「女子アナ30歳定年説」は本当か 元アナウンサー菊間千乃さんと長野智子・編集主幹が語る

「ワークライフバランスと女性のキャリア」をテーマに、アナウンサーから弁護士に転じた菊間千乃さんと、ハフポスト日本版の長野智子・編集主幹が対談した。
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Wataru Nakano
菊間千乃さん(左)と長野智子・ハフポスト編集主幹=東京都千代田区

「ワークライフバランスと女性のキャリア」をテーマに、アナウンサーから弁護士に転じた菊間千乃(ゆきの)さん(42)さんと、報道キャスターでハフポスト日本版の長野智子・編集主幹が対談した。ともにフジテレビ出身の2人。話題は菊間さんの現在の仕事や幼少時代についてだけでなく、生放送中の転落事故や「フジの女子アナ事情」にまで及んだ。

■アナウンサーの経験、法廷でも役立つ

長野編集主幹(以下、長野):法廷って、裁判を見たことがない人はドラマのイメージがあるかもしれませんね。

菊間さん(以下、菊間):ドラマになるのは大抵は刑事事件ですが、私のほとんどの仕事は民事事件です。刑事は私の場合、年に数回です。これまでに詐欺や薬物事犯、あとは少年事件も担当しました。

長野:弁護士って、アナウンサー時代の経験は役に立つものなんですか。

菊間:とても役立つと思います。アナウンサーは喋る仕事ですが、一方で実は聞く仕事でもあります。弁護士も人から聞き出さないことには最良の弁護ができません。法律的な構成を頭で考えて、それに必要な事実が何かと様々な角度から聞き出して作戦を組み立てていきます。聞き出す能力って大事です。

証人尋問を何回かやってみて思うことは、まさに生放送と一緒。解説者が突然おかしなこと言い出したりすることもあるじゃないですか。

長野:ありますね。ハプニング的にね。

菊間:そういった場合の軌道修正は、身体が覚えているというか。例えば、法廷で「ここであなたはこの契約書を見たんですよね」と尋ねたら、証人がとても緊張していて、実際は見ていないのにも関わらず、「見ています」とか言ってしまうことがあるんです。

長野:緊張のあまり思ってもいないことを。

菊間:そういう時に、証人を落ち着かせて「もう1回聞きますよ」って聞いたり。証言がぶれると信用性がなくなって心証は悪くなるんですけど、裁判官に対しても「証言が変遷したわけじゃなくて、この人は緊張していて、たまたま間違えちゃったんです」ということがしっかり伝わるような形で聞き直します。

長野:完全にMC(司会者)だよね。

菊間:そうですね。そうすると徐々に証人の方も安心し、落ち着きを取り戻すというか。

長野:メインの視聴者が裁判官ってわけですね。

菊間:そうです。裁判官が手元の資料を確認しているときは話を進めず、見終わって顔をあげるのを待ってから次の質問をするとか。こういうのも、アナウンサー時代の経験からくるのだと思います。

長野:「これは天職だ」なんて感覚はあるの?

菊間:天職というか、楽しいです。前職で培ったスキルを使いながら、新しい知識を入れる。日々大変ですけど。

■激動する世界を見て報道を志した高校時代

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菊間千乃さん

長野:大学に入った時から女子アナを目指していたと聞きました。

菊間:そうです。報道をやりたかったんです。小6の時に、将来の夢は「フジテレビのアナウンサー」って書きました。私が小学生のときに(バラエティ番組の)『オレたちひょうきん族』が始まって、その面白さにびっくりしたんです。もっとさかのぼると、アナウンサーというよりもインタビュアーになりたいと思っていました。それは父親の影響です。父が高校のバレーボールの監督で。

長野:(春の高校バレー常連校)八王子実践高校の監督ですね。

菊間:いつも記者に囲まれていて。ある記者にはたくさん喋るんですけど、ある人には全然喋らない。幼いときに、どうしてなのか聞いたら、「自分が喋ろうと思う記者は、よく勉強をしている。バレーボールを世の中の人に伝えたい、面白さを分かってほしいという姿勢で来るから、こっち側もその人に一生懸命教えてあげようと思う。でも、一方であらかじめ調べてくればすぐに分かるようなことを尋ねてくる記者もいる。仕事で割り振られたから来たみたいな感じがして、そういう努力をしない記者に、俺は喋らない」って。

