衆議院と参議院で多数派が異なる「ねじれ国会」。これを解消するか否かが、7月21日投開票の参院選の注目の的となっている。7月7日のハフィントンポストの記事「ねじれ国会、解消すべきか?」では、「解消すべきだ」とする安倍晋三首相の意見と、「問題ではない」とする「新党改革」代表の舛添要一氏の意見を並べて紹介。読者にコメント欄で、その賛否について尋ねたところ、2日間で約40件のコメントが寄せられた。
その結果、「ねじれは必要」という意見や、舛添氏と同様に「ねじれは問題ではない」とする意見が多数寄せられた。安倍首相を支持して「ねじれを解消すべき」は少数派だった。つまり、ハフィントンポストの読者の傾向としては「ねじれは解消すべきではない」という意見を述べる人が多い傾向が出た。
以下に抜粋して紹介しよう。
■「ねじれは必要」という意見
ねじれが解消すれば、衆議院の決議を追認するだけの参議院となります。そうなれば「衆議院のカーボンコピー」と揶揄されていた存在にもどるわけですが、それが良いことのでしょうか。
(yamagoo2013年7月8日08時30分)
ねじれは必要不可欠です。ねじれが解消されれば与党が提出した法案は議論なしで可決され、野党が提出した法案は議論なしで否決可能になります。つまり、憲法に違反しないかぎり、与党が国を好きにできるのです。杞憂じゃないかとか、被害妄想だとか思うかもしれませんが、するしないはともかく、可能なのが問題なのです。
(sinofseven2013年07月07日12時47分)
参議院は、衆議院とは異なる存在意義を示すべきだ。多数決による政党政治の場ではなく、二院制が目指すべき本来の良識の府に立ち戻り、政党や派閥を超えて、多様でバランスのとれた議論を誘発する場となるべきだ。それが出来ない今の参議院のような状態が続くのであれば、参議院など不要だし、議員の大幅削減にもつながるだろう。衆議院と異なる存在意義、それを「ねじれ」と表現するのであれば、「ねじれ」こそ必要悪である。
(Rukahi 2013年7月8日11時33分)
民意は多様で変化する。それが健全だと思う。むしろ民意が画一的となったり、変化しなくなったりすることの方がはるかに危険だと思う。政界の勢力図は選挙が行なわれたときの民意が反映されてできあがるから、ねじれは衆院選挙時の民意と参院選挙時の民意が同じでなかったことを示しているだけのことであり、決して悪い事ではなく、むしろいい事、あるいは当然の事と考えるべきと思う。
(maizumi 2013年07月07日 23時18分)
現在の形でも、「ねじれ」は、ある党が賛成でも、通らない法案があるので、良い形に近いと思います。異なる意見の人たちに、納得の行く説明をしなければならない場があるのですから。多くの人たちが正しいと考える法案に反対する党は、信頼されなくなります。その意味で、現在の参議院の選挙制度では、「ねじれ」は、最低必要な形だと思います。
(shufu19492013年07月07日15時14分)
日本ってどうしてこうなんだろう?ねじれ国会こそが本来の正しい国会だと思う。大企業や国会議員のみに有利な法案がスポスポ通過するような国がみんな良いんだろうか??
(puyopuyo naka2013年07月07日15時10分)
ねじれと言えば何か悪いように聞こえるが、与野党が慎重に審議することが求められる緊張関係にあることで行き過ぎた横暴を無くすることのできる環境でもある。政治家が政治家として恥ずかしく無い行動をとりさえすれば良いだけにも関わらず、何事も政局にすることだけに血道を上げたことに問題があったのだ。
(Shinobu Nagumo 2013年07月07日14時28分)
ねじれのない二院制は、二院制自体の否定です。ねじれ解消は参議院の意思との調整で解消すべきです。参議院を説得できない政府与党は独裁で、民主制と相いれません。安倍首相は説得の技術を学ぶべきでしょう。
(volvo740gle2013年07月07日16時08分)
■「ねじれは問題ではない」という意見
ねじれが問題にされてしまう事自体が問題。政権選択にとらわれない有識者によって構成された本来の姿であれば参議院に存在理由はあるし、そもそも「ねじれ」などと表現される事すらない筈。今の姿が異常なのだから、むしろねじれている事に意味があると思いたい。
(Tatatada Tadatada 2013年7月8日18時52分)
ねじれ解消が選挙の争点だということになってしまう発想自体がねじれていると思います。ねじれようがねじれまいが、それは結果であって目的じゃない。
(singstyro2013年7月8日14時46分)
参議院は良識の府としての役割がありますから、ねじれていても問題ないと思います。衆議院にブレーキをかけたり、建設的な反対意見が出ることも必要です。
(fujita hiro2013年7月8日11時14分)
■「ねじれは解消すべき」との意見
ねじれは政治不信の結果であり、そのように信頼の無い政治が好ましいはずはありません。その意味で今回は自民党安倍政権に対する信認を国民が示すか否かであり、もしねじれが解消されるなら、それは国民から信頼される政党ができたと言う意味で、好ましい状態だと思います。ねじれたほうががよいと言う意見がかなりあることに正直驚いています。
(amenokirin2013年07月07日 16時19分)
衆議院と参議院は、いわば右足と左足のようなもので、交互に足を出し、横軸の力をバランス良くしなければ、決して縦方向に力が加わることもなく、日本は前には進みません。今の国会は、片足がもつれているために前に進めない状況に陥っているわけでしょう。日本が真っ直ぐ進むためには、”ねじれ”も”よじれ”もどちらも必要ないのですから。
10144322013年07月07日14時36分)
なお、今回の参院選で「ねじれ」が解消するということは、衆参ともに自民・公明の連立与党が過半数を占めることを意味する。読者の反応で、「ねじれ国会」について容認する意見が多く見受けられたのは、与党の法案がスムーズに通ることよりも、野党にストッパー的な役割を期待する心情の現れかもしれない。
【※】今回の読者コメントの結果について、皆様はどのように感じましたか?コメント欄にご意見をお寄せください。