あなたが写真家で、絶頂期のデヴィッド・ボウイを撮影できるとしたら、どうするだろう?
時期としては、「ジギー・スターダスト」や「アラジン・セイン」をリリースした後で、「ピンナップス」や「ダイアモンドの犬」をリリースする前くらいだ。変幻自在なボウイを色々な衣装で着飾り、彼の様々な表情を写真に収めていく。
40年後、彼が亡くなり改めて写真を振り返ってみると、そこにはメッセージが込められていたことに気付く。そのメッセージとは、その後の彼の作品にたびたび出てくる「死」と「永遠」だ。
スティーブ・シャピロ氏は、それを実際に体験した幸運な写真家だ。彼は1974年に、ロサンゼルスの自分のスタジオでボウイを撮影した。そのときのことを、彼はこう話している。「私たちはすぐに気が合いました。ボウイはとても知的で落ち着いてて、アイデアにあふれていました。アレイスター・クロウリー(魔術師になったイギリス人男性)についてたくさん話していましたね。彼は当時、クロウリーの著書にのめり込んでいたのです。デヴィッドの憧れの人、アメリカの喜劇俳優バスター・キートンを私が撮影したことがあると知った途端、私たちは友人になりました」
2人はたくさんの写真を撮った。1枚ごとに、ボウイは別の人物に変貌していくようだった。中でも、1976年のアルバム「ステイション・トゥ・ステイション」に使われたこの1枚は、特別な写真になった。
ストライプの入ったネイビーブルーのボディースーツを着たボウイ。床や壁に描かれているのは、カバラの「生命の木」だ。
ボウイはこれと全く同じボディスーツを、最後のアルバム「★(ブラックスター)」からシングルカットされた「Lazarus」のミュージックビデオの中で着ている (この曲はファンに対する別れの手紙だと考えられている)。74年の撮影で落書きしたのと同様、ボウイは激しい高揚感の中、無我夢中でノートに走り書きをしている。そして、結論に達したと思われるところで筆を止め、後ずさって部屋を去る。
シャピロ氏は、未公開の写真を集め、写真集「Bowie」として発表するが、その写真集の紹介文で、アルビン・ウォンティア氏は「Lazarus」でみせたボウイの行動についてこう書いている。「ボウイは探し続けたものを見つけたようだ。40年もの時を隔てて、2枚の写真がつながっていることに驚きを隠せません。彼は謎を解き、人生の幕を閉じたのです」
「Lazarus」でボウイがノートになぐり書きするシーンをクローズアップしてみると、シンボルを書いていることがわかる。ウォンティア氏は、シンボルは「★(ブラックスター)」のレコード盤に描かれているシンボルだと考えている。レコード盤に描かれているシンボルは、1974年の撮影で描いていたシンボルにとてもよく似ている。ウォンティア氏はそれを、太陽が形成されるときに起こる核融合の化学式の一部だと分析する。いや、太陽ではなく黒い星かもしれないが。
「ボウイは『Lazarus』のビデオで追い求めてきた人生の謎を解きました。彼の人生は、作品と切り話せません。そこで、自分が考え出した様々なキャラクターを演じたのです。彼の人生そのものが芸術です。死を迎えて、ボウイはやっと本を閉じることができたのです。しかし最終章は、本人が亡くなっても終わるわけではありません」とウォンティア氏はまとめている。
ボウイの肉体は、もはやこの世にないが、彼の創造力は今でも世界中で爆発している。「デヴィッド・ボウイは、単に世界から姿を消すわけではありません。『★(ブラックスター)』に描かれている化学記号は、彼が向かう先を指しています。それは、太陽を創り出せるほどのエネルギーを生む芸術的核融合なのです」とウォンティア氏は書いている。
ボウイの最後のアルバム「★(ブラックスター)」の素晴らしさや世界に与えた影響を知っている人は多いだろう。しかしそのルーツが、1974年のある夜に遡るということを知る人は、ほとんどいない。ボウイのプロデューサー、トニー・ヴィスコンティ氏が述べているように「彼の人生と同様、彼の死も芸術作品だった」のだ。
「Bowie」に掲載される、写真の一部をご紹介しよう。
ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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