サイボウズ式編集部より:著名ブロガーによるチームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。今回は、新人にありがちな「無力感に対する悩み」をあらためて考えてみようと思います。 ブロガーズ・コラム チーム4人でお届けします。第3回目は桐谷ヨウさんです。
新人は「無力感」を感じがちなようです。僕自身、学生時代の根拠なき自信が消滅するくらい「俺って何もできない!」と思わされました。そう、絵に描いたような無能でした。
自分の経歴を書くと、ブロガーズ・コラムのメンツの中でも、特に大企業に所属していました。これはベンチャーと比較して「即戦力」を求められにくい環境で育ったということを意味します。
前回の日野さんのコラムで書かれたように「新人=コスト扱い」されていたのですが、数年間は「君にはまだできなくて良いよ」と、許容してもらえる環境で育ったわけです。それは人事の新人育成方針を見ても明らかでした。
誰もがそのような環境というわけではないでしょうが、そういった背景を持つ自分が書けることは「無力感を持つこと自体は仕方がない」こと。だけど、「焦る必要はない」ということです。焦ることで、近視眼的な視点が身についてしまいます。近視眼的な視点とは、先入観にとらわれた、狭い視点のこと。
振ってもらった作業をこなしただけで、仕事ができる気になってしまうのです。そうならないために大事なことを書いていきたいと思います。
メンターになる先輩を自分で見つけよう。
1つめは、無力感のある新人のうちにメンターになる先輩を自分で見つける、ということです。
学生と社会人のちがいのひとつは「時間のなさ」です。とにかく社会人は時間に余裕がありません。それは週5日間は確実に拘束されてしまうという制約、そして役職が上がると自分だけでなく、他人を気にかける必要が出てくるからです。
その点、新人は(比較的)時間に余裕があります。よって自分は「最後のモラトリアム期間」として位置づけていました。意識が低かった自分が本気で仕事に取り組んだのは3年目になってからです。
この時期、自分が考えていたのは「できる人ってどんなことをしているのだろう?」でした。いろいろな人の仕事の仕方をとにかく「見る」ことに徹したのです。
自分が決めていたのは、会社で決めてもらったメンター役の先輩の意見を絶対視しないということでした。本当にかわいげがない新人だと思いますが、メンターは当たりハズレがあると考えていたからです。
実際、中堅を教育するためにメンター役に指名している背景があるのです。だからこそ、メンターの意見が「できる社会人ならば誰もが意識していること」なのか、「単にその人の価値観で大事にしていること」なのかを見極める必要があると思っていたのです。これは正解でした。
メンターの言葉に惑わされずに、いろいろな人の仕事の仕方を観察した結果、一般に「仕事ができる」と表現されるあいまいな言葉には、いくつかの要素があることが分かってきました。そしてすべての先輩=すごい人では決してないことを確信しました。(すべての先輩にはメンターも含まれます。)
そう、すべての人には長所も短所もあります。できる人とは長所を最大化して、短所を最小化している人たちだったのです。仕事にはコミュニケーション能力が大事と言われますが、ないのに優秀な人だっています。それはコミュニケーション能力の不足を補って余りある、その人の見識が評価されているということなんですよね。
ここで重要なのは、「自分にフィットする長所から学べ」ということです。仕事の進行に大きく支障をきたす短所はある程度、改善する必要があります。が、もともと向いていないことを改善してもたかがしれています。それならば、自分の延長線上にある人がどのような仕事の仕方をしているかをまねた方が結果につながります。同時にその人の短所を顕在化させないテクニックを拝借すれば、それは自分にも援用できます。(長所は短所と抱き合わせなので、その人は自分と似た短所を持っていることが多いから)
最初の師匠であるメンターには逆らってはいけないと思うかもしれません。でも、先輩を査定するくらいの感覚でちょうど良いです。「あなたが本当にスゴイのであれば、私を納得させてください」と思っていればいいのです。先輩の言うことは絶対、なんてバカげた話ですから。
こういった緊張感は職場にも良い影響を及ぼします。もちろん不遜な態度を取ってはいけませんが、先輩に緊張感を与えるのはあなたにできる貢献のひとつです。本当に無能な先輩でないかぎり「なるほど」と思わせてくれる思考を披露してくれることでしょう。そのときにはその優れた部分を素直に学ぶ姿勢を持っていれば、納得を追求するのは重要なことです。
