「自分に特別な才能があるとは思えない。あるのは過剰な好奇心と合理的な判断」
「今も30年後も、無一文になったとしても恐らく困らない。どうにでも生きていけるんじゃないか」
淡々と気負いなくそう語る写真家・石川直樹さんの歩んできた道のりは、いわゆる「普通の人生のコース」からはかなりかけ離れている。一度も就職せず、旅を生業にする生きかたを実現するために、どんな風に行動してきたのか。芸術を自らの「生きる技術」に変えた石川さんに、前編に続いて話を聞いた。
石川直樹さん
■肉体を酷使する究極の「旅」、その次のステージは?
――現在、39歳。これまでの20年間は「肉体を酷使する旅」をしてきたわけですが、次はどんなステージへ向かうのでしょう。
2015年にもハフィントンポストにインタビューしていただきましたが、身体的な旅の限界というか、究極が自分にとってはK2だったんです。さらに行き先をヒマラヤからアラスカに変えて、昨年に一人でデナリに登れたことで、自分の中ではそういった旅に一区切りがつきました。これからは、種を蒔くというか、「伝える」作業のほうにも重きを置いていきます。今まで自分が得た経験を、ワークショップなどを通じて人に伝え、シェアしていきたいですね。
昨年、瀬戸内海に面する高松にフォトアーキペラゴ写真学校という社団法人を立ち上げました。四国・中国地方の写真の発信地となることを目指していて、ぼくが講師を務めています。その他にも北海道の知床半島で写真ゼロ番地という団体に関わってワークショップをおこなったり、沖縄本島では、フォトネシア沖縄という団体の理事にもなっています。こうした場所で、自分の経験を伝えていく作業にもこれからは力を入れていくつもりです。
――活動の拠点はあえて地方を選んだ?
東京はすでにいろんな選択肢がありますからね。北海道のなかでもさらに東の端に位置する知床や、南の沖縄、そして中国・四国地方には写真に重点を置いた拠点のようなものがあまりありません。東京とは別の視点で、地元から発信できる場所を作る、そこから広がるネットワークに期待しています。
ワークショップは仕事ということを抜きにして、積極的に取り組んでいます。高校2年生のときに行ったインドが自分の糧になったように、後々いろんなことに繋がっていくだろう、と。もちろん繋がらなくてもいい。K2遠征なども同じです。「何百万円もお金をかけて、死ぬかもしれない山へ登りにいくってバカか」と思う人もいるでしょうけど、その経験は、必ず人生を豊かにしてくれる。たとえ登頂できなくても、学校で学ぶ密度の何十倍もの学びを数カ月の遠征で得られるんです。お金や時間のやりくりを理由に実行しないことは簡単ですけれど、どうにか一歩を踏み出せないだろうか。自分は常にそう考えて旅に出てきました。
■バブルも就職氷河期も、実感としてわからない
――石川さんは1977年生まれの東京出身。小学生のときはバブルの東京を間近に見て、大学時代は就職氷河期を経験したロストジェネレーション世代ですが、自分の将来についてどんな風に考えていましたか。
バブルの浮かれ感とか就職氷河期の厳しさとか、ぼくは全然わからないんです。実感がなかった。世間がどうであろうと関係なく、テントと寝袋を持って海外も国内も歩き続けてきました。就職活動も会社勤めも一度もしたことがないし、しようと思ったこともない。ただただ自分の道を突き進むことができた幸運な人生だし、ある意味とても恵まれていたんだと思います。
――現代社会で「一度も会社員になったことがない」人はかなり少数派では。なぜその選択を?
