今年1月、九州7県をカバーするブロック紙・西日本新聞が「あなたの特命取材班(以下「あな特」)」という企画を始めました。LINEなどのSNSを使って読者から情報を集め、双方向コミュニケーションで記事化を目指す、調査報道の実験的な試みです。
3月末までに出された記事は30本。1面トップに何度も採用されています。また、半分以上の記事がYahoo!ニュース トピックスとして取り上げられ、ネット上でも大きな話題を呼んでいます。 企画のキャッチフレーズは「ジャーナリズム・オン・デマンド」。その狙いを探るため取材しました。
新人、ベテラン、関係なし。自由に書こう
「あな特取材班」は社会部遊軍の記者11人を中核に構成。社会部デスクで遊軍キャップの坂本信博さんをリーダーに、男性7人と女性4人。中堅と若手の記者が中心のチームです。
「『野菜泥棒辞めて』盗難相次ぎ農家憤り」という記事を書いた西田昌矢さんは取材班の最年少メンバーで、昨年12月に入社したばかりの新人記者です。困っている人の話を聞き、背景にある問題を書きたいと思って記者になったという西田さん。「調査報道は理想に近く、やりがいがあります」。 野菜泥棒の記事は1面トップに採用。先輩記者としてサポートしている金澤皓介(こうすけ)さんは、「新人であることは意識せず、自由に書いて」と背中を押します。
企画の一番の強みは、SNSでダイレクトにつながっている多くの「情報提供者」。坂本さんによると「LINEなどでつながっている人は1300人超。毎日増えています」。西日本新聞社のLINEアカウントと友達登録をすると、記者とオンラインで連絡を取り合うことができます。
西田さんが記事にした「近所の畑で野菜泥棒があった」という情報提供のほか、「多くの車が信号無視をして右折する危険な交差点がある」といった日常生活での不安、「兄が住む実家の隣に、お化け屋敷のような廃屋がある。解体してほしいけど持ち主がわからなくて...」という相談まで、ユーザーはLINEを使って取材班に気軽に情報を投げています。 それに対し、取材班は記事化できるかどうかを判断するため、LINE上で追加取材したり、すぐに取材の約束を取ったりします。そのスピード感は電話やメールとは比較になりません。
それにしても、1300人以上とつながりがあるのは驚異的。記者たちは日々、情報提供者探しに苦労しています。警察署を毎日訪ねては仲良くなった警察官から情報をもらう。バーで苦手な酒を飲み、マスターから耳寄り情報をもらう。それでも記事になるような「ネタ」を手に入れることができる確率はほんのわずか。それが、SNSの向こう側に情報を提供してくれる可能性がある人が1000人以上待っていてくれるのですから、うらやましい限りです。「SNSを本格的に使うようになるまでは『匿名性』などに懐疑的でしたがいまは違います。世の中の人がこれだけ使いこなしているのだから、記者も最低限は使えるようにならないと」と金澤さんは言います。
Facebookで取材相手探し
企画第一弾の記事となった「消えた終活資金を追う」は半月以上の取材で記事化されたもの。死亡後の葬儀サービスを約束して会員を集めていた葬儀補償組合が破産手続きを開始したという内容でした。きっかけは「多くの高齢者が泣いている。マスコミの力で糾弾してください」と救いを求める一通の手紙。 記事は元日朝刊の1面トップを飾り、ウェブ記事のページビューはすぐに200万を超えました。反響は大きく、被害者救済に動き始めた業者も出てきました。(「消えた終活資金救済の声 読者反響次々」)
取材班は特ダネを待つだけではなく、積極的に取りにもいきます。九州の私立大学で留学生が次々と退学しているという情報を得た西田さんは、「外国人はFacebookを使っている率が高い」と考え、Facebookで当事者とつながることを思いつきました。 該当の大学に通っていそうなネパール人をFacebook上で見つけては手当たり次第にメッセージを送信。やっと1人の関係者を見つけ出して東京での取材に成功しました。その努力の成果は「留学生2割消えた 九州私大37校の退学・除籍 受け入れ急増で『ひずみ』も 少子化穴埋め焦る大学」の記事で読むことができます。
取材リクエストは300件超
取材班は特設ウェブサイトで情報提供を呼び掛け、SNSのほか、手紙や電話などで寄せられた取材依頼のリストを公開しています。読者は興味あるものに投票することができ、取材班が票数が多いものから優先的に取材します。すでに300件を超すリクエストが集まっているとのこと。 記者のみなさんは新聞社の取材力・取材網に対する読者からの期待を感じています。せっかく情報を提供しても、ネット上で漂っていては意味がない。新聞社が長い時間をかけて鍛えてきた報道の力を借りて、問題解決につなげたい。そう考えている人は多いようです。
取材班メンバーの吉田真紀さんは、鹿児島の85歳男性から「不発弾が地中に埋まっていて危ない。どこに相談しても取り合ってくれないがどうしたいいか」という相談をメールで受けました。さっそく鹿児島に向かい、取材したところ、「話を聞いてくれてありがとう」と感謝され、さらに、新聞の新規購読までつながったそうです。よろず相談の内容を特ダネにして世に出せるのも、あな特の特徴の一つ。(「ここに9発落ちた」不発弾、住宅街に眠る? 証言のみ、自治体は対応に及び腰) 「自分たちのために新聞がここまで取材してくれるとは思わなかった」という声も寄せられ、「新聞報道への信頼が戻ってきている」といいます。
新聞社では長年、「紙かデジタルか」という議論が続けられています。無料のイメージが強いネットニュースと購読料で成り立つ新聞、両者は共存できないものなのでしょうか? 坂本さんは、「二者択一ではなく、うまく使っていかなければ新聞社は生き残れない」と断言。西日本新聞社内でもSNSを使った報道にとまどいを感じる人が多かったものの、企画の成功で少しずつ意識が変わりつつあるといい、将来的には全社的にこの手法を広げていきたいと考えているそうです。SNSをうまく使うことで、取材の効率化など新聞社の働き方改革にもつながるとの期待もあります。
読者に寄り添うジャーナリズムへ
「ジャーナリズム・オン・デマンド」とは「読者のニーズに寄り添うジャーナリズム」のこと。今回の取材では、ニュースを伝える側と受け取る側の間にあった高い壁にSNSが風穴を空け始めている様子を見ることができました。 読者を巻き込みながら調査報道を完成させる。これまで考えもしなかった発想に驚きました。新聞は今でこそ何十万、何百万の購読者を持つ巨大なビジネスとなりましたが、もともとは、ひとりひとりの「知りたい」欲求に答えるべくして生まれたもの。西日本新聞の挑戦は、ジャーナリズムの原点回帰といえるかもしれません。