過去の問題に強まるメディアの関心
拙著「ドイツは過去とどう向き合ってきたか(高文研)」でも詳述したが、この国のメディアは、第二次世界大戦中の自国の犯罪について、極めて頻繁に報道する。しかもこの種のニュースは、紙面上で優先的な扱いを受ける。敗戦から70年経って、ナチスの過去についてのメディアの関心は衰えるどころか、むしろ強まっている。
たとえば、スターリングラードの例に見られるように、放送局が記録フィルムを使って過去の事件について伝えるだけではない。ここ数年は、ナチス・ドイツで指導的な立場にあった人物を、ドラマと記録フィルムで浮き彫りにする「ドキュ・ドラマ」も盛んに放映されている。
たとえば公共放送局ARDは、2012年2月に「シュペーアと彼」という「ドキュ・ドラマ」を放映。主人公は、ナチス政権の中で最も有名な閣僚の1人、アルベルト・シュペーア軍需大臣。シュペーアはヒトラーのお気に入りの建築家で、ナチスの軍需生産を支えた立役者の1人だった。しかしヒトラーの国土破壊計画に反対したことや「ユダヤ人虐殺には関与していない」と主張し続けることによって、連合軍による処刑を免れた。
またARDは、2012年11月にエルヴィン・ロンメル元帥の実像に迫る「ドキュ・ドラマ」を放映。ロンメルは、第二次世界大戦中のドイツの軍人の中で最も有名な人物。ロンメルは、フランスや北アフリカで戦功を残した。だが1944年のヒトラー暗殺未遂事件にからんでいた疑いをかけられて、ナチスによって自決させられた。
これらのドキュ・ドラマに共通するのは、有名な人物に対する批判だ。シュペーアやロンメルのように、敗戦直後は「ナチスに少なくとも消極的に反抗した」と思われていた人物を改めて批判的に分析し、実は保身のためにナチスに協力した「同調者」だったと結論づける。俳優によるドラマ部分は、必ず歴史学者とのインタビューによって補強されている。
2013年には、ドイツのテレビ界が歴史問題をいかに重視しているかを示す番組が放映された。公共放送局ZDFが同年3月17日から3日間にわたり放映した、合計4時間半の反戦ドラマ「Unsere Mütter, unsere Väter(私たちの母たち・父たち)」である。5人のドイツ人の若者が、第二次世界大戦によって運命を狂わされていく様子を、綿密な考証に基づいて描いた。このドラマは大きな社会的反響を呼び、日曜日の午後8時15分に放映された第1回は、722万人が見た。(日本では「ジェネレーション・ウォー」という題名でDVDが発売されている)
日曜日の夜というゴールデンアワーに、硬派の反戦ドラマを放映する姿勢は、敗戦から70年近く経ってもナチスの犯罪を心に刻むドイツ社会の気骨を感じさせた。今日の日本のテレビ界では考えられないことだ。
ドラマには、ドイツ兵がパルチザンによる爆弾テロの報復として村人たちを銃殺したり、集団絞首刑にしたりするシーン、親衛隊の将校がユダヤ人少女の頭を拳銃で撃ち抜くシーンなど、目をそむけたくなる場面が頻繁に現われる。無垢な若者が、戦場の現実を体験することで、冷酷な殺人マシーンに変わっていく過程が淡々と表現されていた。ドイツの放送局がこれほど残虐なシーンを含むドラマを放映したのは初めてだ。この番組も、ドラマの後に歴史学者やホロコーストの生き残り、元兵士のインタビューで補強されていた。
FAZ紙の共同発行人の1人だったフランク・シルマッハー記者(故人)は、「祖父や祖母、子どもと一緒に番組を見て下さい。そして、ドラマの内容や祖父母の体験について、語り合って下さい」と述べ、この作品を推奨した。
なぜドイツのメディアは、これほど積極的にナチス時代の過去を取り上げるのだろうか。この問いに答えるには、今日のドイツが「ナチスの過去との対決」を国是にしているという事実を知ることが不可欠だ。
歴史上例のない犯罪
ドイツ社会では、「ナチスの犯罪は人類史上例がない」という見方が主流となっている。
歴史上、大量虐殺は世界各地で、様々な民族によって行われてきた。米国でのインディアンに対する迫害、スペイン人による南米での虐殺、英国政府によるインド人に対する圧政、ソ連による反体制派の迫害、中国の文化大革命・・・・・。しかし市民の中の特定のグループを迫害するために法律を制定し、工場のような施設を建て、流れ作業を行うようにして、罪のない市民を数百万人単位で殺した民族は、ドイツ人以外にない。
ユダヤ人殺害を専門に行っていた親衛隊の「特務部隊(Einsatzgruppe)」の報告書を見ると、彼らがポーランドやソ連で毎日殺したユダヤ人の数を細かく記録して「戦果」をベルリンの本部に伝えていたことがわかる。
彼らが殲滅しようとしたのは、ユダヤ人だけではない。同性愛者、共産党員、社民党員、シンティ・ロマも殺害された。ヒトラーは1939年に心身障害者の虐殺を命じ、約7万人が「生きる価値のない人間」という烙印を押されて殺害された。ナチスはこの虐殺を消毒と呼び、ある文書に「消毒行為によって、1年間に食費など885億4398万ライヒスマルクを節約できた」と記録している。人間性のかけらもない。
時折日本では、広島の原爆による被害をアウシュビッツでの虐殺と比較する論者がいるが、そうした考えはドイツやイスラエルでは拒絶される。ドイツ人とユダヤ人の間では、「ナチスの犯罪は唯一無二であり、他の戦争犯罪と比較できない」という見方が定説だ。広島の原爆投下も人道に反する戦争犯罪だが、その形態や規模、背景はナチスの他民族迫害とは異なる。
私は、23年間ドイツに住んで、この国の社会について批判したいことも山々ある。たとえばドイツが世界第三位の武器輸出大国であり、中東・南欧諸国に積極的に武器を売っていることは、大きな問題だと思う。しかしドイツ政府が第二次世界大戦の終結から70年経った今も、連邦議会で毎年ナチスの犯罪を心に刻む式典を催していることには、敬意を表する。
(続く)
(朝日新聞社「ジャーナリズム」掲載の記事を転載)