正しい情報を伝えることが、遺族の力になる――日航機墜落事故で9歳の息子を失った母・メディアと向き合い続けた30年

風化を防ぐカギは「共有」
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520人が死亡、単独の航空機事故としては史上最悪となった日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で30年。この事故は、これまでニュースやドキュメンタリー、書籍、映画など様々なかたちで多くの人々に伝えられてきましたが、こうした「情報」の中にはいつも、あの日突然、大切な人を失ってしまった遺族の存在がありました。

 次男の健君(当時・9歳)を亡くし、事故後に遺族で立ち上げた「8・12連絡会」の事務局長として膨大な数の取材に対応し続けてきた美谷島邦子さんに、「情報」そして「メディア」と向き合い続けた30年を振り返ってもらいました。

美谷島邦子(みやじま・くにこ)

1947年生まれ、東京都在住。1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故で次男の健君(当時・9歳)を亡くす。被害者家族でつくる「8・12連絡会」の事務局長を同年12月の発足時から務める。著書に、「御巣鷹山と生きる」(新潮社)など。「8・12連絡会」発行の文集「茜雲」、会報「おすたか」などの編集も担う。遺族のほか日本航空や事故の関係機関、報道機関などに毎号配布している会報「おすたか」は2015年夏、102号を迎えた(参考:「家族のようにつないだ」日航機遺族の会報、100号に - 朝日新聞/2014年8月12日)。

※この記事は2015年8月12日に配信された記事です。

正しい情報が、遺族の力になる

――取材を受ける一方で、遺族という立場から、会報などを通じて自らも情報を発信し続けてこられたと思いますが、30年を振り返ってみて。

 今でこそ「被害者支援」という言葉がよく取り上げられるようになりましたけれど、30年前という時代は、私たちが声をあげないかぎり、理解してもらえないことがあまりにも多すぎたんだなと思います。事故があった当時は、私は普通の主婦でしたが、事故をさかいに「あたりまえの日常」がなくなって、手探りで連絡会を始めて情報を発信するようになって......。事故の前にあった「あたりまえの日常」がどれだけ大切か、その大切さを知っているからこそ、情報発信をしないと忘れられてしまうという気持ちでした。今振り返って思うと、私たちじゃないと発信できないことがあったんだな、と思います。

――情報を伝える環境や手段も、時代の流れとともに変化してきました。

 30年で、本当に(情報や伝え方を取り巻く環境は)変わりましたよね。30年前は、携帯電話は普及していなくて、インターネットもなくて、ようやくワープロがあったような時代。当時はこういった(紙で情報をまとめる)手段でしか、遺族が情報を共有・発信する手段がなかったんですね。会報も、出始めた当初は手書きでしたから(上の写真)。遺族も膨大な数が全国に散らばっていますので、連絡会を発足するときも、新聞に載っている遺族の住所から104で電話番号を問い合わせたり、手紙を送ったりして、連絡をとっていました。当時は、遺族の住所が何丁目・何番地まで新聞に掲載されていた時代でしたから。

 会報では、これまで遺族から寄せられた事故に対する様々な意見や遺族へのアンケート結果を数多く掲載してきましたが、遺族の中でも右から左まで、さまざまな意見があります。どちらかにも偏りすぎず、さまざまな意見を取り扱った上で、事務局としてはなるべく真ん中の部分を見つけていきながら前に進んできました。

――遺族として世の中に情報を発信しつづけるとともに、これまでメディアからの膨大な数の取材に対応されてきました。

 これまでメディアに傷つけられることは数多くありました。一方で、やはり私たち遺族だけがいくら頑張っても、世の中に伝わらないことってあるんです。新聞なり、テレビなり、ネットなり、メディアが"正しい情報"を伝えてくれることが、それが私たちにとっても力になるんですね。自分が取材を受けて話して、記事になったときに、言いたかったことが行間にいっぱい詰まっていて......「また一歩前に進んでみようかな」と思うことは多くありました。30年前からお付き合いのある記者さんもいて、そうしたずっと事故を追いかけてくれる方と番組をつくることもありました。

 事故から15年目くらいでしょうか、事故後はじめてテレビ局の取材を受けたとあるご遺族がいて。旦那様を亡くされた方だったのですが、ある日思い切って取材を受けてみた際に、事故後からずっと開ける勇気のなかった旦那さんのスーツケースをはじめて開けることができて、それを機に「再出発できたと思えるようになった」ということがあったそうです。自分の力ではどうにもならないことはあるけれど、取材を受けることによって、勇気や力をもらえた、という取材は過去にも多くありました。「悲しみの中にいる人の悲しみを理解して、一緒に泣いて、寄り添ってくれる」という体験を提供してくれること。それは取材のすごさだなと、思いますね。

取材で重要なのは「コミュニケーションとプロセス」

美谷島さんの次男・健君の遺体の身元は、現場から発見された右手で確認された。

――メディア取材を通さなくても、今はインターネットで自分から発信することが簡単にできるようになりました。取材という第三者の目を通して発信するからこそ伝えられることって、あるんでしょうか。