長野:聞き手の熱意がポイント。

菊間:そうなんです。うちの父は昭和一桁生まれの頑固親父で普段は全然喋らないんです。その父を饒舌にさせるインタビュアーがすごいなと思いました。そんな風に人の言葉を引き出せる仕事はすごいなと思ったのが小学校3,4年ごろでした。

報道志望になったのは、高校生のころです。私が高校生の頃に、ベルリンの壁が崩壊したんですが、(元ソ連大統領の)ゴルバチョフさんが出てきて、ソ連が変わる、世界が変わるといった激動の時代のニュースを見ていて、私もああいう現場に立ち会ってみたい、伝えたいと思うようになりました。それで報道を志すようになりました。

長野:当時のニュースを観ながら、私も同じことを感じていたな。

菊間:スタジオでニュースを読むというより、現場に行ってリポートするようなことをやりたかったんです。

■生放送中の落下事故、仕事への考え方にも影響

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長野智子・編集主幹

長野:そして、念願のフジテレビに入社して、それで(生放送中にビルの5階から転落し、腰の骨を折る全治3カ月の重傷を負った)事故が起きるんですよね。

菊間:9月2日で丸16年になりました。いまだにどこに行っても、いろんな人に言われます。

長野:生中継で、視聴者が見ている中での事故という本当にショッキングな出来事だったから。笑顔でレポートした直後に、事故にあった。あの瞬間のことって今でも覚えている?

菊間:覚えてないです。落ちる瞬間に意識がなくなっているので。次の記憶はICU(集中治療室)の中で酸素マスクを苦しいと思って外したときです。本当に何が起こったのか自分では分かりませんでした。

長野:入社3年目?

菊間:入社4年目です。(番組)『めざましテレビ』を担当して2年目で26歳でした。

長野:入社4年目のフジの女子アナって言ったら、一番働き盛りで脂ものっていて、仕事が楽しくて仕方ないという時期。そんなときに、長期間休まなければいけなくなった。

菊間:そうですね。ICUには10日間ぐらいいて、普通の病棟に移ってテレビを見たら、自分がいた場所に他のアナウンサーが出ているんです。自分がいなくなっても、番組は当たり前のように続くんだなって思うと、何のために自分は働いていたのだろうかとか、自分にしかできない仕事があると思っていたのに、そんなことはないんだと思ったりとか。そのむなしさみたいなものはとても大きかったです。

(情報バラエティ番組の)『発掘!あるある大事典』に1999年1月からギプスを着けたままで復帰しました。

長野:ケガをして入院する前と、復帰してからでは、仕事に対する考え方は変わっていったの?

菊間:ええ。4月から、『2時のホント』という情報ワイドショーを担当したんですけど、言葉がうまく出てこなくて。入院中にテレビがとても遠くに感じたんですよ。薄っぺらいな、というか。

例えば、特ダネをどこの社が抜いた(先駆けて報じた)とか、テレビ局って騒ぎますよね。でも、「別にいいじゃん、1番じゃなくても」と思い出すようになりました。フジテレビの報道を愛して見てくれる人がいるんだから、より正確なきめ細かい情報を伝えればそれでいいと。

長野:おっしゃる通り。結果的に、警察の情報を流しているだけですからね。

菊間:今まで何の疑問も抱いていなかったことに、いろいろと疑問がわき起こってきちゃったんです。テレビ局の常識って、そんなに大事?みたいな。ただ、視聴率があってこそというのも分かるし、民放にはスポンサーありきということも分かる。そうすると、だんだん「私はこう思う」と言うことはあまり良くないのではないかなと。キャスターではなく、局の顔であるアナウンサーである以上、自分の意見ではなく、局としての立場や意見を大事にしなくてはいけないんだろうなとか。で、そうなると、だったら「私じゃなくてもいいんじゃないか」とか「私がいる意味は何だろう」とか考え出しちゃったんですね。

