新国立競技場コンペ審査員の先生へ――東京の森(8)

今回オリンピック招致に向けて、国立競技場を建て替えることを提案し、さらには国際コンペを開催し、結果として今の新国立競技場案を選んだとされる都市や建築の専門家審査員の先生方は、神宮外苑、内苑の整備に携わった方々ほど真剣に思考を重ねているのでしょうか?
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前述の槇文彦先生の

「それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について」

でとてもビックリしたといいますか、

槇先生のお人柄がにじみ出ているカ所があります。

34行目からです。

~~偶然20年以上前に隣地の現在の東京体育館を設計、建設した経験から、一昨年の11月に発表された最優秀案のパースが東京体育館を前景に描かれていただけに、その巨大さに驚愕した。そして友人からコンペの要項を借り、あるいは建築史家、陣内秀信氏の紹介で今泉宜子著『明治神宮-「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮選書、2013年)を読み、神宮内苑・外苑の歴史をよりよく識ることによって、ますます何かしなければという思いから一文を書く準備を始めたのである。~~

この本を読んで、、とはっきり書かれているカ所です。

はじめから知ってたんだよとか

俺は元々詳しいんだよとか

そういう上から目線じゃなく、素直に今泉宜子さんの著書

『明治神宮-「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮選書、2013年)

という本をご紹介されています。

より詳しく明治神宮について知ることができます。

新潮社のホームページにはこの本の編集に携わった方の紹介文があります。

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森閑とした空間で感じる造営者たちの偉業

一部を抜粋いたしますと、

・・・全国八万社を超える神社の「伝統」からすれば、明治神宮はむしろ近代に生まれた「新しい」社なのです。「近代日本を象徴する」明治天皇の神社とは、いかにあるべきか――造営者たちは、伝統を重んじつつも西洋的近代知も取り入れるという独自の答えを見出さなければなりませんでした。

古来の形式を残しながら斬新な様式美をたたえる建築はもちろん、神社としては初めて広葉樹を主木に採用した林苑造り、そして都市計画と密接に結びついた空間設計など......いずれも今日では当たり前のように存在していますが、造営者たちの苦労は並大抵のものではなかったのです。・・・

 中でも特筆すべきは、空間設計でした。明治神宮の「場」とは、正確にどこを指すのでしょうか。それは単に境内と鎮守の森の敷地(内苑)に限られるものではありません、欅並木で知られる原宿の表参道、神宮球場ほかスポーツ施設が並び立つ外苑までも含めて、初めて明治神宮は「場」として成り立っているのです。

造営中には関東大震災もあり、その結果、いまの東京につながる都市計画も考慮された複合的な空間からなる「場」の創造行為は、実に十年にわたる試行錯誤の末、ようやく完成を見たのでした。・・・

・・・例年の初詣客の数ではダントツの一位を誇る明治神宮ですが、年始だけでなく是非、普段の日にも訪れることをお薦めします。森閑とした空間の中、造営者たちの偉業に触れる散策は、きっと新たな発見をもたらすでしょう。・・・

つまり、日本が開国を経て明治維新を迎えて半世紀たったころ、あらためて日本の文化とは何か、伝統とは何か、神社とは何か、鎮守の森とは何かを捉えなおし、さらには近代都市計画の中でそれをいかに成立させるかを考えに考え抜いた結果として、時間をかけて成立せしめたのが明治神宮というわけです。

そのような事実を前にして、今の東京都や明治神宮周辺施設の方々には、慎重には慎重を重ねて、神宮外苑や内苑のこれからのあるべき姿を考えに考え抜いて対応していただきたいと思います。

その意味で今現在多くの問題を孕みながら進行させようとしている新国立競技場計画を考えてみたときに、もう一度立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか

特に、今回オリンピック招致に向けて、国立競技場を建て替えることを提案し、さらには国際コンペを開催し、結果として今の新国立競技場案を選んだとされる都市や建築の専門家審査員の先生方は、神宮外苑、内苑の整備に携わった方々ほど真剣に思考を重ねているのでしょうか?

そもそもこれまでお伝えしてきたような明治神宮だけでなく、江戸から東京に連なる文化の連続性、震災や戦災という不幸な歴史すら乗り越えようとした先人たちの、大都市における自然林復活の歴史や偉業をご存じなのでしょうか?

