21世紀に入って以降のサブサハラ(サハラ砂漠以南)アフリカの経済成長が、資源価格の高騰を引き金としていたことは疑いない。なかでも、およそ10年にわたって続いてきた原油価格の高止まり傾向は、アフリカの既存の産油国への資金流入量の増大をもたらしただけでなく、アフリカ各地で新規油田の開発を促進した。1990年代後半のサブサハラの産油国は、ナイジェリア、ガボン、アンゴラ、スーダン、赤道ギニアの5カ国であった。商業生産に向けて開発進展中の国も含めれば、今はこれにナミビア、チャド、ケニア、ウガンダ、ガーナ、コートジボワール、モーリタニアなどが加わる。モザンビーク、タンザニアでは天然ガスの開発も進んでいる。
周知の通り、その原油価格の下落が進んでいる。原油価格の国際指標の1つである英国産北海ブレント先物相場は11月13日、年初来最安値の1バレル77.92ドルを記録した。今年6月19日の年初来最高値(115.06ドル)と比べると、約5カ月間で3割以上の下落である。原油高に依存して成長してきた経済が、原油安の影響を受けることは必然である。1980年代に原油価格が急落した時、オイルブームに沸き立っていたサブサハラで最大の産油国ナイジェリアの経済は崩壊状態に陥った。それから30年の時を経た今回も、原油価格がこのまま下落の一途を辿れば、国際収支と財政の悪化に直面する国が出てくるだろう。
21世紀の今、新興国の成長が鈍化し、欧州や日本の経済が不振を極め、世界経済の先行きに不安感が漂う中で、アフリカ経済だけが高度成長を続けることはあり得ない。今回の原油価格の下落は、過去10年以上続いてきたアフリカ経済の高度成長の「終わりの始まり」になっていくのかもしれない。
「1バレル=77.5ドル」を想定
ただし、今のアフリカ経済が、1980~90年代と比べて格段に強くなっているのも事実だ。
ナイジェリアの石油生産は1956年に始まった。近年の産油量は概ね日量200万~235万バレルの間を推移している。200人を超える少女を拉致するなどのテロ行為を続けているイスラム主義武装組織「ボコ・ハラーム」の活動地域はナイジェリア北東部だが、産油地帯はボコ・ハラームの活動域からは遠く離れた同国南東部のニジェール川の河口周辺である。
ナイジェリアは現在、毎年の輸出総額の90~95%、政府歳入の70~80%を原油収入で賄っている。つまり、原油価格の動向が貿易と国家財政を直撃する構造であり、今回の価格下落がナイジェリア経済に負の影響を与えることは間違いない。
ナイジェリア政府は毎年、次年度の予算編成に当たり、原油の価格を推定して予算を組んでいる。2014年度予算4兆9620億ナイラは、原油1バレル77.5ドルを推定して編成されている。したがって、大雑把にいうと、実際の原油価格が1バレル77.5ドルを上回っている限り、財政はなんとか黒字を保つことができるが、この価格を下回ってしまうと国庫は赤字になってしまう。先述したとおり、英国産北海ブレント先物相場の11月13日の価格は年初来最安値の1バレル77.92ドルだった。つまりナイジェリアの今年度予算は今、収支の均衡点に近づいているのである。
折しもナイジェリアは今、政府が上院に2015年度予算案を提示し、審議を仰ぐ時期にある。来年度予算案の編成では当初、1バレル78ドルを前提として予算を組んでいた。しかし、原油価格の下落基調を受け、政府は11月に入り、1バレル73ドルを前提とする予算案に急遽修正した。
「非常時」に備えた女性財務大臣
先述したとおり、現在のナイジェリアの政治経済は1980年代と違って格段に強くなり、不十分ながらも原油価格下落に対応する態勢を整えている。その1つは、2004年に創設された、原油価格が当初の想定を上回った場合に資金をプールする余剰原油口座(ECA)の存在である。ECAには現在、約41億ドルの資金がプールされており、原油安の進行で財政が赤字になった場合、政府はこれを取り崩して急場をしのぐ。このECAとは別に、ナイジェリアには11月11日時点で約377億ドルの外貨準備もある。
