7月17日午後。安倍首相は新国立競技場について、「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直す決断をした」と、従来までの方針を覆しました。「コストが予定よりも大幅に膨らみ、国民・アスリートからも大きな批判があった。このままでは、みんなで祝福できる大会にするのは困難と判断した」「1カ月前ほど前から計画を見直すことができないかと検討を進めてきた」「本日、五輪の開催までに間違いなく完成できると確信したので決断した」と語っています。(朝日新聞2015年7月18日)
突然の方向転換をした理由は明白です。7月15日に、安保関連法制の特別委員会採決を強行し、翌16日には野党が欠席・退席する中で本会議採決になだれ込んだことで、 この新国立競技場建設の見切り発車とセットになって、国民の批判が高まることを恐れ、支持率低下を食い止めたいとの思惑です。
新国立競技場の計画白紙撤回を発表すると、 「よく決断した」と国民世論からの拍手喝采を期待していたようでしたが、反応はそう甘いものではありませんでした。
新国立競技場の建設計画は迷走の末、安倍晋三首相が白紙に戻した。安全保障関連法案の衆院採決による内閣支持率低下への危機感が背中を押した。ただ、整備費の膨張はかねて指摘されていた。関係者の責任転嫁、無責任体制が招いた、遅すぎる決断だった。
「新国立競技場の計画白紙」の動きは、7月16日に安保関連法制が衆議院を通過していくと共に一気に表面化しています。国民世論を手玉にとろうとシナリオを練ってきた舞台裏が、急場のドタバタで透けて見えてきます。新国立競技場計画をめぐっては、建築家や作家の森まゆみさんらがつくる市民団体「神宮外苑と国立競技場を未来に手渡す会」などが以前から活発に、警鐘を鳴らしていました。
巨大すぎる新国立競技場の問題は、実は二年も前から指摘されていた。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した、日本を代表する建築家・槇文彦氏(86)が二〇一三年八月、日本建築家協会の機関誌に寄せた論文だ。五輪史上最大規模のスタジアムが周辺の歴史的景観を壊し、建設コストを肥大化させると指摘。十分な情報が開示されず「国民が計画の是非を判断する機会を与えられていない」と、巨大公共事業に警鐘を鳴らした。(東京新聞7月18日 新国立 計画白紙 国動かした建築家の一念」)
建築家で公共建築・都市計画に詳しい小林正美明治大学教授は、「日本建築家協会(JIA)をはじめ著名な建築家たちや市民団体は、すでに解体されてしまった既存の国立競技場を改修することで利用する計画を発表していましたが、こうした代案に対して関係者は、まともに検討することもせずに、『聞く耳なし』でした」。コンペに参加した伊東豊雄氏も国立競技場の解体工事が始まる前に改修案を発表しています。
残念ながら、前国立競技場の改修案は実りませんでしたが、すでに不動にさえ見えたザハ案がぎりぎりのところで白紙撤回された背景には、これまでの建築家や市民団体の努力があってのことだったと思います。前回のブログで、「新国立競技場、愚かな判断で子どもにツケを残すな」(2015年7月15日「太陽のまちから」)で書いたように、7月8日に有識者会議が全会一致で「2520億円」での見切り発車を了承すると、世圧倒的に見直しを求める批判の声が高まり、渦巻いていました。私は、次のようにツイートしました。
「新国立競技場」で一度決めた2520億円の予算に対して、「国民の多くや、アスリートの批判がある」という事を認め、「ゼロベースで見直すことを決断した」とまで言うなら、安保法制や原発再稼働に対する国民の異議ありの声には耳を傾けないのか。(2015年7月17日)
世論のつまみ食いは許されないはずです。「新国立競技場計画」に対しては、反対の声がもっとも大きかったのは事実ですが、「安保関連法案」や「原発再稼働」ともに反対は強く、そして沖縄の「辺野古新基地建設」についても反対が増しています。
新国立競技場を計画通り建設することに...
「反対71%」「賛成18%」(7月)
安保関連法案に...
「反対56%」「賛成26%」(7月)
原発再稼働に...
「反対56%」「賛成28%」(5月)
普天間飛行場の辺野古移設に...
