約1500人が犠牲となった新潟県の長岡空襲から、8月1日で70年を迎えた。この日の午後10時半、恒例となっている花火が打ち上げられた。
長岡市Facebookより 2015年8月1日 長生橋上流で撮影
「慰霊の白菊」。70年前のこの日の同時間に空襲が始まったことから、戦争で亡くなった人の魂を慰めようと毎年、白一色の尺玉3発が打ち上げられてきた。
長岡市のホームページによると、白菊を最初に手がけたのは、長岡在住で伝説の花火師と呼ばれる、嘉瀬誠次(かせ・せいじ)さん。1922年(大正11年)生まれで、1943年に出征。終戦から3年間、シベリアに抑留された。生きて日本に帰って来られなかった戦友のために花火を手向けたいという思いから、1990年にハバロフスクで白菊を打ち上げたのが原点だ。
この時、嘉瀬さんは、現地で何万人もの戦死者の碑を目にして「ロシア人も日本人と同じように大勢の人が亡くなっているんだな」と気付いたという。
「個人的な恨みや憎しみは無くなりました。戦争は何の得にもならないね。戦争っていうのは、本当にばかばかしいもんだ」
その後、2003年から長岡市でも打ち上げが始まった。嘉瀬さんは2006年に一線を退いたが、その後も白菊の打ち上げは続けられており、また、2015年には長岡市の他にも、宮城県石巻市(7月31日)、岡山市(8月1日)、京都府亀岡市(8月7日)、神戸市(8月8日)、長野県諏訪市(8月15日)で打ち上げられ、各地に白菊の思いが広がっている。
なお、長岡市では戦時中は中止されていた花火大会が、戦後すぐの1946年から嘉瀬さんらによって再開された。1949年、長岡の花火を見た画伯・山下清は、傑作「長岡の花火」を描いた。花火が好きだった山下は、戦争と花火について次の言葉を残している。
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」
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