ダーイシュ(イスラム国)が国境まで迫ったトルコ南東部で活動を続ける日本のNGO「AAR Japan」の現場を訪ねる

2015年1月、混迷を極めるシリア情勢と隣り合わせで活動を続ける「 AAR Japan」の現場を訪ねた。
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過激派組織ダーイシュ(イスラム国)とクルド人民兵組織が、先日まで熾烈な戦闘を繰り広げていたシリア北部の国境の街コバニ。そこから約10kmのトルコ南東部スルチュ(シュリュジュと表記されることもある)市内で、シリア難民支援を行っている日本のNGOがある。

2015年1月、混迷を極めるシリア情勢と隣り合わせで活動を続ける「 AAR Japan[難民を助ける会]」(以後AAR)の現場を訪ねた。

■「爆撃音が聞こえるところで子供たちが遊んでいる」

トルコ南東部のシャンルウルファ空港に降り立つと、そこには見たこともないような広さの空が広がっていた。市内へ向かう車から見えるのも、白っぽい砂利と岩でできたなだらかな平地ばかり。車で30分走れば、人口80万人の都市にたどり着くとは思えない。時速100km近いスピードで飛ばす車内で「とんでもない所に来てしまった......」と思った。

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スルチュやシャンルウルファがあるトルコ・シリア国境沿いの地域。シリアのラッカは、ダーイシュが自分たちの"首都"としている街だ。

ここから国境沿いのスルチュ市内にある難民キャンプに向かうはずだったが、周辺の治安が悪化したため、あえなく断念した。そこで、難民キャンプで緊急支援を担当しているAARの現地駐在員に話を聞いた。(安全対策上、AAR職員の個人名は控える)

駐在員の方が見せてくれた写真に写っていたのは、スルチュから見たコバニの街並み。なだらかな丘に家が連なる穏やかな風景だった。しかし、スルチュにいてもコバニの方から空爆の音が聞こえる日もあるという。

スルチュには、紛争から逃れてきたシリア難民を受け入れるために市が設けた6つの難民キャンプが並んでいる。2014年末の時点で、約9800人のシリア難民が生活していると言われている。換気もままならない簡易テントからは、カビが生えたような匂いがするという。

「近くから爆撃音が聞こえるような場所で、難民の子供たちが遊んでるんです。国境のこっち側と向こう側では、まるで天国と地獄のようで不思議な感じがしますよ」と現地駐在員は語る。

AARは、これらのキャンプで食料や生活必需品の配付を行っている。現在配っているのは、小麦や米などに加えて、中東ではもはや必需品とも言える紅茶。難民家庭を一軒一軒訪ねて具体的なニーズを調べた結果、配付品に加えた。

最近では、ビタミン不足に陥りがちな子供たちのために、オレンジやリンゴなどの果物も配付している。「果物を差し出すと、子供たちがぱっと手にとってかじりつくんですよね。その様子を見ていると、支援活動をしている私たちも本当に気持ちいいです」と笑った。

■シリア難民の「日常を取り戻す」コミュニティセンター

AARはキャンプでの物資配付のほかに、シャンルウルファ市内で暮らすシリア難民を対象に、トルコで生活するために必要なトルコ語などの知識やスキルを教えるコミュニティセンターを現地NGO「Support To Life」と協同運営している。

オレンジ色のドアをくぐると、子供たちが階段を駆け上がる足音が聞こえてくる。6〜9歳を対象にしたアラビア語教室にお邪魔すると、幼い子供たちが拳を突き上げながらアラビア語のアルファベットを叫んでいた。「私の授業はとてもエネルギッシュでしょう」と誇らしげに語る先生も、紛争から逃れてきたシリア人だ。

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AARがSTLと共同で運営するコミュニティセンターの教室

現在、センターに受講登録しているのは約1600人。語学の他、ヘアメイクやダンスなどの講座もそろえている。また、小さい子供を抱えた女性たちも問題なく受講できるよう、保育園も用意されている。

ドイツ国際安全保障研究所によると、2011年4月~2014年9月までにシリアからトルコへ逃れてきたシリア難民の77%を女性と子供が占めている。その女性たちの中には、地元の人々と交流せずにほとんど家の中で暮らしている人が多数いると言われている。また、すでに4年が経過しようとしている紛争の影響で、ほとんどの子供たちが学校で教育を受けていないという。

こうした人々にとってセンターは、家から出て人と触れ合い、「日常を取り戻す場所」になっているとシリア人女性スタッフは語る。

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14歳以上を対象にした英語教室。受講者のほとんどが女性だ。

しかし、センターに通っている人々は、トルコにたどり着くことができたシリア難民のごく一部にすぎない。センターの運営を担当するAARの駐在員は、「自分たちの活動がシリア社会にどれほどの影響を与えられているのか考え込むこともある」と話す。

