東京オリンピック・パラリンピックの開会式で、渡辺直美さんを動物に例える演出案がありました。渡辺直美さんはYouTubeで、連日の報道で傷つく人がたくさんいるだろうと悲しみ、自分の体をポジティブにとらえていると語り、「渡辺直美」を見てほしいと訴えかけました。そしてもう2020年代なのだから人の体型のことをまわりが言うことはおかしい、と真剣に指摘しました。
私はこの動画を何度も見返し、涙しました。
私は生まれながらに骨が折れやすく、身長が100センチで5歳の子どもくらいの大きさしかありません。電動車いすに乗っていて、見た目がめずらしい私は、外見でレッテルを貼られ、モヤモヤしたことがあります。見た目が変わっているのだから仕方ない、と思うときもあれば、心ない言葉に悲しくなることもあります。
渡辺さんの「見た目いじり」の否定と、「渡辺直美(という個人)を見て」というメッセージは、長年、見た目いじりに対してチクチク心が痛みながらも、仕方ないよねとあきらめてしまっていた自分を慰めてくれました。そして、今こそ時代を前に進めるために、私も私なりに声をあげていきたい、と思わせるものでした。
「あー!障害者だ」と指をさされてきた日常
電動車いすで街を移動する身長100センチの私。街中で子どもたちに指をさされながら「あー!障害者だ」「見て、ちっちゃい!」と言われることがよくあります。そんな時、私は笑いながら「何歳だと思う?」「どうしてちっちゃいと思う?」と聞いたり、時には「ドラえもんのスモールライトを使ったんだよ」と言ってみたりします。
私のことや、障害者という存在を知ってもらういいタイミングだから、敢えてそうして話かけるのです。楽しく会話が広がっていくときもあるけれど、私を見ながら、コソコソと話をしたり、逃げるようにどこかに行かれたりすると、やっぱり嫌な気持ちがします。
また、学校で「障害のある人を見たら声をかけましょう」と習う子どもたちもいるようで、登下校中にすれ違う人々の中から私だけに「こんにちは」と声をかけられることもあります。挨拶は嬉しいのだけど、明らかに「車いすだから」といって声をかけてもらうのは変な感じがします。
見知らぬ子どもたちに、すれ違いざまの一瞬で私のすべてを知ってもらうのは無理です。そうわかっていても、見た目で指をさされるのは、心が削られていく時があり、それが積み重なると、けっこうなダメージが。それに耐えるために、わざと気にしていないフリをして、「仕方ないよね」と自分に言い聞かせ、やりすごすこともありました。
「良かれ」と思っても見た目いじりはダメ。
他方で、私は5歳と7歳の子どもを育てる親でもあります。わが子たちは普段の会話の中で「障害」という言葉をよく使うので、マイナイスイメージはないようで、「家族の中でママが一番小さいね」と話すことも。車いすに乗るのは楽で便利だ、と思っているくらいです。
しかし、だからといって、他の障害がある人や、小さい人にも、「障害者だ」「見て、車いす!」と声をかけていいのかはまた別の話。障害者への偏見がないのはいいことだけど、相手の外見について言葉をかけていいのかは別の問題です。
外見によって人を評価、判断、差別することをさす「ルッキズム」という言葉も広まってきました。相手の体型をはじめ、見た目を口にすることは相手を侮辱したり、人権侵害になったりするという考え方は、アメリカやヨーロッパでは“当たり前”になっているといいます。たとえそれが、スタイルがいいですね、かわいいね、という「良かれと思った」言葉であっても、です。本人がもともと持っていて、変えることができない要素、例えば体型や人種などのカテゴリーで相手を褒めるのではなく、持ち物や、洋服、本人の行動を褒めるのが大切だ、という考えが広まっています。
「障害者」ではなく「伊是名夏子を見て欲しい」
さて、冒頭の渡辺直美さんの話に少しだけ戻ります。
私が彼女のYouTubeでの発言でもっとも心を打たれたのは「自分のことは自分で決めたい。自分に誇りを持ってほしい。自分を表現してほしい。『渡辺直美』を見てほしい」という言葉でした。
私も障害者として生きていて、「私が私として」見てもらえてないと感じることがたくさんありました。電車に乗って移動しているだけなのに「おでかけするなんてすごいね」と言われたり。大学に入学した時、キャンパスを歩いていても、サークル勧誘のフライヤーを私だけは渡されなかったり。買い物をするとき、お店の人に商品について聞いても、店員さんは常に私の顔を見ずに、そばにいる人に答えたり。わが子と一緒にお散歩をしていても、子どもたちは「お手伝い偉いね」と声をかけられたり。
私が車いすに乗っていて、身長も極端に小さくて子どもに見られてしまうのは仕方のない事実だけれども、私にだって見た目以外の要素もたくさんあります。目立つ見た目のことばかりを言われた、障害者はお断り、障害者は無理だよね、という態度をされると、本当の私を見てくれていないと感じてしまい、悲しくなります。
私がやっていることや好きなことー例えばコラムを書いたり、子育てをしていたり、紅茶を飲むことやパンダが好きということだったり、性教育の勉強をしていたりーが認められていないと、感じてしまいます。私も渡辺直美さんと同じで、「伊是名夏子を見てほしい」といつも思っています。
「私はこれが好き。あなたは?」から会話をはじめてみませんか
もちろん、容姿に言及することを全てやめるべきだ、と言っているわけではありません。家族や友だちが親しみを込めて「かわいいね」と声をかけることもあるでしょう。信頼し合える関係の人に、愛情表現のひとつとして、見た目をほめることを全否定しているわけではありません。でもそれは、あくまでお互いの信頼関係、人間関係があってのこと。初対面だったり、気持ちを伝えあうことができない関係で、相手の容姿を話題にするのはよくありません。変えることのできない、生まれ持った要素(体型や人種、性別)を褒めたり、批判したりするのは、もうやめましょう。
そう言われると、何から話せばいいの?と思う人もいるかもしれません。
まずは「この髪形、カバン、素敵ですね」と体型や生まれ持ったもの以外の部分を褒めることができます。また「私はこれが好きですが、あなたはどう思いますか?」「私はこういうのをかわいいと思うのだけど、あなたは何がかわいいと思う?」と、お互いの好きなことや考えを話し合うところからはじめませんか?
いまは2021年。東京オリンピック・パラリンピックをめぐっては、皮肉にも、世界中から注目が集まり、日本が今まで見過ごしてきた、女性蔑視的な考え方やルッキズム、同調圧力など、社会の“膿”が出ているように感じます。
一人一人が自分を大切にして、自分らしく生きられるように、考え方も、声掛けもアップデートしていく時代です。無知がゆえに、相手を傷つけてしまったりすることもあるかもしれません。肝心なのは、常に学び、間違えたら謝って、アップデートしていく姿勢です。
一人一人の言葉と行動が、全体の考え方や文化を変えていきます。1人の100歩より、100人の1歩を。「本当は嫌だったんだよね」と思っていたことに、少しだけ声をあげてみませんか?時には失敗したり、批判を受けたりする時もありますが、この新しい時代には味方だってたくさんいます。一緒に新しい時代を築いていきましょう。
(文:伊是名夏子 @izenanatsuko 編集:南 麻理江 @scmariesc /ハフポスト日本版)