自分に合った戦い方を見極めながら、自分なりの成功を掴み取る〜アップグレードミャンマー現地法人代表 富田博之さん

ミャンマーの最大の都市ヤンゴンで、2015年よりコンサルティング事業立ち上げ業務に参画されました。そんな富田さんに、ミャンマーでの起業について伺いました。
|
Open Image Modal

ミャンマーの人口最大の都市ヤンゴンで2017年1月まで働かれていた、富田博之さんの起業ストーリー。大学在学中に世界一周をし、卒業後は日系企業に5年間勤務。

2014年11月に【100年カレンダー】を買ったことを機に、自分の人生を見つめ直し、ミャンマーの人口最大の都市ヤンゴンで、2015年7月1よりコンサルティング事業立ち上げ業務に参画されました。そんな富田さんに、ミャンマーでの起業について伺いました。

ビジネスの芽は、徹底的な現地でのヒアリングから見つけた

Open Image Modal

----現在の仕事内容を教えてください。

富田:ファシリティーマネージメントという、建物のメンテナンスやリフォームを手掛ける事業を、アップグレードミャンマー現地法人の代表として行っています。

この事業は、自分がミャンマーで直面したインフラ問題から発想を得ました。私が滞在していた家ではしばらくの間水しか出なかったため、とても苦労していました。周りにヒアリング調査をしたところ、私だけでなく多くの方々がインフラで困っていると気付いたのです。

このビジネスのタネにようやく辿り着いたのは、ミャンマーに来てから半年が経過した頃。こちらに来てからは毎日人に会って困っていることを調べていました。

3か月間でお会いした人数は300名以上。ヤンゴン中の洗濯屋を回りながら洗濯ビジネスについて構想を練った時期もありましたね。とにかく、現地に住む人々の視点に立って、課題を地道に徹底的に洗い出しました。

このように、愚直にビジネスの芽を見つけようと奮闘した結果辿りついたのが、ファシリティーマネージメント事業だったのです。

----ミャンマーで働く前は、何をされていたのでしょうか。

新卒で入った、紙袋などを扱う日系の卸売業者で5年間働いていました。営業職として商品販売をしていたのですが、華やかな成績を残すことはできませんでした。

「私は何かの才能に秀でているようなタイプの人間ではない。更に上を目指すにはどうしたらいいのだろう」と悩む日々。

そこで思いついたのは、「周りの人がやりたがらない、人とは違う道を進んだ先に、自分が成功できる舞台があるのではないか」ということでした。

現在の会社の社長と出会ったのは、ちょうどその時期です。日本ではウェブ制作を始めとするIT事業が専門の会社なのですが、アジアに広く展開しようとミャンマー、ラオス、香港の事業責任者を探している最中でした。

私は学生時代から漠然と海外へ憧れを抱いており、日本では経験したことのないようなゼロからの立ち上げを海外でチャレンジしてみたいと思っていたので、ぴったりの話だと思いました。

責任者として仕事をしたことはありませんでしたが、このお誘いに直感のようなものを感じ、新たな場所でゼロから挑戦しようと決意を固めたのです。

今だからこそススメたい、新卒からのアジア就職

Open Image Modal

----大学時代に海外志向をもつようになったのはなぜでしょうか?

富田:大学のゼミで毎年ベトナムのハノイに行く機会があり、そこでアジアの熱気に魅力されたことがきっかけです。開発学と環境学が専門の教授の元で学んでいたのですが、ここは面白い場所だなと思いましたね。

その際に大手商社へ企業訪問する機会があり、海外でバリバリ働いている日本人の姿がとてもかっこよかった。いつか自分も海外で働けたらと考え始めたのは、この頃からでした。

----大学時代に臨んだ就職活動では、100社もの企業に応募されたとうかがっています。

富田:はい。100社受けて唯一ご縁のあった企業に就職しました。実は、私は2回就職活動を経験しています。大学4年生で就職活動を始めた際に、働く意義や自分自身について深く考えたいと思い休学し、バックパックを背負って世界一周の旅に出ました

そこではインドでヨガに没頭したりと、色々な経験したましたが、帰国後も海外に携わる仕事につきたいという想いは変わらず。そのため2度目の就職活動の際は、海外駐在のポジションが狙えそうな総合商社やメーカーに応募していました。

しかし、リーマンショックの影響が強く、時代は就職氷河期真っ只中。なかなか内定を手にすることができず、次第に心の余裕がなくなっていきました。今振り返ると、日本だけにこだわらなくても良かったと思います。たとえば、最初から海外に飛び出してみるというのもひとつの選択肢だったかもしれません。

----その経験を経た富田さんだからこそ、今の学生に送りたいメッセージはありますか?

富田:日本の人口は年々減少し、今後国内で日本人だけを対象にビジネスを展開していくモデルはすでに限界がきています。となると、市場を開拓するためにアジアに目を向けるのは必須の流れで、新卒からアジアで働くというのも、自分を成長させることができる選択だと思います。

語学面を考慮すると、いきなり欧米圏で働き始めるのは難しそうですが、最初のステップとしてのアジア就職は魅力的ではないでしょうか。しかし、アジアといっても文化や環境など条件は様々。

ミャンマーはまだ給与水準が低く、日系企業に就職する事を前提とするとあまり多様性は感じられないと思います。シンガポールやインドネシアなどであれば、比較的給与面も安定していて働き方や人に多様性があるので、次のステップにつながりやすそうです。

自分の強みを生かした戦い方で、前進し続ける

Open Image Modal

----ビジネスマンとして、将来の理想像はありますか?

富田:会社に依存せず、自分の強みを活かして働きたいです。こう考えるようになったのは、ある起業家の方の影響ですね。その方は「自分の強みをとことん伸ばすことで成功しよう」というマインドの持ち主でした。自分にとって不得意なことをいくら頑張って改善したとしても、平均値くらいにしかならない。だったら得意なことを伸ばして生き残ろうと考えたそう。

私は前職で良い成績を残せたわけではありませんが、ミャンマーでは新規一転、自分の強みを伸ばして戦っていきたいと思っています。

----富田さんとお話していると、情熱を全面に押し出すような経営者タイプではない印象を受けます。

富田:情熱を持って突き進む人にも憧れますが、私は淡々と積み重ねていくタイプですね。私の強みは継続力だと思います。以前本で読んだのですが、1日0.1パーセント努力して成長できれば、年間で約30パーセント人は成長するそう。それが何年も継続できたら、大きな変化に繋がりますよね。

私は超凡人で何かにすごく秀でているわけでもなく、3流以下だと思っています。せめて2流までいくには、人がしたがらないことをやるしかない。

それが自分の生きる道であり、ミャンマーを選んだ理由でもあります。自分にあった戦い方を見極めながら、今後も一歩一歩ミャンマーで前進していきたいですね。

~この記事を読んだ方におすすめの記事~

【プロフィール】

富田 博之(とみた ひろゆき)

1986年9月生まれ。一人っ子、寅年、天秤座、A型。東京都西東京市出身、埼玉県所沢市育ち。中央大学経済学部卒。在学中にアジア、アフリカ、中東をバックパッカーとして旅して予定調和の人生観が一変。

卒業後2010年から東証一部上場株式会社シモジマで5年間勤務。2014年11月に【100年カレンダー】を買ったことを機に、自分の人生を見つめ直す。ミャンマーの人口最大の都市ヤンゴンで、2015年7月1よりコンサルティング事業立ち上げ業務に参画。現在はアジアを放浪中。