何のための仕事なのか? を深堀りしていこう。
2つめは、自分に振られる仕事が「何のための仕事なのか?」を深堀りすることです。
新人に振られる仕事は、「仕事を振るためにつくった仕事」であることが往々にしてあります。なぜならメンター自体が上手に人を使える人材とは限りませんし、同時に責任を伴わない仕事は、末端の雑務くらいしか存在しないからです。そんなものに惑わされる必要はありません。
さて、「自立した仕事」とは責任を自分が持っている状態で仕事をするということです。自分で、判断の根拠や成果物の質の担保ができるということです。
自分が新人時代に苦しかったのは、責任がないがゆえに自由(=裁量)もなかったことです。先輩に振ってもらった仕事=先輩の自由と責任に依存していたからです。
このあたりはこちらの記事を参考にしてください。
断言しますが、「末端の雑務」をパーフェクトにこなすことに大きな意味はないです。だけど、新人はそれ以上のことを実際にできる知識も経験もありません。
そこでこのモラトリアム期間に意識してほしいのは、「自分がその立場になったときにどうすればいいのか?」をシミュレーションするということです。
仕事には大小を問わず、全体観が存在します。背景、一連の流れ、階層構造です。なぜその仕事があるのか? どのように進めれば良いのか? ブレイクダウンすると具体的にどんなタスクがあるのか? と言い換えられます。
自分が新人時代に苦しかったのは、いまの作業が「どの位置づけ」なのかを、時間軸でもタスク単位でも明確にできなかったことでした。全体観がわからないなかで個別のタスクをこなしたところで、それが見えるようになることはありません。
あえて小さな例を挙げると、新人時代に依頼・注文書や請求書を発行するというタスクがありました。めっちゃつまらなかったです。ですが、「客先の会社」「自社」「協力会社」という三者間における「取引」が背景にあり、客先から受注し、協力会社に発注し、納品してもらい、検品して......という一連の流れを理解したときに、仕事の意味を、当時、深く理解することができたのでした。
よって、先輩には徹底的に「背景、一連の流れ、階層構造」を聞いてください。答えられないということは、場当たり的な適当な仕事の振り方をしているのは間違いないです。
また、物事には「わかる」「できる」「教えられる」という段階がある! と書いたことがありますが、先輩が「できる」までいっていても、「教えられる」までの知識の定着・整理ができていない可能性もあります。この場合には、先輩自身も育つきっかけになります。
「目の前の人に褒めてもらう」よりも「キャリア観の根っこを太く」しよう
今回「自分で憧れのメンターを見つける」と「何のための仕事なのか考える」という視点を大事にしてほしいと書きました。これは冒頭部分でも書いたように、新人時代は近視眼的になりがちな傾向に警鐘を鳴らしたいからです。
たしかに新人時代というのは無力感にさいなまれます。就職活動中に想像していた自分の姿と、かけ離れているのが現実でしょう。
そんなときに陥りがちなのは、「目の前の人に褒めてもらいたい」「目の前の作業をこなしていると充実感がある」という心理状態です。これは決して悪いことではありません。ただし、言われたタスクをそつなくこなす(新人時代はこれがいちばん評価されがち)だけでは、直属の先輩の代行作業屋にすぎません。
自分が仕事とどのような関係を結びたいのか、そしてどのようなキャリアを歩んでいきたいのか? それを考えることができるのは自分だけです。
そのガイドラインとしておすすめなのが「憧れの先輩」を持つことです。この人のように仕事がしたい、そう思える先輩を持つことが自分のキャリアパスを輪郭づけてくれます。同時に、自分ひとりでこの仕事をまわしていくとなると何が必要なのかを先取りしていくことです。仕事の背景、一連の流れ、階層構造です。
目の前の人と仕事で褒められることで満たされるのではなく、まだ責任を免除してもらえるこのモラトリアム期間に、この根っこの部分を太くしていくことが、あなたのキャリア観に大きな影響を与えていくと思うのです。
イラスト:マツナガエイコ
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本記事は、2016年9月28日のサイボウズ式掲載記事先輩の「代行作業屋」になってはいけない──「無力感」がある新人時代こそ、キャリア観を育てようより一部編集して転載しました。
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