年金は既に崩壊してる

少し前の話ですが、年金未納者に対して強制徴収をするよというニュースがありました。もう少し前では年金支給年齢の引き上げも議論になっていました。そうでなくとも、町を歩けば、「老後の備えは年金だけでは足りない!」「自分で老後に備える自分年金大作戦!」
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少し前の話ですが、年金未納者に対して強制徴収をするよというニュースがありました。

もう少し前では年金支給年齢の引き上げも議論になっていました。

そうでなくとも、町を歩けば、

「老後の備えは年金だけでは足りない!」

「自分で老後に備える自分年金大作戦!」

のような本や雑誌のキャッチがたくさん目に入りますし、

話をすれば、

「老後の生活費いくらかかるんだろう」

「老人ホームに入るのは何千万も要るって言うじゃない」

「老後のためにお金貯めなきゃ」

のようなつぶやきも多く聞かれます。

これらの様子を見ていると私は思うんです。

ああ、やっぱり年金って崩壊したんだなぁ

って。

「崩壊しそうなんだなー」ではなく「崩壊したんだなー」。

過去形です。

まだ積立金がなくなったわけでも、実際に年金支給ができなくなったわけでもありません。

年金支給年齢を引き上げたり、保険料を上げたり、未納者を取り締まったりすれば、年金の存続は今後も可能かもしれません。

政治家や官僚の方々もきっと「改革をしているので年金は今後も大丈夫」と言うことでしょう。

でも、もうダメなんです。

なぜって、年金というのは制度だけが存続していても意味が無く、もっと大事なものを守るために存在しているものだからです。

人間は誰しも年を取り、そして年を追うごとに頭や身体が衰えます。

するとどうしたって、収入を得る能力は落ちてしまいます。

でも生きていくには高齢になっても家や食事や衣服が必要です。人付き合いや娯楽だってもちろん大事ですし。多くの場合最終的には医療や介護も必須になってきます。どれもお金がかかります。

収入が無くなっても支出は無くならず、むしろ基本的に支出は年を取るにつれてどんどん増えていきます。

そんな中、世の中60で亡くなる方もいれば(もちろんもっと早い方も)、90や100まで生きる方も居て、自分の「老後生活」が何年あるのか事前には分かりません。でも、60で死ぬのと100で死ぬのでは老後に必要な支出の総額がかなり大きく違ってきてしまいます。

「長生きリスク」とも言ったりしますが、長生きをすればするほどお金がかかるのが現実なのです。

じゃあといって、みんながみんな100歳あるいは安全を期して120歳まで生きるための蓄えをするべきかといえば現実的ではありません。

そして、みんながみんな老後に過度に備えるのは、以前の記事でも書いた通り社会にとって致命傷にもなりえる危険な状況です(「貯金」が社会の毒になる ~金は天下の回りもの~ )。

そんな「長生きリスク」をみんなの中で分散しようというのが、年金という「保険」の役割です。

若い頃保険料を拠出してくれていれば、老後死ぬまでちゃんとお金を渡しますよー、だから心配しないでいいよ、というのが年金なのです。

ですから、私たちが年金によって得られるものは、その「年金」という名前のイメージとは異なり、「お金」ではありません。

保険というものは何でもそうですが、年金が私たちに与えてくれる第一のものとは、そう――「安心」なのです。

年金があるからこそ、不安に駆られて無理に「貯金」を蓄える必要がなくなって、みんなが自然にお金を消費する良好な経済循環を保つことが可能になるのです。

しかし、現状はどうでしょう。

冒頭の各事例などからもうかがえるように、かなり多くの人が「年金では老後は不十分」と思っていたり、「年金は今後もらえなくなるかもしれない」と信じていなかったり、「そんな怪しいもんにお金払いたくないよ!」と反抗したり・・・と、年金で「安心」が得られるどころか、「年金は不安」「不安」「不安」と「不安」の嵐です。

「安心」を担保するはずの「年金」が「不安」しか生み出していないのであれば、これはもう「崩壊している」と言わざる得ないと、私は思うのです。

確かに収支を合わせるのは最低限必要です。

支給年齢の引き上げ等々の対策は年金を崩壊させまいとした結果というのはとてもよく分かります。

でも、収支を合わせただけではダメなんです。

「年金は絶対大丈夫なんだ」って国民に思わせることが出来なかった時点で残念ながら負けなのです。

支給年齢の引き上げも、5年ぐらいの上昇は言っても大きいものではないのかもしれません。でも問題なのは5年の引き上げそのものではなくて「これからも引き上げられるのかもしれない」という不安を引き起こしてしまったことなのです。

強制徴収についても本来当たり前ではあるのですが、唐突に始まると言われると「強制的に徴収しないとままならないほど年金はヤバい状態なんだ」と不安を掻き立てられるのが人情で。

逆説的ですが、年金を良いものにしようと思ったら、多分出来る限り年金そのものは改革はしちゃいけなかったんですよ。

太陽が毎日東から昇り西へ沈むがごとく、もう絶対普遍な存在として年金は君臨しないといけなかったんです。

政権が代わる度に書き換わるかもしれない普通の法律ではなく、憲法の中に「年金はちゃんと支給する」って書いてあるぐらいじゃないとダメだったんですよ。

年金を守るためなら、他の何だって犠牲にするぐらいの政府の姿勢が必要だったんですよ。

それぐらい年金は絶対に不安定な素振りを見せちゃいけなかったんです。

でも、できなかった。

だから崩壊したんです。

とはいえ、私は政治家の皆さんや官僚の皆さんを責めているわけではありません。

私の言ってることは結局は理想論で、実現するのは相当難しい、いえ不可能に近いだろうということは分かっているつもりです。

その意味では正直仕方がないこととも思っています。

ただ、惜しくも敗れた球児たちや、無念のリタイアをするランナーを見た時のように、人類が見た一抹の夢が儚く潰えてしまったことに、私は少しばかり寂しい気持ちになってしまうのです。

ああ、負けちゃったんだな

残念だな

って。

ほんと、悔しいなぁって。

P.S.

だから、貯蓄するって人が多いのも仕方がないのは仕方がないのですよね・・。

(2014年1月29日の「雪見、月見、花見。」より転載)