マスコミは客観的に正確な情報をいち早く伝えるということが求められる仕事だと思うのですが、ただ言いっぱなしで終わってしまうこともある。結局、その現場の人が動いたり、変わっていかない限り、世の中は変わらないじゃないですか。

私もフジテレビの入社試験では「その人の人生を変えようなんて大それたことは思わないけれど、その人の人生が変わるきっかけになるような番組を作りたいです」と言っていました。それが経験を積んでいくうちに、きっかけだけでは物足りなくなって、自分がサポートすることで困っている人を笑顔にしたいとか、おかしいと思うことを変えていきたいと、具体的にアクションを起こしたいという気が強くなってきました。すると、伝え手としてのアナウンサーという仕事は、今後自分が目指していく方向とはズレて来るのかなと思いました。

長野:そうか、やっぱりあの事故ってそれだけ考え方に影響したんだね。

■「30歳女子アナ定年説」にも直面?

菊間:ただ、フジテレビに入社したとき、人事レポートに「アナウンサーを10年やったら司法試験を受けます」と書いていたので、そういう気持ちは心の奥底に昔からあったんでしょうね。

長野:それはなぜ?

菊間:最初の勢いだけでいけるのは最初の10年だなと。その後は、弁護士の資格を持ったキャスターとしてやりたいなって思っていたんです。

長野:生々しい話ですが、「30歳女子アナ定年説」ですね。

菊間:先輩たちを見ていても、30歳を過ぎて結婚して子供を産むと第一線からは退いている方が多くて。アナウンサー寿命を伸ばすには、ただ「出たい」って言っていてもダメだろうから、自分に付加価値をつけなくちゃと思っていたころに、ちょうどロースクール(法科大学院)制度が始まりました。もともと入社して10年経ったら司法試験を受けようという計画はあったので、この時期にロースクールが始まり、夜間クラスで働きながら勉強できるようになった。ちょうどそのとき、午前中の番組の担当で、夜は時間が空いていたなどという偶然がたくさん重なった状況に、「これは運命だ」「こちらに進むべきなんだ」と思わされました。

長野:すごい。女子アナの仕事をやりながら、ロースクールとは。

菊間:ロースクールが始まったときは、入るのは大変だけど、卒業生の8割は司法試験に受かると言われていたんです。だから、私はワインスクールに行くみたいな軽い気持ちで入っちゃったんですよ。司法試験の科目すら知らなくて、とりあえずロースクールで勉強すればみんな受かるんだと思っていました。蓋を開けたら全然違っていて、とても大変でしたけど。

長野:でも、しばらくは両立していたわけでしょ。

菊間:3年間両立しました。

長野:ただでさえ、アナウンサーの仕事はハードなのに。

菊間:『とくダネ!』に移ってから、朝5時に出社しました。生放送の後にそのまま取材に出て、夜7時半から夜11時まではロースクールの授業に出て、その後は会社に戻って打ち合わせしてから家に帰るから、事実上ベッドでは1,2時間しか眠れなかったです。34歳でしたから、気持ちはついていけても体が追いつかない。ストレスで声が出なくなったり、注射を打って番組に出演ということもありました。それがロースクールの3年生のときです。

ロースクール1年生の夏にあの飲酒騒動(2005年に起きた未成年のタレントとの飲酒による謹慎とバッシング)があって、秋からずっと謹慎していて、2年生の秋から番組に復帰したんです。3年生になったら徐々に仕事も増えてきて、このまま行ったら、仕事と勉強の両立は難しいなと思いました。

菊間千乃(きくま・ゆきの) 弁護士。1972年生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。「めざましテレビ」や「発掘!あるある大事典」などの多くの人気番組を担当。2005年に大宮法科大学院大学へ入学し仕事と勉強を両立。2007年にフジテレビを退社後、2010年に2度目の受験で新司法試験に合格。2011年より弁護士法人松尾綜合法律事務所に入所(第2東京弁護士会所属)。著書に「私が弁護士になるまで」(文藝春秋)がある。

(構成:中野渉)

》【後編】「元アナウンサー菊間千乃さん、飲酒騒動乗り越え弁護士に その先は...」はこちら。

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