NHK会長が頭を下げた6秒間と直後の「ドヤ顔」 謝罪放送から読み取れること

一瞬だけ見せた「ドヤ顔」と合わせて、籾井会長の謝罪放送が本当に誠意あるものだったのかは、今後の人事の動きも含めて、よくよく検証してみる必要がある。

4月13日(日)のNHKの自局PR番組、『NHKとっておきサンデー』。

ここで籾井勝人会長が出演して頭を下げた。計3回。

3秒、8秒、6秒と合計で17秒ほど、籾井会長が頭を下げる映像が全国に流れた。

スタジオに立ち、手を前に組んで登場して以下のコメントをカメラに向かって話した。

【女性アナウンサーと籾井会長 2人ショット】

(女性アナ)

始めに視聴者のみなさま方にNHK会長、籾井勝人より申し上げます。

【籾井勝人会長・1人のウェストショット】

(籾井) 

NHK会長の籾井でございます。

【3秒間 頭を下げる】

私が会長の就任会見で行なった発言などに対し、視聴者のみなさんからさまざまなご批判やご意見をいただきました。

会見は私には不慣れだったため、複数の議論がある事柄について、NHK会長の立場と個人の立場を整理しきれないまま、発言してしまった部分がありました。

公式の場で個人的な見解を述べたことは、

不適当、不適切であり、 発言を取り消しました。

【「公式の場で」のフレーズからカメラはじわりとズームインする】

国会審議の場で就任会見での発言や公共放送のトップとしての資質などについて、多くの質問を受け、

【ズームは籾井会長のバストショットで止まる】

視聴者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。

こうした事態を招いたことを反省し、深くおわび申し上げます。

【8秒間 頭を下げる】

【女性アナと籾井会長2人ショット】

(女性アナ)

視聴者のみなさまからは個人的な意見を放送に反映させるのではないかという心配の声も寄せられていますが、その点についてはどうでしょうか?

【籾井会長・1人バストショットで】

(籾井会長)

NHKの根幹は放送法です。

この中では公平、公正、不偏、不党などが定められており、会長の個人的な意見が入り込む余地はありません。

私の個人的な見解を放送に反映させることは断じてありません。

受信料として成り立つ公共放送として、何人からの圧力や働きかけにも左右されることなく、放送の自主、自立を貫きます。

【以下、NHKふれあいセンターを訪れる籾井会長の様子のVTR映像。会長の後ろに少なくとも6、7人の職員が随行している】

(籾井会長の声)

私は先日、コールセンターに足を運び、日々、視聴者のみなさんからお電話やメールを通じて寄せられる声にどのように対応しているのか、オペレーターから直接、内容を聞きました。

【営業センターの会議に出席する籾井会長のVTR映像】

(籾井会長の声)

また、受信料の収納活動を地域で担っている営業センターにも出向き、職員や訪問担当者から現状について、直接報告を受け、視聴者のみなさまの具体的な反応を確認いたしました。

【VTRには、新規同時口座率90%、再開同時口座率80%などという紙が貼られている。「みんなでつかもう日本一」などの標語が部屋に貼られているのも読める】

私に向けられている厳しいご意見とともに、公共放送への期待の大きさを実感し、NHKがみなさまに支えられてこそ、成り立っていることに思いを新たにしました。

【スタジオで籾井会長1人、ウェストショット】

(籾井会長)

今回、いただいたご批判やご意見。

真摯に受け止め、自らをみつめ直し、全身全霊で職責を果たしていくことをお誓いします。

みなさまの声を何よりも大切にし、公共放送の使命に基づいた、より良い放送とサービスをお届けすることで、これまで以上にNHKが信頼を得られるように、してまいります。

【6秒間 頭を下げる。再び頭を上げた後ややそっくり返って無言でカメラを見つめる】

テレビ映像というものは、話している本人の表面的な言葉だけでなく、表情や仕草などから「本心」まで透けてみえてしまう恐いメディアだ。

またカメラワークにまで、制作者側の「意図」も反映される。

カメラがズームインしているポイントを注意深く見ると、「不適当、不適切であり、発言を取り消しました」と言ってるところが目立つ。

うがち過ぎかもしれないが、会長がもっとも言いたいはずの「発言を取り消しました」という点を強調するようなカメラワークだとも読み取れる。

籾井会長の表情を注視していると、興味深い。

当初は非常にシリアスな表情でカメラを見つめて話している。

プロンプターというカメラの上で字が表示される装置に浮かぶ言葉を目で追いながら話しているのは明らかだが、なるべく「誠意」を表情でも示そうとしていた。

ところが、無事に最後まで話し終えたとたんに、そっくり返る。

おそらく、そっくり返るのは、この人のふだんの癖というか、地の姿なのだろう。

カメラに映った最後の表情も、いわゆる「ドヤ顔」のように感じられた。

すべて話し終えた、という瞬間に人の本音や本性が現れる。

テレビの制作者ならば、その瞬間を見逃さない。

ドヤ顔とは、「どやっ!」と勝ち誇った時などの優越感を示す表情だ。

その瞬間の表情は、緊張から開放された安堵のせいなのか、私にはそうしたものに映った。

そう感じたのは私だけだろうか。

NHKの制作者たちにはあの一瞬の「ドヤ顔」のような表情はどのように映ったことだろう。

加えて、国会などで追及されながら、この謝罪放送で籾井会長があえて触れなかったテーマがある。

「人事」については口にしなかった。

会長就任にあたって、すべての理事から「辞表」を預かった件については、国会でも焦点のひとつになったのに、いっさい釈明はなかった。

私の個人的な見解を放送に反映させることは断じてありません。

この言葉は、実際には、会長が直接的に介入しないということを意味しているに過ぎない。

しかし、実際には、会長の意を忖度する幹部が多くなれば、特段はっきりと言わなくても、間接的な形で、事実上「個人的な見解」を放送に反映させることは可能だ。

会長として、人事の話を謝罪放送で言及しなかったのは、深読みすれば「トップとして人事権は行使する」という強い意思の表れとも言える。

次の理事の人事が決まるのも近々だ。

一瞬だけ見せた「ドヤ顔」と合わせて、籾井会長の謝罪放送が本当に誠意あるものだったのかは、今後の人事の動きも含めて、よくよく検証してみる必要がある。

(2014年4月13日「yahoo!個人」より転載)