NHK『まんぷく』。 日本での「元祖インスタントラーメン」はチキンラーメンではなかったのか。

清川信治さんは、即席麺を安藤百福氏が発明したというストーリーについて「あれはファンタジー」と言い切りました。
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安藤百福氏の直筆署名がある契約書
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『南極料理人』(2009年公開)という映画をみた。面白かったのは、南極の基地に派遣され、世間から隔絶された生活にストレスをためた越冬隊隊員たちが、思い悩んだ末に死ぬほど食べたくなった料理がラーメンだったことだ。おにぎりでも味噌汁でもない。

隊員の1人が叫んだ。

「私の体はラーメンでできているんだ!」

笑える反面、切羽詰まった気持ちもよくわかる。ラーメンの原点は中華料理だが、すでに日本で独自の進化を遂げて、国民食の地位を確立している。そのことがこの映画からは伝わってきた。

ラーメンの国民食化。それはあるいは、日清食品の創業者・安藤百福氏が戦後に売り出したチキンラーメンの偉業であったかもしれない。そう考えても、あながち大げさではないだろう。

『南極料理人』が描いた時代よりはるか昔、1950年代に始まった初期の南極越冬隊が昭和基地に持ち込んだ即席麺があった。開発したのは台湾人だ。と言っても、安藤氏ではない。麺の名前もチキンラーメンではなく、「長寿麺」という別の即席麺だった。

「父が最初に即席麺をつくった」

大阪市阿倍野区の天王寺駅を訪れると、再開発の波が激しく押し寄せていた。多くの古いビルが取り壊され、駐車場になり、さらなるプロジェクトを待ち受けている。そんな天王寺の古い路地を進んでいった私は、突き当たりにある古いマンションの一室のドアを開けた。

玄関には、大きな木製の看板があった。「東明長寿麺本舗 東明商行食品部」。

この一室は「東明」という会社の本社で、現在の社長は清川信治さん(75)だ。「長寿麺」を売り出したのは、すでに他界した清川さんの父親、台湾出身の張國文さんだった。東明商行(現・東明)も、張さんが立ち上げた会社だ。

清川さんは事務室の押入れから、少し茶色がかった1枚の広告を引っ張り出した。そこには、こう書かれている。

「インスタント・ラーメンの元祖 即席えびラーメン(東明長寿麺) 南極越冬隊・ヒマラヤ遠征隊 アラスカ調査団 ほか各学術団体ご採用」 

日本での「元祖インスタントラーメン」はチキンラーメンではなかったのか。

清川さんは、即席麺を安藤氏が発明したというストーリーについて、

「あれはファンタジー。歴史はつくられる、と言うんでしょうか......。死人に口なしかもしれないけれど、事実は1つ。父が最初に即席麺をつくったという以外にありません」

と言い切った。

清川さんの父・張さんは、1917年に台湾の屏東県にある東港という町で生まれた。18歳のときに日本へ渡り、歯科技工士として働いた。戦後も日本に残り、まもなく阿倍野で「東明食堂」というレストランを開業。そこで「長寿麺」を売り出し、大ヒットしたという。

料理が上手だった張さんは、よく家族にも料理を振る舞った。清川さんが覚えているのは、小学生だったある日、張さんが母親や子供をそろって食卓につかせたときのことだ。

普通の料理が出てくると思っていたら、張さんが蓋をしたラーメンの丼を運んできて、「5分待ちなさい」と言う。5分後、蓋を開けてみると、ほかほかの湯気があがるラーメンが入っており、「美味しいだろう?」と語った張さんの誇らしげな表情が、忘れられないという。どうして即席麺をつくったのか聞かされたことはなかった。

張さんの死後に「発明」を強調

1枚の新聞記事のコピーを清川さんは見せてくれた。

「ブームに乗る簡易食品 食生活の改善に一役」という『日本経済新聞』の記事で、日付は1959年5月1日。「中小企業版」の特集記事として、即席ラーメンのことが紹介されている。

「昨年11月、大阪のH百貨店に初めてお目見得し、人気を呼んでいるのが、味付け不要という即席ラーメン。独特のラーメンに鶏肉、豚肉などのスープを濃縮し、調味料、ビタミンなどを加えたもので、そのまま熱湯に3分間入れるだけで食べられるというもの。試食実演で、夜食として適当だとPRした効果が現れてか、だんだん人気が人気を呼び、日に約2千食分売れるという」

企業名は特定されていないが、文中の即席ラーメンとは東明商行の即席麺のことであるという。張国文さんが大切に記念として保存していたものだ。

安藤氏が自著で「油熱乾燥法」という即席麺の製法を「発明」したと書いているのは1958年。こうした経緯をみれば、長寿麺が、同じ時期にすでに市中に出回っていたことは間違いない。

『実業界』という経済誌が1961年5月号で「インスタント食品ブームと即席ラーメン」という記事を掲載していた。張さんと主婦団体の人々が対談し、即席麺の日本の食文化への意義を語り合う内容だ。

その中で雑誌側は、「この即席ラーメン業界も今日では乱立気味ですが、この種類の食品の元祖として」と、長寿麺のことを紹介している。対談の中で張さんも「一番先に私が作り出したのですが、その当時(昭和33年秋ごろ)は即席という言葉も今日ほど流行しておりませんでした」と述べている。

