ミャンマーの北東部ラショーで、反イスラム派による暴動が再燃したと報じられている。時事通信は、暴動の様子について次のように書いている。
イスラム教徒の男が仏教徒の女性にガソリンをかけ火を付けたとして逮捕され、事件に怒った仏教徒の群衆が警察に対し、容疑者を引き渡すよう要求。拒否されると、イスラム系の商店や学校などに火を放ったという。
(時事通信「ミャンマー東部で暴動=モスクや学校に放火」より。 2013/05/29 11:26)
ミャンマーにおけるイスラム教徒と仏教徒の対立は、1930年代以降、根強く続いている。外務省のデータでは、ミャンマーでは仏教徒が約90%を占めるが、仏教徒によるイスラム教徒への偏見は根強い。タイに関する情報サイトnewsclip.beによると、ミャンマーのイスラム少数民族であるロヒンギャ族は、ミャンマーでは外国人とみなされる傾向が強いとも報じられている。
これらの対立が、表面化したのは2011年ごろのことだ。その理由を朝日新聞は3月31日の朝刊で下記のように書いている。
軍事政権下でも2001年に中部の都市で小規模な対立があった。だが、表現の自由が封殺され、治安当局による監視が社会に行き渡っていたため、宗教間の対立感情が噴き出すことはほとんどなかった。2011年の民政移管で政治的な自由が広がる中、イスラム教徒経営の商店での不買運動などを掲げる保守的な仏教勢力が生まれている。
(朝日新聞「宗教衝突、ミャンマー不穏 仏教徒とイスラム教徒、相互不信」より。 2013/03/31)
民主化の動きを受け、ミャンマーでは4月1日から、これまで許可されてこなかった民間の日刊紙(16紙)が発行されるなど、言論や集会の自由が徐々に改善されつつあると報じられている。
しかし、民主化で言論が開放されるようになったことで、仏教徒と少数派イスラム教徒の衝突が激しくなってきたという指摘もある。ミヤンマーでは2012年にはラカイン州でロヒンギャ族と仏教徒との対立が激化、2013年にはメイッティーラでも、仏教徒住民がイスラム教徒住民を襲ったとされる暴動が発生している。
ミャンマーにおける少数民族に対する人々の対応については、国際社会から非難されいる。ダライ・ラマ氏は7日に行った講演のなかで「宗教の名の下に人を殺すことは考えられず、非常に悲しい」と述べている。また、20日に行われたミャンマー大統領と米大統領の会談については、ロイターは下記のように報じている。
オバマ大統領は「ミャンマー内にイスラム教徒のコミュニティを対象とした集団間での暴力があることを深く懸念しており、その懸念をテイン・セイン大統領と共有した。強制退去や彼らを対象とした暴力は阻止する必要がある」と述べた。
(ロイター「米大統領、ミャンマー側にイスラム教徒への暴力阻止を促す」より。2013/05/21 08:14)
テインセイン政権は宗教対立を抑え込む姿勢を強調しているが、一部の地域では、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族の一部に対しミャンマー当局が子どもは2人までとの産児制限を行うというニュースも報じられている。この背景を朝日新聞デジタルは下記のように報じている。
背景にはロヒンギャ族が多産で急増しているとのラカイン族側の恐れがある。192人の死者が出た昨年の両民族の衝突を調査した政府の委員会は先月、暴動のきっかけとしてロヒンギャ族の人口増加があったとして自発的な家族計画の奨励を求める報告書をテインセイン大統領に提出した。
(朝日新聞デジタル「ミャンマー、少数民族に産児制限 「子ども2人まで」」より。2013/05/28 19:05)
なお、安倍首相は、25日と26日にミャンマーを訪問しており、ミャンマーの首都ネピドーでテイン・セイン大統領と会談し、日本がミャンマーの国造りを支援するために、追加で910億円の政府開発援助(ODA)を2013年度末までに実施する方針を表明している。
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