ECA創設の立役者は、かつて欧米の主要経済誌が選ぶ「世界最高の財務相」の座に輝いた元世界銀行専務理事のナイジェリア人女性、ンゴジ・オコンジョ=イウェアラ財務大臣だ。オコンジョ=イウェアラ氏はオバサンジョ政権の財務大臣だった当時、ナイジェリアが抱えていた巨額の対外債務を欧米ドナー諸国との交渉の末に帳消しにする一方、ECA創設のような数々の改革を実現し、ナイジェリア経済繁栄の基礎を築いた。その後、一度は閣僚を退任したものの、ジョナサン現大統領に請われて再び財務大臣に就任し、今回の原油安への対応を陣頭指揮している。原油価格下落という将来の国家の「非常時」に備えて10年前に数々の改革に着手していた点は、さすがというほかない。
「増えていた」GDP
オイルブームに沸いた末に経済崩壊へと転落した1980年代とは異なる、もう1つの大きな変化は、過去10年間の経済成長によって、ナイジェリアの産業構造が意外にも多角化されていることだ。経済が石油産業への全面依存でなければ、原油安が経済全体に与える影響を最小化し、事態をソフト・ランディングさせる可能性が高まる。
ナイジェリア政府は2014年4月、GDPを計算する際の基準指標を従来の1990年の値から2010年の値に変更し、自国の経済規模を再計算してみた。その結果、驚くべきことが起こった。2013年の名目GDP総額が、再計算前の2920億ドルから5099億ドルへと、ほぼ倍増したのである。
世界の多くの国はGDPを数年おきに再計算し、より経済の実態に即した数値を求めているが、ナイジェリアは1990年を最後に再計算したことがなく、20年以上にわたって1990年当時の指標を用いて毎年のGDP総額を算出していた。1990年の指標にはIT、映画、通信、航空など近年目覚ましい成長を遂げた産業のデータは一切含まれておらず、2013年のナイジェリア経済の実態を反映したGDP総額を算出するには再計算が必要であった。
20年以上にわたって自国のGDP総額を過小評価していた事実も日本人には驚きだろうが、ともあれ、こうしてナイジェリアは今年、南アフリカの名目GDP総額3530億ドルを凌駕し、晴れてサブサハラ・アフリカ最大の経済大国の座に登り詰めた(より正確には、既に登り詰めていたことが判明した)。
「多様な税収基盤」を目指す
大事な点は、この再計算の過程で、旧基準では2013年の名目GDP総額の32.4%を占めるセクター別で最大の産業とされていた石油・ガス産業の規模が、実は14.4%に過ぎなかったことが判明した事実である。
他の産業に目を転じると、流通・小売りなどのサービス産業(17.5%)や金融・不動産産業(14.6%)の規模は石油産業を凌ぎ、IT産業は2008年の3.0%から2013年の12.2%に、製造業は2008年の2.4%から2013年の6.8%に拡大していることが分かった。
ナイジェリアの産業構造は、統計上は自国民も知らない間に多角化し、もはや石油産業の「一本足打法」ではなくなっていたのである。
問題は、2013年時点で名目GDP総額の14.4%にまで縮小した石油産業に、政府歳入の7~8割を依存している歪んだ徴税構造である。オコンジョ=イウェアラ財務大臣は10月27日付の英紙フィナンシャル・タイムズに「石油以外の歳入を増やさなければならない」と述べ、米コンサルティング企業のマッキンゼー社に徴税業務の大規模な見直し作業を依頼したことを明らかにした。同財務大臣は「多様な税収基盤によって、現状を切り抜けることができる」とも述べ、原油価格下落の危機を乗り切ることに自信を見せている。
体系的な税制の確立による政策財源の確保は、近代国家が着手すべき最初の施策の1つだ。原油安への対応の裏で、「世界最高の財務大臣」と評された女性による、祖国を真の近代国家にするための戦いが始まっているのである。
白戸圭一
三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主任研究員。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。
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(2014年11月20日フォーサイトより転載)