安藤氏に特許を譲渡した張さん

清川さんは、自分の机から分厚い書類の束を取り出した。

そこには、多くの権利関係の書類が挟まれていた。「自分でも整理しようと思うのですが、ちょっと面倒で......」と、苦笑いする清川さん。私は、書類の束を1枚ずつ仕分けしながら、内容を精査していった。書類は、即席麺の特許に関するもので、張さんが取得した特許を日清食品に譲渡する内容であった。

何種類かある譲渡契約のうち、もっとも重要なものが1961年8月16日に結ばれている。書類の最後に安藤氏と張さんの署名押印がある。

書類によれば、張さんの特許は「味付乾麺の製法」というタイトルで、その譲渡に際して、安藤氏が張さんに2300万円を支払うことになっている。いまの価値に換算すれば数億円ぐらいになるとみられ、かなり大きな額のようだ。

すでに東明商行はエース食品など10社の在関西食品会社に即席麺を販売委託していたが、これら食品会社への製造に関わる「実施権」も日清側に継承すると定めている。

なぜ張さんは、特許を安藤氏に譲渡したのだろうか。

安藤氏の著書にはこの点について「類似品が乱立した」とだけ触れられている。清川さんもこう振り返る。「類似品がいろいろ出回って争いにもなり、父親も嫌気がさしたのでしょう。だから権利を安藤氏に譲渡したのだと思います」

すでに日本に帰化している清川さんら家族はこうした契約書の存在はまったく知らされておらず、張さんの死後、遺品の整理で金庫から出てきたのだ。

「おやじは小さいときは『おれが最初に作ったんだ』と自慢していましたが、だんだん話をしなくなりました。どんどん成長していく日清食品をみて口には出さないけれど悔しさがあったんでしょうね。ドラマでみんな安藤さんの『発明』を信じてしまうのが残念です」

安藤氏と張さんによる発売と特許申請のタイミングを整理してみよう。

安藤氏が「チキンラーメン」を売り出したのは58年の後半。これに対して、張さんが「長寿麺」を売り出したのは58年の前半からそれより前と見られる。特許出願も張さんが58年12月(味付乾麺の製法)で、安藤氏側の59年1月(即席ラーメンの製造法)より少し早い。実はほかにも、(上)で取り上げた「鶏糸麺」の名前で特許を同時期に出願した台湾人もいた。

つまり、この時期は、即席麺の市場は特許紛争も絡んだであろう「戦国時代」で、そのなかで最終的に勝ち残って特許も買い取ったのが安藤氏率いる日清食品のチキンラーメンだったのである。

びっしり書かれた製造法

清川さんの手元にあったもう1つの貴重な文書は、「即席ラーメン製造に関する注意事項」という長文の資料で、かつて張さんの部下だった黄天恩さんという台湾人が、1961年3月1日に書いたものだ。大学で化学を学んだ黄さんはラーメン製造の現場を担っていた人物で、最も「長寿麺」のことを知っていた。

手書きでびっしりと即席麺の製法が書かれており、これだけでラーメン史を振り返ることができる貴重な第1次資料である。

即席麺技術のもっともコアの部分にあたる「油熱処理工程」について、黄さんは麺の水分量を10%以下にすべきで、6%以下だと乾麺が割れやすくなると指摘。油の温度は130~135度、油揚時間は2分~2分30秒などと細かく描写している。

さらに、「この工程は麺の水分蒸発、麺に吸着させたスープの濃縮脱水、麺に油脂を添加して栄養を高める、という3つの工程を合わせもつ新しい味付け乾麺の製法である」と、即席麺の優れたポイントを誇らしげに堂々と述べている。

この文書を読めば、少なくとも東明商行なりに、自ら考え抜いた技術で即席麺を製造していたことが伝わってくる。

客観的な業績の紹介が必要

どちらが先か、という問題はそこまで重要ではないだろう。(上)でも書いた通り、油揚げ麺は、戦前戦後を通して、台湾で広く食べられていた。そして、58年前後の日本で、日清食品や東明商行など複数の台湾出身者が、ほぼ同時期に即席麺を売り出した。これは偶然とは思えない。

考えられる経緯は、即席麺の黎明期において、台湾出身者が故郷ですでに普及していた油揚げ乾燥麺の技法を日本に持ちこみ、事業として成功させるべくしのぎを削ったなかに、安藤氏も張さんもいた、という仮説がかなりの確率で成り立つと私は思う。

何をもって発明かという議論はあろうが、常識的には「いままでになかったものを作り出すこと」と理解されている。台湾南部や大阪での取材を通し、チキンラーメンについて安藤氏の「発明」という表現がしっくりこないことは、上下2回にわたった本稿を読んだ読者に伝わったのではないだろうか。

日清食品や安藤氏サイドも「発明」へのこだわりは置いておき、あくまで即席麺産業の発展への貢献を強調してはどうだろうか。即席麺は日本から世界に広がり、災害食や宇宙食としても人類に大きな貢献を果たしている。これだけ重要な食文化に成長したからこそ、国民的人気のあるドラマの主題となり、誰もがその成り立ちには関心を持っている。後世の人々の歴史的な検証作業に耐えうる客観的な業績の紹介が必要だ。

安藤氏は「人類は麺類」という言葉を残している。その見識の広さを「発明」問題でも見られることを願ってやまない。

野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

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(2019年2月1日
より転載)