残念ながら吉報は届かなかった。ザックジャパンのW杯メンバーから中村憲剛はもれた。だが、中村の評価が高いのは周知の事実。海外を含め、多数のオファーもあった。果たして今の胸中とは。
■「嘉人さんと憲剛さんはセットで呼んで欲しい」
昨年、J1で得点王争いをしていた大久保嘉人はでゴールを重ねるたびに日本代表に対する質問を聞かれ続けていた。そのたびに彼は嫌な顔一つせず、代表復帰の思いを素直に口にしていた。
だがここ最近、大久保の答えは少し違っていた。サプライズ選出を期待されるような声が高まると、「できれば憲剛さんと二人で選ばれたい」と答えるようになっていたのである。
中村憲剛も、その思いは同じだった。
「嘉人が来て、ジュニーニョとやっている頃の感覚をまた取り戻せた。お互いに一番良くわかっているし、これだけ感覚が合う選手もなかなかいないからね」
まさに相思相愛である。
今月にはJリーグとキャプテン翼のコラボ企画第2弾として反動蹴速迅砲(はんどうしゅうそくじんほう)を二人で成功させて話題になっていた。いつしか彼らは川崎フロンターレの黄金コンビになっていたのである。
チームメートは「嘉人さんと憲剛さんはセットで呼んで欲しい」の声をそろえ、メディアはこぞって「この二人をセットで呼ぶべきだ」と報道した。
しかし、二人そろっての吉報は届かなかった。大久保嘉人のサプライズ選出の影で、中村憲剛は残念ながら落選した。
■ 知られざる海外クラブからのオファー
国内組であることに自信を持ってプレーし続けた4年間だった。
遡ること4年前、南アフリカW杯後には、チームメートだった川島永嗣やチョン・テセ同様、中村憲剛の元にも欧州クラブから身分照会があったという。それは、オランダのある有名クラブからだった。
もっとも、正式なオファーではなく、移籍に興味があるならば獲得を検討するというレベルのものだったそうだが、当時29歳でプレイヤーとして完成してきた手応えを感じていた中村の心の中には、自分の力を海外で試したい気持ちも少なからずあったという。だが彼はフロンターレでプレーすることを選んだ。理由を明かす。
「クラブの事情もあるし、テセやエイジとは在籍歴が違うから、あそこで自分が出て行くわけにはいかなかった。サポーターとしても『行かないでくれ』という気持ちだったと思うし」
その年のシーズン後、今度は欧州から具体的なオファーが届いてプロになってから一番というほど悩んだが残留を決断。海外組ではなく国内組として自分のプレーを磨き続けることを選択した。
そんな中、2012年の途中から指揮を執った風間八宏監督との出会いが転機となった。まず就任した指揮官に、「ここ1~2年は50%でしかプレーできてないんじゃないか?」と厳しく指摘されて、さらにこう言われた。
「今まではチームの為に50%でやっていたと思うけど、そんなの考えなくてもいい。お前が100%でやって、それに合わせるチームを作るから」
■ 風間監督就任からの驚異的な成長率
この言葉に中村は感激で震えたという。「100%でプレーしろ」。こんなことを自分に言う指揮官は今までいなかったからだ。風間監督は当時のことをこんな風に証言している。
「憲剛自身はとてつもなく能力があるのに、チームのことばかりを見ていた。何を気にしていたのか、自分で自分を規制しているところがあった。誰も憲剛が50%の力でやるプレーは見たくないでしょ?
100%のプレーが見たいはず。だったら、そういうチームを作らないといけない。憲剛が100%でやることがチームのためだし、チームも憲剛の為に100%出させないといけない。それが合って初めて面白くなる」
その結果がどうなったかは、ご存知の通りだろう。風間八宏監督の下でその技術を100%に磨き上げて、昨年下半期には「今が中村史上一番良い」と自負するまでのパフォーマンスを見せ続けたのである。その出来は今季になっても変わらなかった。この4年での充実ぶりを口にする。
「今思うと、4年前なんて何でもなかった。30歳を迎える年だったので、選手として完成したと思ったけど、むしろこの4年間でもっと経験できた。この4年で、選手としての成長率はすごいと思うよ」
先週の練習後、メンバー発表を控えた心境を聞くと、率直な気持ちをこう明かしてくれた。
「コンフェデが終わってから、ほぼ一年呼ばれていないからね。本当にもう呼ばれないのか、それとも、実は自分を懐に入れてくれていたのか。それは12日にならないとわからない。でも、そこ(当落線上)にいるだけでもありがたいよ。33歳でね。
良いパフォーマンスをしないと、まわりの方にもこうやって評価されないわけだし。チームの力になれると思っているし、あとはザックさんが判断してくれれば」
■「過去に満足はしていなくても、すべての過去に納得している」
迎えた第13節鹿島アントラーズ戦。
メンバー発表前、最後の試合である。川崎フロンターレは4-1で勝利。試合後のミックスゾーンでは、2得点した大久保嘉人とともに、2アシストをした中村憲剛も多くの記者に囲まれていた。
そんな折、中村の背後を通りかかった人物が、彼に向かって何かを叫んだ。その人物とは、敵将トニーニョ・セレーゾ監督である。一瞬、驚いた表情の中村だったが、「えっ、何?蘭童さん、何て言ったの?」に鹿島の高井蘭童通訳に尋ねると、セレーゾはポルトガル語でこう言っていたらしい。
「鹿島で待っているよ!」
その言葉に苦笑いを浮かべながら、「いや、移籍しないですよ!」と言って記者陣を笑わせている。そしてこうつぶやいた。「なぜか鹿島の監督に好かれるんですよね......」
実は中村は、鹿島が3連覇を達成したときのオズワルド・オリヴェイラ監督にも、年末のJリーグアォーズで顔を合わせるたび「鹿島に来るか?」とラブコールを受けている。
2011年には、翌年から彼がポタフォゴFRで指揮を執ることが決まっていたため、「外国人枠は空いているぞ。ブラジルでプレーする気があるなら、オファーするぞ?」と誘われたほどだったという。サッカー大国・ブラジルの指揮官にこんなに好かれるJリーガーも珍しいかもしれない。
だがこれだけの評価があっても、2度目のW杯には届かなかった。残念でならないが、選ぶのが監督である以上、その決定が全てである。12日のメンバー発表で、イタリア人指揮官の口から中村憲剛の名前が読み上げられることはなかった。
彼の著書『幸せな挑戦』には、こんな一節がある。
"これまでの人生の中には「ここからやり直したい」といったポイントはどこにも見当たらない。過去に満足はしていなくても、すべての過去に納得している"
14日、川崎フロンターレは韓国の地でACLラウンド16を迎える。「中村史上最高」でも届かなかった末の落選。だがそれでも前を向き、そして前に進んでいくプレーを中村憲剛はこれからもピッチで見せてくれるに違いない。
text by いしかわ ごう
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(2014年5月13日フットボールチャンネルより転載)