3月10日の欧州中央銀行(ECB)の政策理事会まで残り1週間となった。
追加緩和を事実上予告した前回1月の理事会後、長期にわたる低金利あるいはマイナス金利の銀行収益への影響を懸念して世界的に銀行株、銀行が発行した債券の価格が下落、緊張が高まる局面があった。それでもECBの追加緩和方針は変わらないのだろうか。
本コラムでは、2月29日、3月1日の2日間滞在したフランクフルトで面談したECBやドイツ連銀のマクロ・プルーデンス政策(*1)の専門家や民間金融機関のエコノミストらとの金融緩和策の効果と副作用、金融システムの安定性についての議論から受けた印象を紹介する。
3本柱のECBのデフレ・リスク回避策―注目度が高いのはマイナス金利と量的緩和
ECBの金融政策は14年6月の追加緩和以降、最長4年のターゲット型資金供給(TLTRO)、所要準備を超える中銀預金にマイナス金利を課すマイナス金利政策、資産買い入れプログラム(APP)と称する国債等を買い入れる量的緩和の3本の柱からなる新たな段階に入った。
3本柱の政策に対する市場の関心は濃淡がある。TLTROは、ユーロ圏内の貸出の下支えに一定の効果を発揮しており、かつ、追加緩和メニューに組み込まれる可能性はある(*2)。
しかし、銀行側の需要で規模が決まることもあり、ユーロ圏外の市場参加者の関心は薄く、もっぱら話題となるのはマイナス金利政策と量的緩和の行方だ。
変わりつつあるマイナス金利の評価
筆者が有力と考えている中銀預金金利の再引き下げは、フランクフルトでも3月実施が確実視されていたが、前回12月の利下げ時に比べ、効果は期待しにくく、副作用は大きくなりやすいという意見で一致した。
まず、マイナス金利政策の波及の主なルートとなってきたユーロ安効果は、米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げ先送り観測とドル高是正の流れによって期待し難くなってきた。
さらに、銀行収益に対しても、時間の経過とともに副作用が拡大するという懸念が強まっている。19カ国が構成するユーロ圏の銀行システムの構造は多様であり、収益環境も異なるため、効果と副作用のバランスの表れ方に違いがある。
ただ、全体で見れば、マイナス金利の導入当初は、銀行は国債など資産価格の上昇、資金調達コストの低下、不良債権比率の低下、引当負担の軽減などの恩恵が生じる。しかし、銀行収益に対する効果は時間の経過とともに薄らぐ。
フランクフルトでは、中銀預金金利がさらに引き下げられたとしても、ドイツの銀行が個人預金にマイナス金利を適用することはないと考えられていた。預金金利に下限がある一方、利下げ前に実施された固定金利貸出の償還などが進めば、利鞘の縮小が一気に進む。
収益悪化を補うための高リスクなビジネスへの傾斜が助長され、住宅市場などでバブルが醸成される可能性が高まる。
マクロ・プルーデンスの専門家らは現段階では、金融システミックのリスクが警戒レベルに達しているとは考えていなかった。圏内の銀行監督・破綻処理体制を一元化する銀行同盟への取り組みが進み、銀行の資本基盤は以前よりも強固になっている。高リスク・ビジネスへの傾斜の兆候はごく限定されている。
ただ、マイナス金利政策の副作用は「水準の深さ」だけでなく「期間の長期化」によっても拡大することも強調した。
金融システムの安定性の観点からマイナス金利の限界が意識されつつあるように感じられた。
引き続き高い量的緩和拡張のハードル
量的緩和の拡張策としては、昨年12月に17年3月までに延長された期限の再延長と、昨年12月に見送られた月間600億ユーロの買い入れ規模拡大がある。いずれを選択するにせよ買い入れルールの変更が必要になる。
ドイツも含めて、国債等の発行残高の経済規模に対する水準が相対的に低い国は期限前の段階で買い入れ上限に達してしまうからだ。
