拡大するモザイク?

米国で「新しい住み分け」が現れているという。融合していると考えられていたネイバーフッドの多くは実はそうではなかったことがわかった。

12月の初めにポルトガルの映画監督ミゲル・ゴンサルヴェス・メンデスに会った。

話はもっぱら都市のこと。私がわずかに覚えているリスボンがどれだけ変わっていないのか、彼がいま拠点とするサンパウロの魅力 (彼のボスはフェルナンド・メイレレスだ)。

さらにはニューヨーク、そしてニュージャージー州のニューアークにあるポルトガル人のコミュニティへと話は移動した。

そこではポルトガル人の巨大なギャングが暗躍しているのだという。次の映画はそのコミュニティを撮るつもりなのかと聞いたら、それも悪くないねと彼はこたえた。

1.

米国で「新しい住み分け」が現れているという。

白人は白人たちと住み、黒人は黒人が多いネイバーフッドに住むといった人種による分居傾向は1970年代にピークを迎え、その後減少していると報告されている。

住み分けをみる単位は国勢調査の国勢統計区にもとづくことが多い。

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たとえばニューヨーク市は2,168件の統計区から成り、ひとつの統計区は3-4千人の住民を含む。

その統計区間の人種の分布を比較し、住み分けの度合いをみることになる。

もっとも、統計区での住み分けを「社会的な距離」と同一視すると、誤った見方を招くことになりかねない。

統計区よりも小さなスケール、そして統計区よりも大きなスケールでの住み分けを見逃すことになるからだ。

2.

米国の222都市圏内の住み分けの変化を調査した報告が2015年8月に発表された。

1990年から2010年までを対象としたその報告によると、白人と黒人は同じネイバーフッドをより共有するようになっている。住み分けは減っているといえる。

ところが、同じ都市圏内の都市中心部と郊外の間で、また郊外のコミュニティの間での住み分けが大きくなっているという。

ネイバーフッド間の「ミクロの住み分け」よりもスケールの大きな「マクロの住み分け」 が現れていることになる。

もちろん個別の都市圏ごとにばらつきはある。たとえばニューヨーク都市圏ではミクロの住み分けの構成比が大きい。ヒスパニックやアジア系ではパターンは異なる。

だが全体としてはマクロの住み分けが大きくなる傾向を示しているという。

3.

かつては黒人などのマイノリティが都市の中心部に住み、白人は郊外に住むといわれた。

近年では豊かな白人が都市の中心部やさらに遠くの郊外へと移動し、それと入れ替わるように、黒人や移民が都市部から遠くない郊外に住むようになっている。

黒人やヒスパニック、アジア系が中心の郊外が増え、郊外は人種的に多様化している。

たとえばニューヨーク市から37キロの通勤圏内にあるニュージャージー州のドーバーでは、1980年から2010年の間にヒスパニックの比率が25%から70%へと急増している。

2014年8月に黒人少年が警官に射殺されたファーガソンでは、ここ20年で黒人の比率が25%から67%へと急増している。コミュニティの急変と事件が無関係とは考えづらい。

4.

より小さなスケールの住み分けについても明らかになってきている。

1880年から1940年までのニューヨークとシカゴにおける住み分けを高精度で調査した報告がある。

19世紀の手書きの国勢調査票をもとに、国勢統計区よりもさらに詳細な通りや建物別に、どんな人種の人が住んでいたのかを調査したものだ。

その結果によると、融合していると考えられていたネイバーフッドの多くは実はそうではなかったことがわかった。

白人の多いネイバーフッドに住んでいた黒人の多くは住み込みや雇い主 (白人) の近くに住む召使で、隣り合うアパートも人種によって住み分けられていた。

白人と黒人が近くに住んでいると、ネイバーフッドでの住み分けは少なくみえる。両人種間の物理的な距離は近くても、社会的な距離は絶望的に大きい。

5.

住み分けはなくなっていない。19世紀にネイバーフッドの中で起きていたことが、21世紀では都市や郊外のコミュニティ単位で起きている。ちがうのはスケールだ。

社会学者のクロード・フィッシャーによれば、「住み分けはスケールの問題」になる。

住み分けが1970年代にピークを迎えたというのは、当時の住み分けのスケールが国勢統計区に近かったためとは考えられないだろうか。

マクロの住み分けの進行は、都市内の人種的な同質化が進んでいることを示唆している。都市の同質化が指摘されることが多いが、理由のないことではないのだろう。

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多くの人種や民族が住むニューヨークなどの都市は「人種の坩堝」といわれることがある。だが異人種が完全に融合し同化することは稀だ。

実際に、多様性が高い都市では住み分けが進んでいることが多い。むしろ「モザイク」とよぶ方がふさわしい。そのモザイクのサイズが大きくなっているのかもしれない。

6.

社会的な距離は国勢調査よりも映画にみることができることがある。

憎しみ」はパリとその郊外の間の距離を示した。ペドロ・コスタはリスボンのはずれにあるスラムの取り壊しとそれに伴い転居する住民たちを鮮烈にみせてくれる。

1970-80年代のニューヨークの映画に都市内の社会的な距離を扱うものが多かったのは偶然ではないのだろう。マンハッタンのなかにも社会的なとび地があちこちに存在した。

人が移動すればストーリーの所在も移動する。

都市とその周辺部の社会的な距離が広がりつつあるとすれば、米国でも都市の外のコミュニティがこれからスクリーンに現れるようになるのだろう。

(2015年12月29日「Follow the accident. Fear the set plan.」より転載)

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