 あると思いますよ。自分達がまず情報を投げかけて、それに対して記者さんと話し合ったり、違う視点を感じたりして、気がつかなかったことにこちらが気づかされて、それをさらに発信することもできます。(取材する側と取材される側の)コミュニケーションが大事だと思います。

 テレビも新聞も、社内である程度のプロジェクトを組んで取材されているので、企画の方針は取材をはじめる前からある程度固めてから取材にこられます。ですが、取材を進めるうちに、「よくよく話をきいていたら、この企画じゃないほうがいいと思った」と途中から企画の方針が変わったケースも過去にはありました。そういうコミュニケーションや、プロセスはすごく大事だと思います。私たちからすれば、願わくば、事故現場の御巣鷹山に登って、(JALの)安全啓発センターに行って、そこにあるものを見て、感じて、足で情報を稼がなければ、発信することはできないんじゃないかなと思います。

 私も事故直後に連絡会ができるまでは、それまでの人生でマスコミと接触したことなんてなかったですから、声をかけられることが本当に怖かった。取材する側にとっても、マイクを突き出して、インタビューすることって、難しいことだと思います。「そこにいる被害者たちの思いにいかに自分が近寄れるか、どう感じられるか」という気持ちを持つことは、(取材する側にとって)ある意味自分自身を見つめることにもなるんじゃないかな、と思いますね。

――この30年でメディアを見続けてきて思うことは。

 メディアも、これまでの30年の経験を積み重ねて、考え方や見方が変わってきているんじゃないかな、と思うことはありますね。30年前、8・12連絡会は「補償交渉の窓口にはならない」と決めましたが(参考※8・12連絡会の趣旨/昭和60年12月20日 - 公式サイト)、それを発表したときに「じゃあ連絡会って一体何のためにやるのか」と言われたことがありました。当時は、遺族会というのは「補償交渉のための団体」「お金が欲しいからまとまって行動する団体」という見られ方しかなかったですから。

安全は、自分で「選んでいくもの」

――事故や災害を風化させないためには、そうしたニュースを自分ごととして読者に感じてもらうことも一つのポイントになるかと思いますが、「ニュースが自分ごとになる」ためには、何が必要なのでしょうか。

 遺族の姿を単純に「悲しみの涙を流している人たち」として認識するだけでは、関係のない人にとっては他人ごとになってしまうと思います。でも基本的には安全や平和というものは、誰もが願っていることですよね。東日本大震災があって、いまは過去に比べてそうした「いつ自分に降りかかってくるかもしれない被害」を意識している人は増えていると思います。そうした人間の心の中の願いに対して、「どうしたら防げるのか」「何が大事なのか」ということを、できるだけわかりやすく、相手に伝わる言葉で訴えていくことが求められるのではと思います。

 安全って、これからはそれぞれ、個人が「選んでいくもの」だと思っています。個々人が「選ぶ」ためには、その選ぶ判断をするための材料として、正しい情報、質の高い情報、というものが必要なんだと思うんです。これから先、そうした「正しい情報」「質の高い情報」を得るためのカギは、インターネットだと思います。インターネットに溢れる情報は玉石混交ですよね。私もよくインターネットを利用しますが、御巣鷹の事故について検索してみると、真偽のわからない情報も嫌というほど目に入ってきます。そういう情報の洪水の中で、どう正確な情報を届けていくか、これからは問われているのではないかと思います。

――Yahoo!ニュース トピックスでも、関連リンクは編集者が人力で探してリンクしていますが、新人社員には一定の訓練期間を設けています。私たちにとっても、さまざまな情報の中でどう質の高い情報を届けていくか、ということは日々向き合わなくてはいけない課題です。

 インターネットの中には、右でも左でも、さまざまな情報があっていいと思うんです。ただし、情報を受け取る側は、それを自分で判断して選択できるようにならないといけないと思いますし、正しい情報をきちんと届ける、という分野に(そうした情報を扱う)企業はしっかり取り組んで欲しいと思いますね。

風化を防ぐカギは「共有」

――事故を知らない世代もさらに増えてきました。

 私たちの世代というのは、ブログなんて書いても、「自分の日記なんて外に出すもんじゃない」と思う人もいます。もちろんそういった意見も同意できる部分もあるんですけど、これからの時代、人がふっと感じたことや見たことを発表する場、共有する場というのはもっともっと増やしていいのかなと思いますね。遺族は、恨みつらみを持つだけの存在だけでは終わってはいけないと、私は思っていますし、人に伝えて共有して、「じゃああなたはどう思う?」と、次の世代につなげていかなければいけない。

 たった一つの事故ですが、そこから共有して考えを広げていくことはいくらでもできます。事故を知っている世代が、事故を知らない世代と情報を共有する。そうすることで、またそこからいいものが生まれてくるんじゃないかな、と思っています。