【戦後70年】間に合わなかった木製戦闘機 1945年8月4日はこんな日だった

〝沖縄の仇討ち〟としての本土決戦がスローガンとして叫ばれていた時期だった。
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■「使われなくてよかった」

8月4日の朝日新聞(大阪本社版)の1面には「本土決戦へ入魂の木製機続々生産」との写真と記事が載った。撮影場所や日時は明らかにされていない。

イギリス軍は第2次世界大戦で木製爆撃機「デ・ハビランド モスキート」を開発し、約8000機を製造し実戦にも投入した。機体の強度はジュラルミンに劣るが速度は速く、ドイツへの爆撃などに威力を発揮したという。ソ連軍も「LaGG-3」を約6000機製造、アメリカ軍も木製輸送機を試作していた。

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イギリス軍が実戦配備した木製戦闘機「デ・ハビランド モスキート」

制海権を失い、資材不足が日に日に激しくなっていた日本も、木製飛行機の試作に取り組んでいた。新聞記事では検閲の結果か、工場の所在地や生産能力に関わるデータが伏せ字になっている。

木製機増産に必死敢闘するここ○○航空株式会社○○工場は、木製機生産工場としてまだ設備技術の欠けた第二流の航空会社であるといわれているが(中略)設計変更に次ぐ設計変更にもめげず頑として初志を貫徹、墜に金属製に劣らぬ翼を流れ作業で続々生産、月産○○台のみるべき成果を収めている(*1

北海道・江別の王子製紙は1944年に製紙工場から航空機製造工場に転換し、終戦間際に2機の試験飛行に成功したという。家具メーカーの飛驒産業は、1943(昭和18)年に木製の機体造りの密命を受け、航空機会社の指導のもと、終戦までに10機を試作したと明かしている。

ただ、どちらも実戦投入には至らなかった。いずれの当時を知る人も「使われなくてよかった」と振り返っている。

けれど高度な旋回能力が求められる戦闘機に、金属部品をほとんど使わないで作られた木製機体は強度的に難しく、残念ながら要求された性能に至りませんでした。

そしてセミ時雨のなかを8月15日に終戦を迎えます。夢やぶれて残った機体は宮川の河原に運びだされ、すべて燃やされました。当時の事情に詳しいエンジニアの小島班二氏は生前、「あれ以上戦争が続けば、木製戦闘機は実際に戦っていた。終わってよかったんじゃ」と飛行機づくりへの想いを吐露したといいます。

森のことば通信 Vol.8 : 木製ヒコーキのひみつより)

■空襲で被害に遭っても保険はなかなか下りず

度重なる空襲で家族や財産を失って途方に暮れる人も多かった。空襲で一家の柱を失い途方に暮れる人も多かった。新聞に連載されていた「戦災相談」のコーナーには、そんな一端が垣間見える。

問 3月10日の戦災で官設特別警防団員であった甥は、老母と子供2人を残して一家全滅しました。団員として保険がかけてあったと思いますが、何の通知もありません(埼玉、秋森)

答 所管官署で保険をかけておりますから照会してください。なお警防団員の殉職した場合には防空従事者扶助令によって扶助の道があります。手続きは区役所厚生課へ(東京都戦災相談所)(*2

保険会社には「長蛇の列をつくらせ、その上幾回となく足を運んでも即金支払もなかなかしてくれない」との不満も渦巻いていたようだが、そんな声に対する保険会社の言い分も掲載されていた。

実に私どもの方では人手不足で困っている。まず近年徴用や転業で多数の男子がいなくなってしまって、不慣れな女子がやっているので能率はぐんと低下している。その女子でさえ挺身隊へ出動している始末なのだ。(中略)なにしろ昨年秋ごろから俄かに契約申込みが殺到してそれに忙殺されている最中、3月の大規模空襲で今度は支払い業務がぐんと増加した(*3

■沖縄戦で自決の牛島中将、大田少将が昇級

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大田実(左)と牛島満

本格的な地上戦で日本軍や住民に20万人以上の死者を出した沖縄戦。8月4日、この戦闘を代表する2人の軍人の昇級が発表された。

第32軍司令官として沖縄の地上部隊を率いた牛島満・陸軍中将が大将に、沖縄根拠地隊司令官として沖縄防衛にあたった大田実・海軍少将が中将に、それぞれ昇級した。ともに沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日までに自決している。

「補給まったく杜絶えた沖縄本島においてさえこれほど戦えた、来たるべき本土決戦における必勝の信念はいよいよ確固不動となりまさるのみ」(*4)など、〝沖縄の仇討ち〟としての本土決戦がスローガンとして叫ばれていた時期だった。

8月5日に続く)

*1 朝日新聞(東京本社版)1945年8月4日付

*2 朝日新聞(東京本社版)1945年8月1日付

*3 朝日新聞(大阪本社版)1945年8月4日付

*4 朝日新聞(東京本社版)1945年7月29日付

※伏せ字は原文のまま。文中の引用は現代表記に改めました。