教員の高齢化や、日本の若手研究者にはPI(Principal Investigator:研究室主宰者)になる意欲が高くないことなど、多くの問題が指摘されています。
実は昨年のノーベル賞受賞者である大隅良典先生も、基礎研究を振興するための財団「大隅基礎科学創成財団」をご自身のノーベル賞の賞金を基盤に立ち上げておられ、ささやかですが私も支援をさせていただいています。
是非、今回の本庶先生の受賞を契機として、こうしたノーベル賞受賞者の皆さんが手を取り合い声を揃えて、日本の基礎研究や若手研究者育成の振興を、国や世論に訴えて下さることを心の底から切望しています。