PRESENTED BY 西川産業

室町時代から450年続く老舗企業が「金のふとん」を作ったわけ

創業450周年を迎えた西川産業。西川の450年と、その時その時で、日本では何が起きていたのかをざっと振り返ってみよう。
|

な、なんだ、この金ピカのふとんは……?

え、値段は450万円相当……?

Open Image Modal

この金のふとん、西川創業450周年記念「西川大感謝祭 特別企画」のプレゼントキャンペーンのために1組だけ制作されたもの。アイスランドやグリーンランドに生息している野鳥のアイダーダッグ羽毛と、中尊寺金色堂や西本願寺などの重要文化財の修復に使われた「箔座」の金箔をふとんにあしらった、これ以上の贅沢な睡眠は味わえないのではと思えるほどの逸品だ。

※西川グループは東京西川・西川リビング・京都西川・日本橋西川・心斎橋西川の5社からなる

450万円相当という破格の値段も、創業450周年をきっかけとしたもの。しかし、一口に450年と言っても、西川が創業した当時は……なんと室町時代。

西川の450年と、その時その時で、日本では何が起きていたのか。ざっと振り返ってみよう。

---

時は1566年。

商人の国・近江に生まれた西川仁右衛門は19歳にして蚊帳や生活用品の販売を開始した。室町時代末期、日本は戦国の世と化し、風雲児の織田信長が6年前に桶狭間の戦いで今川義元を破り、天下統一の野望を着々と進めていた。

故郷の近江八幡に豊臣秀次による「楽市楽座」政策が発表され、商売の自由がかなった直後に出店した仁右衛門の先見の明は注目に値する。

1615年、大坂夏の陣。徳川家康は大坂城を攻略し、政権は豊臣氏から徳川氏へ完全移行したこの年、西川家はいち早く徳川幕府の首都、江戸に目をつけ、日本橋一丁目に支店を開いた。そして二代目の甚五郎が萌黄色に染めて紅布の縁をつけたモダンなデザインの「近江蚊帳」を販売し、人気商品となった。

Open Image Modal

Open Image Modal

西川家は他業種への進出、企業合併にも積極的だった。1737年、老中田沼意次による積極財政の時代、五代目利助は経営不振に陥っていた江戸・京橋の弓問屋・木屋久右衛門の店を買い取り、京都で製造される弓の江戸販売を独占することとなった。重商主義的な政策を推し進める田沼意次時のさなかで、世の中は華やかであったが、全国各地で災害が多発した。

そこで西川家は、不時の出費に備えるための工夫として、積立金制度である「除銀」の制度を整えた。また、現代のボーナスにあたる「三ツ割銀制度」を設け、店員のモチベーションを向上させ、売上向上に貢献した。

Open Image Modal

Open Image Modal

しかし、江戸時代も末期となると、1855年の安政大地震で江戸支店の蔵が大破し、1866年幕府軍の長州藩征伐のために御用金千八百両を上納するなど、多くの商家はこうした幕末の無理な御用金がたたって倒れている。しかし、西川家はこの災難に遭いながらも、いよいよ営業の基礎を確固たるものにしていった。

そして1867年、幕府による大政奉還で江戸時代は終焉し、明治維新の幕が上がる。西川家は激動の変化を乗り越えるべく、1876年に大阪店(現西川リビング)を開設。1878年には、支店による一部商品の「現地仕入れ」によるコスト削減を実現させ、激化する価格競争を乗り切った。

Open Image Modal

Open Image Modal

その集大成として、1887年、西川はそれまで自家製作が常識だった「ふとん」の商品化に乗り出す。季節商品である蚊帳の売上が冬に減少するのは当然であり、この季節に集中するふとんの取り扱いを開始したのは、経営の安定という点で大きな意味があった。

またこれは、生活必需品の商品化拡大という新時代の動きをいち早く見通したものであった。

順調に進んだ西川の成長も、大正時代になり、第一次世界大戦後の恐慌、そして関東大震災で完成したばかりの東京つまみだな店が焼失するなどの悲劇に見舞われた。十二代目は着の身着のままの被災者たちが寝具を欲している状況を乗り切るべく、「これは天災である。1日も早く開店して、顧客に対しての利便を図るようにしよう」と、いち早く寝具類の販売、店舗再建に踏み切った。

Open Image Modal

Open Image Modal

やがて昭和時代を迎え、1929年の世界恐慌をきっかけに日本は軍拡、戦時体制へと向かう。西川は上海現地軍に蚊帳5万張を納入したり、南満州鉄道から畳表20万枚の注文を受けたり、満州国の国民服を一手に受注したりするなど、物資、物価の統制が厳しくなる中、商道を守りぬいた。

Open Image Modal

Open Image Modal

やがて太平洋戦争の終焉を迎え、1941年から1951年まで続いた繊維製品の配給制が廃止された。西川は増大する寝具の消費に応えるべく、1958年 寝具革命と呼ばれる「合繊わた」が誕生する。軽くて温かく打ち直しを必要としない手軽さなどが好評を博し、「寝具革命」と絶賛された。

そして十四代目は、健康志向のニーズに対応した商品政策と販売戦略を推進し、「質のよい睡眠のための寝具開発」が西川グループ3社の大きなテーマとなったのである。

1984年には業界初となる「日本睡眠科学研究所」を設立し、大学教授と連携して睡眠を科学する研究に乗り出し、環境による睡眠状態の変化や寝床内気象※などの観察・研究を経て、商品化へとつなげていった。

※身体と寝具の間にできる空間「寝床内」では、温度33±1℃、湿度50±5%(RH)が理想的な睡眠環境とされる。

450年もの間、西川グループが日本の近世、近現代の荒波を乗り越え続けられたのは、「伝統とは革新の連続」とらえ、つねに創意工夫とチャレンジを繰り返し、先進的な商品開発に乗り出すことをためらわなかった企業姿勢にある。その根底には、近江商人の心得である「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の精神を受け継ぎ、革新と共に危機をチャンスに変えて発展してきた歴史がある。

450周年記念の感謝を込めて制作する「金のふとん」には、そんな西川グループの長い長い歴史の積み重ねが投影されている。

---

この常識破りのふとんを制作した意図はどこにあるのか。450周年大感謝祭事務局で、東京西川広報担当の須藤健二朗さんに話を聞いた。

「450周年大感謝祭を開催するにあたって、西川グループとしてお客様に感謝を込めてできることは何かを考えていました。たまたま、金箔の製作を行っている箔座さんとお話していた時に、金は昔から「身を守り、幸福を呼ぶ」といわれていることを聞き、感謝祭事務局の中から『だったら、金で包まれて寝てみたくないか?』という声が出てきて、金のふとんというアイデアが生まれたんです。

「明日の活力を生むためには良い眠りが欠かせません。金に包まれて眠ることで『明日また頑張ろう』という気持ちになっていただければありがたいですね」

450周年という節目を迎えた西川グループが目指すものは、伝統ある歴史の中で繰り返してきた「革新し続ける」精神を加速させることだと須藤さんは語る。

「450年の節目に、さらに多くの方々に眠りの重要性を知って頂きたいと思っています。人生の3分の1は睡眠、だからこそ眠りの質を高めることが重要であり、西川グループはより多くの方々に質の高い眠りを提供するよう努めております。寝具が日々進化していることを知っていただければ、眠りで日々の生活が次の日からでも変えられることを実感できると思うのです。」