「反対41%」「賛成30%」(7月)
安保関連法制の衆議院特別委員会採決の直前の質疑で「国民の理解が進んでいないのも事実」(安倍首相)とまで言っていたのが印象に残ります。国会審議のタテマエで言えば、「国民の理解が広がり、法案の趣旨が伝わったと信じるので」ぐらいのことは言わなければならないはずです。アニメを使った稚拙な事例説明、コロコロ変わる国会答弁、憲法違反の指摘に正面から反論出来ない姿などを見ると、「国民の理解は進んだ」と言えます。
7月18、19日にわたって行なわれた世論調査の結果が報道されています。
安倍内閣の支持率は37%(前回39%)、不支持率は46%(同42%)で、第2次安倍内閣の発足以降、支持率は最低、不支持率は最高だった。安保関連法案の衆院可決への進め方は、69%が「よくなかった」と回答。安倍晋三首相が新国立競技場の建設計画を白紙に戻すと表明したことは、「評価する」が74%にのぼった。(朝日新聞7月20日)
さらに、週末のFNN世論調査でも安倍内閣支持率は「支持する」(39.3%→6月調査マイナス6.8%)になり、「支持しない」(52.6%→6月調査プラス10.2%)と大きく変化しています。
先週採決された衆議院で、十分に審議が尽くされたかどうか聞いたところ、「大いに思う」、「やや思う」と答えた人が、あわせて3割弱(27.2%)である一方、「あまり思わない」、「まったく思わない」と答えた人は、7割(70.6%)に達した。
新国立競技場の建設計画を、安倍首相が見直したことについては、「大いに評価する」、「やや評価する」と答えた人が、あわせて8割(83.9%)を超えた。一方で、見直しに至った政府の責任については、同じく8割以上の人(82.9%)が「責任がある」と答えた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00297902.html
「新国立競技場計画」が無軌道に暴走するのをようやく見直したのは当然ですが、憲法違反の指摘にも答えられない「安保関連法制の迷走と強行」が続いているようでは、支持できないと見ている人が多く、強気一辺倒でひた走ろうとした安倍内閣は支持率のバランスを欠いてぐらつき始めているのではないでしょうか。
「新国立競技場計画の白紙撤回」にあたり、森喜朗元総理の言動も物議をかもしています。東京五輪・パラリンピック組織委員長として、14日に行なわれたインタビューで「問題は総事業費だけど、そこは腹をくくって国家的事業だからということで納得してもらうしかないです」(産経新聞「新国立の経緯 すべて語ろう」)と述べていました。ところが、数日後に手の平を返したように「僕は元々、あのスタジアムは嫌だった。生ガキみたいだ。合わないじゃない、東京に」と語り、またさらに「国がたった2500億円も出せなかったのかねっていう、そういう不満はある。何を基準に『高い』と言うんだね。皆、『高い、高い』と言うけれど」との発言は、10数年前に、いつかどこかで見たことのある既視感を呼び覚ましてくれます。
国家的事業を標榜しながら、ここまでぶざまな失敗で座礁したら、「無責任体制」を解体・再編する以外にありません。誰も責任を取らず、組織も見直さず、計画だけ白紙にしても、世論が落胆する仕事しか出てこないでしょう。コスト意識を持ち、ゼネコンの言い値にふりまわされない強力な実行体制をつくる以外にありません。
今年は「戦後70年」の節目にあたります。
安倍首相がこだわってきた「村山談話」「小泉談話」を塗りかえるような「安倍談話」の内容はどうなるのでしょうか。談話は閣議決定しないとされていますが、内容によってはアジア外交に大きな影響をもたらします。
そして、国民の多くが強い疑問と懸念を持つ「安保関連法制」は参議院での審議に入ります。やがて、被爆から70年を数える8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキの原爆の日を迎えて、平和を祈る式典があります。そして、70年目の「8.15」がやってきます。
過去の戦争を振り返り、すべての戦争犠牲者を追悼する祈りの夏に、集団的自衛権行使を可能とし、他国での戦闘行動を想定する「違憲立法」をすみやかに通過させるわけにはいきません。私たちは70年続いてきた「戦後」と、これから始まりかねない「新たな戦前」の狭間に立っています。