「でも、(コミュニティセンターのような)小さい場所でも、来てくれる人にとって心安らぐ場所を作るのはとても難しい。今は、どうやったら来てくれた人に『毎日来たい』と思ってもらえる場所を作れるか、どうやったら来てくれた人が安心して過ごせるか、ということに専念したい」と語る。

■日本発祥のNGOで唯一トルコに現地事務所を持つ「AAR Japan」

AARは1979年の発足以来、世界60カ所を超える国と地域で活動し、主に難民支援や障がい者支援、地雷対策を行なってきた。トルコでは、2011年に勃発したシリア紛争を受けて2012年にシリア難民の支援を始め、2013年からはシャンルウルファに事務所を構えている。日本発祥のNGOでトルコに現地事務所を持って難民支援活動を行っているのは、AARだけだ。

シャンルウルファには現在、国境からなだれ込んだ約60万人のシリア難民が暮らしているといわれている。紀元前からつづく豊かな歴史が息づく街だが、中心部にあるバザールの片隅には銃やナイフを売る武器屋が洋服屋などと肩を並べているという一面もある。ダーイシュのメンバーが日常的に街の中を行き来しているという説もあるそうだ。

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シャンルウルファ市内のバザールにある武器屋

AARの職員の宿舎では、夜になると手の空いている人がキッチンに立って食事を作る。戸棚の中には、日本から職員が来るたびに持参するというコンソメや昆布だしなど日本の調味料が並んでいた。

休日はどうしているのか現地駐在員に尋ねると、「特に行くところもないので、本を読んだり仕事をしたりしている」と話していた。

■162万人がなだれ込む「誰が入ってきているかわからない」

トルコ政府は、2011年3月にシリアで紛争が勃発したその1カ月後から、シリア難民に対して国境を無条件に開放してきた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の調べによると、2014年末までにトルコへ逃げてきたシリア難民の数は推計約162万人。神戸市の人口154万人を大きく上回る数だ。また、正式な難民申請をしていない人も多数いることを考えると、トルコ国内のシリア難民の数はさらに大きくなる。

しかし、彼らが自分たちの国に帰れる見通しは立っていない。シリア難民でも、特に高齢の人々の中には、このままトルコで一生を終える人も多くいるだろうと言われている。

一方、増え続けるシリア難民に対して、トルコの現地住民からは不満の声も聞こえ始めている。「一体どんな人物が、国境を越えて自分たちの国に入ってきているか全くわからない」「難民が増えたせいで、家賃が上がって困っている人がたくさんいる。このままでは、難民を敵視し始めてしまう」とシャンルウルファの住民たちは話した。

しかし、こうした懸念を示しながらも、「彼らは紛争から逃れてきているのだから、追い返すことはできない」「自分たちが家族で夕食を囲むときも、彼らは飢えている。そんな人を見捨てることはできない」と話す人もいた。

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シャンルウルファの街並み

また、トルコ政府にとってシリア難民支援は、自分たちの面子がかかった一大事業でもある。そのため、外から支援に参加しようとする国際NGOやトルコの地方自治体と政府が衝突し、シリア難民が振り回されるような事態も起こっているという。

■「10年先のことを考えている人なんて、誰もいない」

シリア難民のトルコでの生活が長引くことが予想される中、今後は住居や食料の供給といった「物理的支援」から、トルコの現地コミュニティとの融和を図った「社会的支援」に重点が移っていくことになる。AAR も3月から新たなコミュニティセンターを独自に開設するなど、教育やトルコでの暮らしをサポートする支援に力を入れていくという。

しかし、シリア難民がトルコ社会に馴染んでいくまでには20年、あるいは一世代かかるだろうと、AARの東京事務局とトルコの事務所を行き来しながら事業を統括している職員は話す。「それって長いんでしょうか、短いんでしょうか......?」と問い返すと、「まあ、今トルコにいるシリア人にとってはめちゃくちゃ長いですよね」との答えが返ってきた。

複雑になるシリア情勢、増え続ける難民とそれを受け入れる現地コミュニティとの摩擦......。様々な困難を前にAARの職員は、「その時必要とされている支援活動を続けていくしかない」と語った。

「160万人が入ってくるんですよ。そりゃあ色んな問題も起きますよ。でも、難しいことを考えてプランを立てようなんて思ったら、何もできなくなってしまいます」と語る。「何も持たずに逃げてきて、今生活に困っている人がいるんだから、必要とされていることをやるしかない。状況は常に変化している。10年先のことを考えている人なんて、誰もいないと思いますよ」と話した。

ダーイシュに人質にとられていたジャーナリスト後藤健二さんら殺害というニュースを受け、シリア国境からそれほど遠くない場所で働く日本人にとっても、これからの動向は気になるところだ。今後、事務所での活動はどうなっていくのか尋ねると、職員の方はこう答えた。「安全管理上の制約は増えますが、我々は今まで通り、できる限りのことをするだけです」。