「男社会」の寿司(すし)職人の世界で、女性だけで切り盛りしている寿司店が東京にある。「お前の寿司は本物じゃない」「化粧の粉が寿司に落ちる」……。客や同業者らの差別や偏見と闘いながら、店は10年目に突入した。
「太ってるからチェンジ」...相次ぐ差別発言
若者や外国人観光客らでにぎわう東京・秋葉原。9月上旬、夜の帳が下りると、裏通りで艶やかな看板が灯った。「なでしこ寿司」。2階にある店の戸を開けると「いらっしゃい」と、女性たちの元気な声が耳に飛び込んできた。
なでしこ寿司の店員は数人。寿司を握る職人も含めて全員が女性で、業界では珍しい存在だ。寿司職人の世界では、「女性は手のひらの体温が高く、ネタが傷む」「生理が味覚に影響する」といった根拠なき言説とともに、女性差別の風潮が公然とまかり通ってきた。
店長の千津井由貴さん(32)はこう証言する。
「社長さんと思(おぼ)しき人が部下を引き連れてやってきた時、部下の一人が『社長、私がまず毒味します』って。ほかの店員も、別の男性客から『君は太っているから他の女の子にチェンジして』と言われたことがあります。こうしたことはたくさんありました」
千津井さんらは調理白衣を着ず、艶やかな着物姿で寿司を握る。髪を結って飾り付け、化粧だってする。だが、「化粧の粉や髪が寿司に落ちる」と批判する客もいるという。千津井さんは呆れ顔でこう言う。
「今時の技術で粉が落ちる化粧ってあるわけないじゃないですか。髪もスプレーで固めてますし、そもそも髪が抜けるのに男女の差はありませんし…」
「かつて修行した寿司職人から『板前はさらし商売だ』と教わりました。寿司を握るのは1つのパフォーマンスであり、職人はエンターテイナーだと思っていますので、このスタイルでやってきました。もっとも、業界では、女性でも角刈りにしないと板場に立てないという店もあるようですが…」
同業の風当たりも厳しい。ある寿司職人の男性は寿司に手をつけず、一緒に来店した水商売の女性にこう言ったという。「俺は食べないから、お前食えよ」
「あんたのとこは本格派じゃないよね」。そう言った別の職人に対しては、「私たちはプライドを持ってやっています。あなたも職人なら、そういう発言はあなたのプライドに反してませんか。同じ態度を有名店でも取れますか」と言い返したという。
自分も感覚鈍っていた
なでしこ寿司がオープンしたのは2010年9月。当初から女性が握ることを掲げていた。
学生時代、寿司店でアルバイトした経験がある千津井さんは「女性でも寿司職人になれる」と喜び、勤めていた百貨店を辞めてアルバイトの求人に応募した。
「地元の浅草にある寿司店で数年、アルバイトしていました。でも、やらせてもらったのはホールの仕事だけで、握るなんてとんでもない。長年勤めている女性でもやっと甘エビの皮をむかせてもらうような感じで。それぐらい、大きな『壁』がありました」
なでしこ寿司は業界に一石を投じたが、本当の意味で女性の寿司職人が誕生したとは言えなかった。女性たちは確かに寿司を握ったが、それはセットメニューのような予め決められたものだけ。厨房仕事や仕込みは男性の職人が仕切っていた。
当時の運営会社も、見た目が華やかな女性たちが寿司を握れば、秋葉原という土地柄、話題になるとの思惑があった。
予想通り、「萌え寿司」と話題になって繁盛し、マスコミもこぞって報じたが、開店から2カ月ほどたつと客足が引き始めた。店の中でも男性職人と女性従業員との間で対立が起き、店を去る女性たちも相次いだ。
「あこがれの寿司職人になれたものの、一方でビジネスとして成功させないといけない。客のニーズに応えるため、メイド服を着ることもありました。もどかしい思いでした」。千津井さんはそう振り返る。
そんな時、何気なく受けた海外メディアの取材が千津井さんたちの意識を変えた。
「そのメディアは『男性社会に立ち向かうユキ・チヅイ』というトーンで私たちのことを報じたんですね。『あっ、そうだった』って思って。消費される女性として見られることの違和感はありましたし、最初は寿司職人の世界を変えようという思いだったんですが、いつしか私たちも感覚が鈍ってしまって。自分自身、世の中が求める姿にこびてしまったというか……」
閉店も覚悟していたオーナーに対し、千津井さんは店の改革案を文書で手渡した。女性たちが質の高い寿司職人として働けるようにするため、かつてアルバイトしていた寿司店の職人からもう一度、調理や所作について指導を受けた。
魚の仕入れ先も紹介してもらい、千津井さん自ら買い付けに行くようになった。最初は女性という理由で相手にしてくれない仲買人もいたが、千津井さんの熱意にほだされた業者も現れた。豊洲市場の「ノジ喜代」もその1つ。経営者の山崎雄介さんは「男性が多く働く(この業界の)プレッシャーもある中で、頑張っていると思う。謙虚ですし、こっちも応援したくなります」とエールを送る。
客とのあつれきも生じた。それまでは、女性の寿司職人に対してからかわれたり、馬鹿にされたりしても適当に受け流していたが、千津井さんが毅然とした態度をみせると、「生意気だ」と反発する客もいた。
「お客様とけんかもしました。けれど、ほかの女性従業員やこれから寿司職人を目指す女性たちのためにも私が踏ん張らないと、と思いました」
次第に理解を示す客も増えてきた。常連の男性客は「考えてみれば、女性が料理をするのは珍しいことではないし、私にとってはむしろ自然。鉄鋼職人のような寿司屋さん、多いじゃないですか。『話しかけるな』みたいな。そんな雰囲気よりも楽しく気楽に、敷居も低くしてくれてるのがありがたい」と話す。
外国人の客も足を運ぶようになった。モロッコから来た女性は、観光バスの広告で「女性だけの職人が握る寿司店」という紹介文にひかれて来店した。「寿司職人は男性だけだと思ったので興味を持った。みなさん社交的で盛り付けもきれいだった」と歓迎する。
開店から4年後。男性の職人に頼らず、女性だけで店を切り盛りできるようになった。今では職人を養成する「スクール」も始め、海外で寿司のパフォーマンスを披露するなどの活動も積極的に展開している。
女性だからこその気遣い
熟練した男性職人の店では、寿司はおいしいが、無口な職人や張り詰めた雰囲気が苦手な人もいるだろう。その点、なでしこ寿司は女性ならではのソフトな接客でリラックスできる。店内には、子どもが遊べるスペースが設けてあり、子連れでも安心してカウンターで寿司を味わうことができる。
最大の特徴は寿司の盛り付けの美しさだ。千津井さんは美術系短大を卒業しており、在学中はデザインを学んでいた。
「寿司ってシャリとネタからできていて、色も形もシンプルでありながら、デザイン的にはすごく調和の取れた食べ物だと思っています。私は在学中、ケーキのデザインなどを研究していたので、その知識を生かして盛り付けを工夫しています」
千津井さんは季節などに合わせて使う魚や盛り付けを変えており、彫刻刀を使って笹の葉の切り絵を作り、添えている。
なでしこ寿司は9月、10年目に入った。千津井さんは言う。
「女性は結婚や出産でライフステージが変わっていきます。そのために店を泣く泣くやめてしまう女性もいました。私は、そんな女性たちをなんとか応援したいと思っています。寿司職人という仕事が、女性にとっても差別や偏見のない、一生の職業選択になるように」