このような経験はないだろうか。昔好きだった音楽を聴くと、当時の出来事や、そのとき感じた気持ちが鮮明によみがえる。音楽には、私たちの記憶を自然に刺激する力があるのだ。
昨年、医療関係者向けの講演をした。はじめに "Twinkle Twinkle Little Star (きらきら星)"を使った簡単なリラクセーションをして、その後音楽の力や音楽療法について話をした。
講演の後、50代の女性が笑顔で話しかけきた。
「さっき、あなたが『きらきら星』を唄うのを聴いて、何十年ぶりに母のことを思い出したんです」
母親はずいぶん前に亡くなったのだろうか?
「いいえ、実はまだ生きてるんです。ただ、ずっと話してなくて......」
女性の名は京子さんといい、総合病院の内科医だった。
彼女は愛媛県の小さい町で生まれた。長女の京子さんは、母親によく叱られ、叩かれたこともある。母親はずっと怖い存在だった。
高校卒業後、すぐに家を出て東北の医大を選んだのは、厳しい母親から逃れるためだった。卒業後は仙台で働き、愛媛に帰ることはなくなった。その後、母親とは疎遠になり、今では会うことも話すこともない。
「今日、何十年ぶりに思い出したの。私が小さいとき、母が歌を唄ってくれたこと。その歌が『きらきら星』だった」
京子さんは目を輝かせた。
彼女が小学生の頃、母親は英会話教室に通っていた。そこで、『きらきら星』などの歌を英語で覚えてきて、京子さんに唄ってくれた。ふたりで一緒に唄ったこともあった。
「なんでかな、ずっと忘れてた。厳しかった母の思い出が強烈で、そういうこともあったってことが記憶のどこかに眠っていたのかもしれない。でも、今日あなたの歌を聴いて思い出したの。母にも優しい面があったってこと」
80歳を過ぎた母親は、初期の認知症を患っている。でも、まだ電話で話せる状態だ。
「音楽の力ってすごいわね。明日、母に電話してみるわ」
別れ際、京子さんは優しい笑顔で言った。
音楽の本質とは、私たちに思い出を与えてくれることだ。
~スティービー・ワンダー
(2016年1月7日「佐藤由美子の音楽療法日記」から転載)
『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)参照