医薬品の開発の過程では、候補薬を、実際に患者に投与する臨床試験が行われる。
臨床試験の際は、候補薬の効き目や副作用などを確認するために、患者を、候補薬の投与対象者と、効用や副作用がない対照薬(プラセボ)の投与対象者の2つの集団に分けて、両集団の結果を比較する。
これは、薬を投与されたということの心理面の医療効果を、臨床試験結果から排除するための措置である。
投与にあたり、まず、プラセボを、人の五感の面で、候補薬にできるだけ類似させておく必要がある。
例えば、形状や味、匂いなどの微妙な違いから、候補薬か、プラセボか、がわからないようにしておく。そして当然のことながら、投与対象の患者にとって、自分に投与されたものが、候補薬なのか、プラセボなのかは、わからないようにする。
このような操作は、「マスク化」とか、「目隠し化」などと呼ばれている。
それでは、患者に対して、マスク化をすれば十分だろうか。
例えば、候補薬もしくはプラセボを患者に投与したり、投与後の患者の診察を行ったりする医師については、どうだろうか。
仮に、ある患者に投与する予定のものが、候補薬かプラセボかを、医師が知っていたとする。医師も、人間である。投与の際、医師の表情や仕草に、ヒントが現れて、患者に悟られてしまうかもしれない。
また、投与後の診察の際、医師が「この患者は、プラセボが投与されたのだから、病状は変わらないはず。」などと、先入観をもって、患者を診てしまうかもしれない。そのような先入観が、診察の結果に何らかの影響を与える可能性は否定できない。
そこで、患者だけではなく、医師などの医療関係者にも、マスク化をしておくことが必要となる。
つまり、医師などの医療関係者は、ある患者に対し、薬剤A、Bのうち、Aを投与したことは知っているが、Aが候補薬なのか、プラセボなのかは知らない、という状態に置かれることとなる。このことは、「二重マスク化」と呼ばれている。
さて、これで、無事に臨床試験が行われるか、と思われた矢先に、更なる問題が発生する。問題は、医師から集められた薬剤の投与と、投与後の診断の情報を見る、評価者に生じる。
評価者も、人間である。投与された薬剤が、候補薬かプラセボかを知った上で、医師の診察結果を読めば、評価の内容に影響が出るかもしれない。
例えば、同じ診察内容の文面であっても、候補薬が投与されていた場合には病状改善、プラセボが投与されていた場合には病状不変、に傾斜した評価を下しかねない。
そこで、評価者に対しても、分析対象が候補薬なのか、プラセボなのかを、わからないようにする。これは、「三重マスク化」と呼ばれている。
これでもう大丈夫、と思ったところ、更にもう1つ問題が生じる。今度は、臨床試験の結果をとりまとめるデータの分析者だ。分析者は、公正にデータを解析することが求められる。しかし、分析者も、人間である。
対象が、候補薬かプラセボかを知っていれば、データの補正や、異常値(外れ値)を示すデータの除去といった、分析上の細部の取り扱いにおいて、違いが出てしまうかもしれない。
また、極端な例として、意図的に、候補薬の有効性を示そうとして、分析結果が統計上、有意となるように、データを改ざんするといった行為を誘発する可能性も残されている。
そこで、データの分析者についても、分析対象が候補薬なのか、プラセボなのかを、わからないようにする。これは、「四重マスク化」と呼ばれている。
このように、患者、医師などの医療関係者、評価者、分析者に対して、次々にマスクをかけていって、ようやく候補薬の臨床試験が公正に行われることとなる。
それにしても、こうした多重マスク化は、人を疑いだしたら際限がないということを、象徴的に表しているのではないだろうか。(なお、通常の臨床試験では、二重マスク化まで行えば、問題ないとされることが多いようである。)
ここから先は、筆者の作ったフィクションとして見てほしい。仮に、四重マスク化をしたとしても、分析者から解析結果の報告を受ける、分析者の上司が、先入観を持っていて、報告の内容を曲解してしまうかもしれない。それでは、ここにもマスクをしておこう。
更に、分析者の上司から、医薬品メーカーの役員や経営トップに臨床試験結果の報告をする際に、報告を受ける側が先入観を持っているかもしれない。それでは、ここにもマスクを...。
このような闇雲な、マスクの多重化を断ち切るためには、つまるところ、人が本来持っているはずの誠実さ、に頼るしかないという気がしてくるが、いかがだろうか。
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(2017年10月2日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
保険研究部 主任研究員