長崎の世界遺産候補が「潜伏キリシタン遺産」に名称変更へ 「隠れキリシタン」と何が違うの?

「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は定義が違う?
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野崎島の野首集落跡に立つ旧野首教会。野首集落跡は、世界文化遺産に登録される見通しとなった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)の構成資産のひとつ=30日、長崎県小値賀
時事通信社

政府が2018年の世界文化遺産登録を目指す候補として推薦した「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、長崎県と熊本県は8月29日、遺産名称を「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更する方向で調整に入った。ロイターなどが伝えた。

西日本新聞よると、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が名称に「潜伏キリシタン」を採用するよう、長崎県に助言したという。加えて、構成資産の一つ「天草の崎津集落」を擁する熊本県と天草市は、名称の中に「熊本」や「天草」の地名を入れるよう要望していた

長崎県と熊本県などは9月1日に「世界遺産登録推進会議」を開き、各自治体の首長の意見を聞いた上で新名称を決定する見通し

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隠れキリシタンの里でもあった五島市の半泊地区。いまでも木造の教会があり、変わらぬ信仰が続いている(長崎・五島市)

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」をめぐっては、1月にイコモスから「日本の特徴である禁教期に焦点を当てるべきだ」と指摘を受け、政府は一度推薦を取り下げた。長崎県は直後にイコモスとアドバイザー契約を締結。禁教期と関連の低い資産を除外したことで、7月に政府から再推薦を得た

構成は、現存する国内最古のキリスト教会である「大浦天主堂」(長崎市)や、禁教下で潜伏キリシタンが信仰を守った「天草の崎津集落」(熊本県天草市)など12の遺産からなり、江戸時代に弾圧を受けながらもキリスト教信仰を守り抜いた歴史を今に伝える。

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長崎県「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」公式サイトより

■Twitterでは「馴染めない」の声も

Twitterなどでは「潜伏キリシタン」という言葉に戸惑う声がよせられていた。以下にその一部を紹介する。

潜伏キリシタン? 

なんか言葉に違和感がありますね。

隠れキリシタンのほうがいいと思うんですけど。

潜伏キリシタン関連遺産に(長崎新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/aiUjfpZm1y#Yahooニュース

— 熊本の中年生@東京ドーム9/19 (@hiro_gecko) 2016年8月30日

名称変更は当然だと思うが「隠れキリシタン」ではないの?>「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に= イコモスが世界遺産としての価値を端的に表す名称に変更するよう指摘 https://t.co/hTpHBYnzcF

— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) 2016年8月30日

なんで隠れキリシタンではダメなんだろう。それで通らないならやめちまえよ

潜伏キリシタン関連遺産に(長崎新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/bECjCzBOmV#Yahooニュース

— お菊ちゃん (@okiku2000) 2016年8月30日

■「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」では定義が異なる

ただ、学術的に見ると「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」で示すものは異なるようだ。『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」の項目では、以下のように説明している。

江戸時代、キリシタン禁制に対して、表面的には仏教徒を装いつつ、密かにキリシタンを信仰し続けた人々。(中略)潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。

(『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)

長崎市国内観光客誘致推進実行委員会では、「潜伏キリシタン」について以下のように説明している。

江戸時代の初期、外海、浦上、天草などの信徒たちは幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれに独自の信仰の形を形作っていったのです。

江戸時代後期には外海地方にいた潜伏キリシタンたちが五島列島に移住し新しく潜伏キリシタンの集落を作っていきました。明治になって禁教令が撤廃された後も、このような潜伏時代の信仰形態を継承した人々を、かくれキリシタンと呼んでいます。

教会群とキリスト教関連遺産|長崎修学旅行の魅力|長崎市修学旅行ナビより)

『ブリタニカ国際大百科事典』などによると、江戸時代の潜伏キリシタンは、土地の習俗や神仏信仰などと結びついたことで次第にキリスト教の教義から離れ、独自の信仰へと発展していった。そのため、明治以降にキリスト教の禁教が解かれ、再びカトリックの宣教がなされても、カトリックとは一線を画し、独自の信仰様式を継承した人々が残った。これが「隠れキリシタン」と呼ばれる信仰だ。

宗教学者の宮崎賢太郎・長崎純心大学教授は『カクレキリシタン オラショ―魂の通奏低音』の中で、「現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければキリシタンでもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで長い年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶け込んだ、典型的な日本の民俗宗教のひとつ」との立場から、隠れキリシタンを信仰する人々を「カクレキリシタン」と片仮名で表記している。現在でも長崎県の生月島や熊本県天草などで、その教えを信仰する人々がいる。

なお、国指定の無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼[信仰])としては「かくれキリシタン」と表記される。

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Twitter上では「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の違いをふまえ、名称変更は「丁寧な使い分けでは」とする意見もあった。

世界遺産へ向けて「隠れキリシタン」を「潜伏キリシタン」に名称変更とのニュース。なぜか怒ってる人が多いけど、「潜伏~」(江戸時代に隠れて信仰していた人々。学術的に昔から使われてた単語)と、明治以降の「カクレ~」との差異を分けるためだろうから、どちらかといえば丁寧な使い分けなのでは?

— 吉田悠軌 (@yoshidakaityou) 2016年8月30日

おそらく怒ったり違和感の声を上げている人々は「潜伏キリシタン」を「世界遺産登録のために役場のオッサンたちが考え出した新語」みたいに思ってるのでしょうが、「カクレキリシタン」関連の話題をする場合、混乱しないために禁教令下の信徒を「潜伏キリシタン」と記すのは昔からよくあることでした。

— 吉田悠軌 (@yoshidakaityou) 2016年8月30日

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