ロヒンギャ問題で再び注目が集まっているミャンマー。9月19日(火)にアウン・サウン・スー・チー国家顧問が首都ネピドーで行った約30分に及ぶ「外交団向け演説」では、軍や警察によるロヒンギャに対する暴挙を明確に批判しなかったため、スーチー国家顧問に対する国際的な非難が高まっています。
ミャンマーやロヒンギャに関する歴史的背景や複雑な民族・宗教事情についてはその分野のご専門家から学びたいですが、スーチー国家顧問の演説を聞いて私が感じたことを書いてみたいと思います。
1.ラカイン州でのロヒンギャに対する扱いはスーチー国家顧問に責任があるの?
ミャンマーの現行憲法によると、スーチー国家顧問には軍・警察・国境管理に対する指揮権が無いような形で権力構造が定められています。昨今のラカイン州での軍や警察による暴挙について、スーチー国家顧問に直接的責任があるかのように批判するのはお門違いでしょう。このことは、アムネスティ―・インターナショナルが展開している「ロヒンギャの虐殺を止めて!」という緊急アピールの宛先が、スーチー国家顧問ではなく「ミャンマー国軍司令官殿」となっていることからも、よくわかります。
2.スーチー国家顧問自身が「反ムスリム」なの?
確かにスーチー国家顧問は敬虔な仏教徒として知られています。でも、もしスーチー国家顧問自身が反イスラム的な思想を持っているとしたら、元国連事務総長コフィ・アナン氏率いる「ラカイン州諮問委員会」が8月23日に提出した最終報告書にある勧告のうち、「一定の条件内でロヒンギャにもミャンマー国籍を付与していくこと」を前向きに検討する、などといった姿勢を演説内で示すはずがありません。なぜなら、国民の9割以上が仏教徒であるミャンマーでは、そのような提案は、政治的にもより直接的な意味でも「命取り」になりかねないからです。
「国籍法の見直し」とは、誰がその国の人なのか、その国のアイデンティティーに大きく関わる事柄で、(日本の2008年国籍法改正に大反対があったように)ミャンマー国内に根強くある反ムスリム勢力や強硬派ナショナリストから大反発を招くリスクの高い大事業です。そのリスクを承知の上で、国籍法改正に前向きな姿勢を公に示したことは、スーチー顧問自身が反ムスリムであることを否定するだけでなく、その大事業に対する国民の支持と理解を期待したものでしょう。
3.スーチー国家顧問は変わってしまったの?
ある意味では大きく変わり、ある意味では全く変わっていないように見えます。
大きく変わった点は、スーチー女史はもはや「反体制派の民主化活動家」ではなく、「ミャンマーという一国の事実上の国家元首」であるということです。在野時代には、軍政をある程度自由に批判することができたかもしれませんが、今はミャンマーを国内外に代表する元首です。確かに、ラカイン州での問題やロヒンギャに対する人権侵害をもう少し直接的な表現で認めることはできたかもしれません。でも、(例え自分の指揮下に無いとしても)自分が代表する国家構造の一部分である軍や警察を「公の場」で対外的に批判することは、特に今の微妙な権力構造下では慎む必要があるでしょう。外野で批判することは簡単でも、責任者として実際にコトを動かしていくのは非常に大変というのは、誰もが日常生活レベルで経験していると思います。
南アフリカのデスモンド・ツツ元大主教はスーチー国家顧問に宛てた9月7日付の公開書簡の中で、
貴女がミャンマーの最高位に就任したことの政治的代償が貴女の沈黙であるとすれば、その代償はあまりにも大きい
と書きました。そのような高い「政治的代償」を払わなくてはいけないことは、スーチー女史自身は、国家顧問に就任した1年半前には既に十分認識していたのではないでしょうか。
一方で、演説からは「以前から全く変わっていない姿」も垣間見られました。それは、「いかなる代償を払ってでもミャンマーという国と運命を共にする」という揺るぎない覚悟です。思い返してみれば、2010年までスーチー女史は20年余りにわたって、ミャンマーの民主化のために自宅軟禁を余儀なくされ、あらゆる意味での自由と英国人家族との幸せな家庭生活という代償を払い続けていました。そして今回の演説で払った代償は、軍や警察の暴挙を厳しく批判しないことによって、自身に対する国際的な批判が強まることでした。それを十分承知の上で、敢えて今のミャンマーと言う国の現状に寄りそうこと、事実上の国家元首としてミャンマーを国内外に代表する道を選んだのではないでしょうか。
「多大なる自己犠牲を払ってもミャンマーと言う国を見捨てない」という確固たる覚悟と信念は、一切変わっていないように私には見えました。
4.スーチー国家顧問は権力にしがみついているの?