民間エコノミストらが挙げたルールの変更策は、高格付けの無担保の銀行債や社債などへの買い入れ対象の再拡大、1銘柄当たりや発行体あたりの買い入れ上限の引き上げ(*3)、国債の買い入れ割合の決定方式の変更など。ただ、これらの変更について、政策理事会内でのコンセンサスの形成は容易ではないとも考えていた。
仮に、国債の買い入れ割合の決定方式が、現在の人口と経済規模に応じて決まるECBの出資比率から国債発行残高に変更されれば、政府債務残高の名目GDP比がユーロ圏の平均(15年9月時点で91.6%)よりも大きいイタリア(同134.6%)やポルトガル(同130.5%)などに恩恵が大きくなる。
ユーロ圏経済全体の底上げという面では両国へのサポートの強化は望ましいように思われるが、当然のことながら財政規律を重視する立場からは賛同が得にくい。
紆余曲折を経て1年前に始まった量的緩和の拡張のハードルも決して低くはなっていないという印象を受けた。
銀行規制・監督体制改革の影響
ユーロ圏の銀行システムの安定性が、ここにきて改めて注目されるようになったのは、マイナス金利政策だけでなく、今年1月、単一破綻処理メカニズム(SRM)の本格始動が、世界的な市場の動揺のタイミングと重なったこととも関わっている。
SRMは、14年11月からECBが担うようになった単一銀行監督制度(SSM)とともに銀行同盟の柱を構成する。SRMの再生・破綻処理はEUの指令(BRRD)の規定に従って債券投資家に損失負担を求めるベイル・インが原則となる。
銀行経営の健全化のための自己資本比率等の見直しとともに銀行の無秩序な破たんによる金融システミック・リスクや銀行救済(ベイル・アウト)のための多額の公的負担の発生を防ぐため、世界金融危機を教訓に導入された。
銀行システムの安定性を高めるためのルールではあるものの、昨年末のイタリアやポルトガルの銀行のベイル・インで波紋が広がり、大手銀行の収益悪化をきっかけに偶発転換社債(COCO債)(*4)市場が動揺した。
ここにきて、銀行システムの問題に対して政府の関与が制限されることによる市場を通じた伝播のリスクが意識されるようになっている。
ユーロ圏の新たな銀行規制・監督体制が導入されて間もなく、しかも完成までの道のりは遠い。19カ国で構成されるため関係機関も多く、EUとしての枠組みとユーロ圏としての枠組みの関係もわかり難い。
今回話を聞いたマクロ・プルーデンス政策の専門家らは、最近の市場の反応は誤解に基づく部分もあるため、情報発信や市場とのコミュニケーションの改善が重要と考えていた。
しかし、マクロ・プルーデンス政策や個別金融機関の健全性を監督するミクロ・プルーデンス政策の情報発信は、金融政策以上に困難な部分があり、十分な注意を必要とする。
その具体的な方法は手探りの段階であるようだ。
(*1) 金融システム全体のリスク分析・評価に基づく、システミック・リスク回避のための政策。欧州連合(EU)では、世界金融危機を教訓とする金融監督体制改革により導入された。ECB、ドイツ連銀では3カ月に1度、金融システミック・リスクを点検する会合を開催しており、分析・評価レポートとして半期に1度「Financial Stability Review」をまとめ、公表している。
(*2) 14年9月から3カ月毎に行われてきたが、今年6月が最後となる。いずれの場合も償還期限は18年9月である。
(*3) 債券を保有する投資家の多数決で事後的に償還期限や金利などの条件を変更できるようにする集団行動条項(CAC)発動の妨げとなることを避けるため、1銘柄当たりの買い入れ上限は当初25%に設定され、15年9月にCAC条項が付与されていない債券は33%に引き上げられた。ユーロ圏では欧州安定メカニズム(ESM)条約で13年1月1日以降発行された償還期間1年以上の国債のすべてにCAC条項が付与されている。
(*4) 一定のトリガーに抵触したときに元本削減または株式転換を行う契約条項を入れた債券。
関連レポート
(2016年3月3日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
経済研究部 上席研究員