作家も写真家も、みんなほとんどフリーでやっていますよね。カヌーイストの野田知佑さんも作家の開高健さんも写真家の星野道夫さんも、ぼくが20代のときに著書を読み漁ってきたような人たちは、みんな自由だった。尊敬する人物が皆そういう人たちばかりだったので、一人でやっていくことは半ば自然な道筋でした。野田さんや開高さんは会社勤めも経験していますが、結局一人の道を選んでいくわけです。
ぼくは立派な家が欲しいとか贅沢したいとかそういった欲望がほとんどないんです。家は雨風をしのげればそれでいいし、野宿も慣れている。実際どこでも寝泊りしてきたわけで、定職について定住して、という生き方のほうがむしろ自分には奇異に思える。それは17歳のときにインドを旅してから、変わっていないかもしれません。
■就職せずに生きたいのなら、やるべきことはシンプル
――けれどもやりたいことをやって生きるためにはお金も必要です。そのために「就職」という手段を選ぶ人がほとんどだと思いますが、石川さんは就職せずとも収入を得る道を模索した。そのために具体的にどんな行動を取りましたか。
まずは会社に入らずに生きていく方法について考えました。作家、写真家、画家、音楽家、他にもいろいろな選択肢がありますが、その中でぼくは「本」と「写真」が好きだったので、じゃあ作家や写真家はどうかな、と思いました。高校生くらいの頃でしたかね。それから先人の生き方や作品について、学んでいったんです。写真家になりたいなら写真史を学び、名作とされる写真集を片っ端から見て、過去に誰も取り組んでいないことを見つけ出して、提示しようと思った。それだけです。
だから、今まで世に出てきた写真家の作品たちをきちんと見て学ぶことは大切なんじゃないかな、と思います。ぼくがこれまで熱意をもって取り組んできたのは、過去に誰もやっていないであろうことや、まだまだ未知の部分が多いな、と感じたテーマばかりです。それは、才能とかの問題じゃない。自分は好奇心は人一倍あるけれど、特別な才能があるわけではありません。そもそも才能のあるなしで「できる/できない」という風に考えたことがあまりないかもしれません。
例えば『NEW DIMENSION』というシリーズを2007年に出しましたが、これまで先史時代の壁画に出会うプロセスを写真で提示した人はおそらくいませんでした。2010年に出した『CORONA』というシリーズでは、ポリネシア・トライアングルと呼ばれる広大な海域に存在する島々を巡りましたが、そのテーマを包括的に写真に収めた人もいなかった。こうして、過去に誰もやってこなかったことを自分なりのやり方でやってきたつもりです。
表紙
シリーズ「NEW DIMENSION」(2007)より
表紙
――才能や運ではなく、あくまで合理的な判断がベースにあるということですね。そういった「見抜く力」を鍛えるためにできることはありますか?
普段から自分の目で見て、耳で聞いて、体で感じながら、物ごとを理解しようと努めることですかね。インターネットで調べただけで知っているつもりにならず、身体を通して考える。「俺、世界一周したから、もう旅は飽き飽きですよ」なんて言う人がいたとしたら、結局その人は旅で何も見ていなかったんじゃないかな、と思うんです。旅ってスタンプラリーみたいに点と点を繋ぐことではないでしょう。世界は自分が考えているよりもずっと豊かだし、未知なるものに溢れているはずです。そして、無限に出会うべきものがある。人生に影響を及ぼす大きな出会いを導く一つの手段として、ぼくは旅がとても有効なんじゃないかなあと思うんです。
だから、ちょっと見たり調べたりしただけで、世界を知っているつもりにならないで、できることなら子どものようになんでも触ったり匂いを嗅いだりしながら全身で世界を知覚しながら生きていきたい。そうすることによって、家から駅まで歩くあいだにも未知の風景を見出すことができる。歳をとるにつれて、どうしたって取り入れる情報や知識が増えて、知っているつもりのことがどんどん増えていくわけですが、カメラがあることで少しだけ踏ん張れる。素通りすることなく、目の前の世界を凝視することができる。だからこそ、いつもカメラと共に歩き、反応した先から写真を撮りながら、世界を知覚していきたいなあと思っているんです。
■芸術とは「生きるための技術」である
――石川さんは20代の経歴を見ると、早稲田大学卒業後に東京藝術大学大学院の美術研究科・先端芸術表現専攻に進学されています。旅という実践だけでなく、座学も必要だと感じての選択だったのでしょうか。
大学時代、ぼくは星を見ながら海を渡る伝統航海術にのめりこんでいて、ミクロネシアなどでフィールドワークをしていました。ただ、文化人類学の視点からその成果を論文にまとめるよりも、自分自身が習得するほうに向かってしまった。客観的な研究テーマというより、生きていくための知恵として、自分自身で身に付けたいと思ってしまったんです。あわよくば、それを身に付けて自分で航海したいなあ、と思っていた。星の航海術という人類の叡智についてぼく自身どのように関わっていいかわからなくなっていたとき、東京藝大の伊藤俊治先生と出会いました。そして、伊藤先生が、こうした生きるための技術こそが芸術そのものなんだ、と教えてくれたんです。目から鱗が落ちるとはこのことで、そんなきっかけもあって大学院に進むことにしました。
それまでの自分は北極から南極までを人力で旅したり、七大陸の山に登ったりするような肉体を酷使する旅に執心していたわけですが、大学院ではもっと違う形で世界に触れる旅があるんだということを教わりました。人々がトランス状態に陥るような祭祀儀礼は、時間や空間を軽々と飛びこえてしまう。一つの見方をほんの少し変えただけで、目の前の世界がまったく違って見えてくる。目の前の世界はひとつしかないけれど、その人の見方によって、千差万別、常に変化し続ける。24歳から29歳までの5年間、東京藝大の大学院で学んだことは、その後の自分の視野を途方もなく広げ、深めてくれたと感じています。
――本当の知識や教養を身につけると、世界の見方が変わってくる?