この指摘はある意味で的を得ているでしょう。「在野では何もできない」ということは、20年余りに及ぶ自宅軟禁でスーチー女史自身が他の誰よりも痛いほど思い知らされたはずです。でも、だからこそ、多大なる代償を払ってまで漸く手に入れた今の地位、やっとここまで進んだ真の民主化への手がかりを、たやすく手放さないのは、ある意味で当然ではないでしょうか。
もっとも、スーチー女史に対する「権力志向が強すぎる」といった批判は決して新しくありません。英国における幸せな家庭生活を犠牲にし、息子2人の子育てや英国人夫の看病まで全て放棄して断固としてミャンマーに留まり続けたスーチー女史には、「なんて無責任なオンナなんだ!」という批判は兼ねてからありました。それは特に軍部が戦略として展開していた批判でした。それを今更「権力志向だ」と批判したところで、彼女とってはある意味「通常運転」、想定内の指摘ではないでしょうか。
その一方で、「悲劇の民主化ヒロイン」といった国際的評判や個人的名声とはきっぱり決別した印象を、私は演説から受けました。「ノーベル平和賞を剥奪せよ」などといった誹りも、彼女にはあまり響かないのではないでしょうか。
5.もし国際社会が望むような形で軍や警察の暴挙を批判したら、何が起きるの?
もしスーチー国家顧問が、ミャンマーの一般国民が受け入れられる以上に「ロヒンギャ寄り」の言動をとったら、彼女の民衆からの支持は一挙にガタ落ちするでしょう。また、軍や警察を対外的に批判したら、軍部に「ほらやっぱり国家元首としての覚悟ができていない」と言いがかりをつけられる根拠を与えたでしょう。更に最悪の場合には、過激な仏教徒や強硬ナショナリストからの暗殺といった可能性も、ミャンマーの歴史を踏まえるとゼロではありません。そのような事態は、まさに軍部の少なくとも一部が手ぐすねを引いて待ち望んでいる展開でしょう。
今回の演説は、そのような手がかりを一切与えないどころか、ミャンマー国内でのスーチー国家顧問に対する支持は益々高まっているいるそうです。ある意味で、スーチー国家顧問は再度「軍との戦いに勝った」と言えるかもしれません。
一言でまとめると、9月19日の「外交団向け」演説は、「どれほど多大なる自己犠牲を払ってもミャンマーという国ととことんまで運命を共にする」という強い覚悟と信念を、国外に向けても、国内に向けても再度表明するものであったように、私は感じました。
6.じゃあ、私たちには何ができるの?
ロヒンギャの人々が晒されている境遇を、ザイード国連人権高等弁務官は「民族浄化の典型例」と表現したようですが、私はむしろ、1951年の難民条約上に言う「迫害の典型例」と言えると思います。ロヒンギャという「人種(民族)、宗教(イスラム)、国籍(あるいは無国籍)、特定の社会的集団の構成員、または政治的意見を理由として迫害を受けたり受けるおそれがある」人々です。そして、バングラデシュも彼らを「難民」として認めていませんので、ロヒンギャはミャンマー政府からもバングラデシュ政府からも保護を受けられません。
まだラカイン州周辺にとどまっているロヒンギャ国内避難民に対しても、バングラデシュに逃れた難民に対しても、緊急物資支援が必要でしょう。また、運よく第三国に逃れられたロヒンギャについては、難民条約上の難民として認めて保護することが、国際法上の義務として日本政府を含めた国際社会に求められます。
更に、中長期的にミャンマー国内でのロヒンギャの人々の人権が保障されるよう、「国家なき民」であるロヒンギャの人々に国籍が与えられるという長年の課題が解決するよう、「ラカイン州諮問委員会」の勧告の実施を粘り強く側面支援していくことこそ、国際社会がすべきことではないでしょうか。
(※ 現在ミャンマー国内で勤務している匿名の方に貴重なコメントを頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。)