新国立競技場問題に関して引き続き報道が続いています。
なにやら、この件ではスポーツ報知が急浮上してきていますね。
舛添知事、屋根なし新国立に危機感「豪雨の時どうするの」
2015年5月20日6時0分 スポーツ報知
東京都の舛添要一知事(66)は19日の定例会見で、2020年の東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の整備計画が大幅見直されたことに「強い危機感を持っている」と表明した。18日に下村博文文部科学相(60)と会談した際、フィールド部分を覆う開閉式屋根や座席が一部仮設化されるとの報告を初めて受けた。「(屋根がないのは)青天の霹靂(へきれき)だった」と振り返り、官邸などにも情報公開を求めていく姿勢を示した。
(中略)
舛添氏は五輪後の新国立の運営方法についても言及。かつて視察した08年北京五輪のメインスタジアムが赤字が続いているとして「責任と能力がある人が運営すべき」と指摘した。文科省などは安倍晋三首相(60)ら官邸にも説明をしてこなかったとして、「国は危機感を持っている」とも述べた。
なるほど、さすが喧嘩屋舛添知事という発言内容です。
1.
計画が大幅見直されたことに「強い危機感を持っている」
2.
「屋根を削っても1000億台は確実」
3.
「責任と能力がある人が運営すべき」
「国は危機感を持っている」
以前、悪い例として内藤廣さんの「諸氏へ」を研究素材として、ディベートでレトリックに失敗すると詭弁となるという特集をやりましたよね。
内藤文書の解題4
内藤文書の解題5
内藤文書の解題6
内藤文書の解題7
内藤文書の解題8
内藤文書の解題・付録
逆に、この舛添氏の論旨はレトリックを効かして攻撃力を10倍くらいにしている例です。
1.
計画が大幅見直されたことに「強い危機感を持っている」
で個人的意見、感想として危機感をもっている。
当然です、急に聞いた話なのですから、そこで「びっくりしています」と日常語に流れるのではなく、「晴天の霹靂」というちょっと難しい文語調の慣用句を用いるのも、折り目正しい印象です。
2.
「屋根を削っても1000億台は確実」
次に、「屋根を削っても」と、
「屋根を削るんで安くするんで金をくれ」と言いにきた下村大臣の論旨の立脚点を破壊しています。
同時に具体的数字をあげて下村大臣以上の情報をもっていることを示唆しています。
下村大臣は足場が崩れてフラフラの状態です。
そして、畳み掛けます。
3.
「責任と能力がある人が運営すべき」
「国は危機感を持っている」
「能力ある人がすべき」これは「今の人は能力なし」と言っているのといっしょなのですが、
反語になっているのでさらに立派に聞こえます。
そして、1.と呼応するように「国は危機感を持っている」ですが、
これは正確には
(舛添だけが危機感をもっているのではなく)
「国も」、「危機感を持っている」
つまり、内容の論旨は
「下村大臣は無能である。国が危機感をもっているのだから」
です。
東京都知事として、当事者に成り変わろうということなのでしょうね。
ただ、都知事ならずとも世の中のみなさん全員が心配していると思います。
「何だって?2019年っていえばまだ4年もあるんじゃないの?」
「何が間に合わないの?」
と
この意味はですね、「今の路線でいるともう間に合わない」と、
解釈すべきです。
電車と同じです。
途中で事故があった、もしくはこの先に線路がない、障害物があるのでこのままこの電車に乗っていても目的地に間に合わないんです。
ならば電車を乗り換えればいい。
もう一度以前解説した流れを確認してみましょう。
で、今どこかというと
上記文章書いた3か月前となんにも変っていない。
元の国立競技場を壊しただけ。
実は新国立競技場計画は、
1年前から何ひとつ前に進んでいないんです。
てことは2年間なんにも前に進んでいないんです。
前に進められないんです。
でも、みんな真面目というか、ロボットというか、羊というか、自己保身というか、無責任というか、いろんな言い方があります。
外野はなんとでも言えますが、関わってきた中の人には職務と権限範囲があります。生活があります、家族もあれば、借金もある、子供の学費も払わなければならない人もいるでしょう、生きていかなくてはいけません。
しょうがないといえばしょうがない。
組織内部の人間が反乱したり異論を述べたりするなら、脱藩と引き換えです。
逆に、それぞれのパートで文句ばっかりつけるような組織では全体がおかしくなりますよね。
結局、ヤバいと言えない雰囲気と仕組みを作り出した今回の組織構造のトップがいいかげん、フロントが阿呆なんです。
誰とは言いませんが、ていうかいつも名指しで言ってますが。
もうそんな人は後でみっちり皆で叱り飛ばすとして先を急ぎましょう。
今の新国立競技場の路線は目的地に着きません。
運転手と車掌さんから車内放送がありました。
だから、今から電車を乗り換えよう!
今スグこの目的地に行きつくことのない妄想列車から降りよう。
そして、もっとも速く到着する列車に落ち着いて乗り換えれば、十分間に合います。
間に合わせるための計画案を考えていきたいと思います。
まず、ですね。
条件を整理します。
規模
久米設計の既存改修案時代からの一番の難問だった8万人収容ですが、これはもはや条件から外されています。
5万人+オリンピック時は仮設3万人となりました。
つまり5万人規模です。
ま、悔やんでもしょうがないでしょうけど、(一番悔やんでるのは私なんかじゃなくて、当事者JSCの施設監理者、特に芝の育成に関わっていた方々でしょうし)
元の国立競技場のままです。
続いて、施設機能
オリンピック後は(どこかのプロチームの)本拠地にする。
陸上と球技場の併設はどちらでもよい。
となってしまっています。
すっかり合理的な考え方になりました。
新国立競技場コンペを通じて、本当に必要な真の機能や規模に目的が絞られました。
つまり、世界中から応募案を募集したコンペイベントによって、新国立競技場に関わる様々な人々の思惑が一掃されています。
同時に、このコンペ大失敗、実施設計失敗、計画失敗を通じて、
日本国民全員が、「建築計画に詳しくなった。」
日本国民全員が、「公共施設工事の流れに詳しくなった」
日本国民全員が、「官僚や政治家といえども自分らと同じと理解した。」
日本国民全員が、「建築家にもいろいろあるということを理解した。」
ということならば
雨降って地固まるの言葉どおりに受け止めればいい。
大雨が降って、嘘つきは流されていったが、
固まった、地が
定められた、目的が
2019年ラグビーワールドカップまでに、芝生が根付いていること
です。
これからは間違わない。
もう迷わない。
もう逃げれない。
新国立競技場コンペ失敗ありがとう。
(2015年5月20日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)