そうかもしれません。流動し続ける世界から、見えない秩序というか軸のようなものを見出す術を教えてくれるのが教養だと思うんです。自分が「何も知らない」ということを逆に教えてくれる。ぼくは芸術こそ教養の産物だと思うし、リベラルアーツそのものではないか、とも思うんです。芸術(art)の語源は、ラテン語の「アルス」で、もともとは「技術」という意味でした。医術や天文学など、生きることと直結する技術こそが昔は芸術だった。だから、優れた芸術作品は人々の気持ちを揺さぶり、世界の見方を変えてしまうような「生きるための技術」として存在していて、もっともっと人を自由にしてくれるものなんじゃないか、とぼくは思っています。
シリーズ「POLAR」(2007)より
■未知の場所へ向かって歩き、手探りで世界を知覚する
――今年は40歳に。10年後、20年後のライフプランは固まっていますか?
明確なプランはないですよ。プラン通りに行ったら面白くないし、新たな出会いが新たな場所に自分を導いてくれると思っているので、常に変化を受け入れたいと思っています。これまで行きたいと思っていた場所にはだいぶ行くことができましたが、好奇心が枯渇しなければ、つまり生きている限りは、いろんな興味は湧いてくるはずで、その都度それに向かって歩いていきたいですね。高校生の時にインドやネパールを一人旅したころから気持ちは何も変わっていないので、10年後も20年後も今とそんなに変わっていないと思います。
――石川さんのように身軽な生き方に憧れる人は多いと思いますが、「結婚」のような形で人間関係を固定化することには抵抗はありますか。
いえいえ、そんなことはありません。ぼくは基本的に新しい変化をなんでも受け入れます。「これ、石川くんに合っていると思うよ」と人に薦められたことは一応全部やってみる。信頼している人々に勧められたら一応どんな本でも必ず読んでみるし、どんな映画でも必ず見に行く。すべてを受け入れるし、頑ななものは何もないです。
もちろんこの先、歳をとったら肉体的にできないことも出てくるかもしれませんが、その時々で未知の場所へ歩いていき、死ぬまで手探りで世界を知覚し続けていきたいです。何かができなくなることを憂える必要はないでしょう。
自分にだけは嘘をつきたくないんです。好きでもないことを仕事だと割り切ってやることはぼくにはできません。そうやって、今までさまざまな場所を見て、さまざまな人々に会って、旅をし続けてきました。今も30年後も、万が一無一文になったとしてもそんなに困らないんじゃないですか。どこにいても、どうにでも生きていける、と思っていますから(笑)。
※前編「水平と垂直を極めた旅人、石川直樹さん。20年間の旅のすべてを個展で振り返る」はこちら。
(取材・文 阿部花恵)
展覧会情報:
開催日時/2016年12月17日(土)-2017年2月26日(日)
休館日/月曜日、12月26日~2017年1月3日(火)、1月10日(火)※1月9日(月・祝)開館
会場/水戸芸術館現代美術ギャラリー
入場料/一般800円
その他、関連企画などの詳細は水戸芸術館公式サイトを参照
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