おそらく、そのような経緯を知らずしてやってしまった勇み足なのだと思いたい。

ちょっと天狗になって調子に乗ってしまっただけなのだと思いたい。

もしくは、審査員のおひとりが図らずもこぼしたように、既に何もかも決められてしまっていて、口出しできなかったというのが事実であってほしい。

なぜなら、今回の建築系審査員の先生方はもちろんポッと出の方々ではなくて、これまでの数十年の建築設計活動で大きな業績を残され、評価されてきた方々だからです。

審査委員長の安藤忠雄さんは1970年代からその設計活動を通じて、一貫してシンプルで無装飾なコンクリート素材の生地をそのまま見せるというストイックな幾何学的な装いで建築を実現してきた人です。

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都会の中の狭小地に小さくとも中庭を設けて自然の光を取りいれる住宅を手掛けることで有名で、本来あの新国立競技場のような巨大建築とは相いれない、市井の建築家です。

一般には商業主義や官僚機構などといったエスタブリッシュメントな方々と闘い続けると宣言し続けて大衆の支持を得た人です。

もう一方の建築系審査員である内藤廣さんは自然景観の中で、日本の原風景を取り戻すような古来から続く家形のシルエットをかたくなに守り、地域的素材である瓦や板塀、漆喰といった劣化に抵抗し得る安定した素材活用の元、長期的な建築の価値を生み出すことを標榜とされる建築家です。

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こちらも本来あの新国立競技場のような短期決戦型のCG表現による未来志向の巨大建築に対し延々と反対を唱え続けてきた人です。

結果として地方都市の公共建築の設計者として多くの信頼を得てきた人です。

このお二人がなぜに今回のような結果を生み出し、なおかつその結果をかたくなに墨守しようとして、貝のように口をつぐんているのか、沈黙しているのか一向に分かりません。

「闘い」を自らのキャッチフレーズとして標榜している安藤忠雄さんが、なぜ明治神宮外苑の商業的開発や強引な都市計画許可を推し進める巨大建築を建てたがる勢力と、闘わずして沈黙するばかりであり、むしろそこにくみすることを良しとしているのか

「景観」を自らのキャッチフレーズとして標榜している内藤廣さんが、なぜ明治神宮外苑の100年以上にわたり先人が守ってきた景観を破壊する勢力とくみして、むしろ今回のコンペ経緯の見直し意見を分かりやすい正義と揶揄し、槇さんはじめおひとりおひとりをまとめて諸氏呼ばわりしたのか

もう、そろそろ謙虚になろうよ。

建築家に出来ることというのは、単に建築を成立せしめることだけで、日本を元気にするとか、ビルバオとかに観光客を呼ぶために奇妙な建築作ることではないんです。

槇文彦さんが、文書の中で、

・・・"私がルールだ"という建築家が昨今増えているから・・・

と書かれてましたが、

一部の建築家がマスコミでもてはやされたりすることで、

ある種の万能感や自己ヒーロー化する状況を懸念されているのですが、

今回の新国立競技場コンペにおいて、

見るところ安藤さんや内藤さんの「傲慢な私的なルール」すらない。

むしろ安藤さんや内藤さんが敵視していたはずのお役所の人間のようだ。

それとも役所に、二人とも、もう喰われちまったのか、、、

上記お二人の普段のルールからも逸脱している今回の行動は、これまでの建築家としてのキャリアだけでなく、発言までもがすべて空疎と化し、建築業界に静かな混乱、沈黙のカオスを生み出しています。同時に、これまでお二人に期待し支えとなってきた多くの方々や建築の若者を失望の淵に叩き込んでいます。

ここまで、いといろと解説してきましたけれど

もう一度、今の競技場案がこのまま出来上がってしまうと何が起きるかを見てみましょうか。

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この計画を推進した中心人物として安藤忠雄さんは、その名が歴史に残っていいんでしょうか?

マルビルを造花で緑化の件もそうですが、ここんところの安藤忠雄さんは、

かつて僕らが憧れていた建築家安藤忠雄さんとは別人の作品です。

その忠実な補佐役として内藤廣さんも歴史に名が刻まれるわけですが、東京大学土木学科に景観論を確立という大業の後の最初の仕事がこれでいいんでしょうか?

諸氏への文面もそうですが、ここんところの内藤廣さんは、かつて僕が九段下や北鎌倉でご教示を受けた内藤廣さんとは別人の論ですよ。

もし、安藤忠雄さんも内藤廣さんも、今の新国立競技場推進派の大波に流されてにっちもさっちもいかなくなっているのなら、全部ご自分らで背負うのやめて、そもそもの原点にかえって、この件は全国民に意見を求めればいい。

なぜなら、繰り返し述べたように明治神宮という場は、多くの方々の献身と努力によって長い時間をかけてみんなで造られたものなのだから、コンペの経緯や現時点での問題についても全国民と共有するべき問題なんです。

以上、明治神宮とその周辺の歴史的経緯や東京に森をつくった先人たち、そして今議論の的になっている新国立競技場とそれを推し進めている人たちについての解説でした。

また、加筆するかもしれませんがいったん終了です。

最期に、絵画館銀杏並木100年前の写真、

小津映画みたいな素敵な写真を見つけましたので

貼っときます。

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(2014年3月26日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)