東京新聞の望月衣塑子記者や元官僚の前川喜平氏らが憂う、報道のいま。映画「新聞記者」の記念対談【動画】

「平成30年間、首相官邸に権力は集中した一方、メディアの対抗は遅れた」

国家権力の闇を暴こうとする女性新聞記者の奮闘を描く映画「新聞記者」(藤井道人監督)が6月28日、全国一斉に公開される。

韓国の若手女優シム・ウンギョンが新聞記者、松坂桃李が若手官僚をそれぞれ主演する。

作品はフィクションだが、東京新聞の望月衣塑子記者の自伝「新聞記者」を原案としているほか、安倍政権が追及された加計学園問題など、実際に起きた出来事を意識した作りになっている。

作品に合わせ、望月記者が元文部科学省事務次官の前川喜平氏、新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長でジャーナリストのマーティン・ファクラー氏と対談した。その模様は作中でも一部登場する。

ハフポストは対談の主要部分をまとめた動画を制作側から提供を受け、独占的に掲載する。最後となる3回目のテーマは、「これからのメディア」だ。

対談の主な内容は以下の通り(敬称略)。

 政治の側が、平成の30年をかけて、どんどん(首相)官邸に権力を集めるという改革をやってきた。

これに対して、メディアの側がどう対抗するかという改革が遅れてきたというのが、現場にいる僕の実感です。

マーティンさんからみて、今の日本のメディアはどこに課題がありますか。

ファクラー 本当に今、勝負の時代だと思います。メディアの存在理由が問われている時代です。

これは政治的な変化だけではなくて、技術的な変化、デジタルメディアの普及など、いろんな問題が同時に発生し、メディアが生き残れるかどうか、本当に生存できるかどうかという大きな危機だと思う。

メディアの中では大雑把に言うと、危機意識、問題意識が不十分と感じます。どうしても昔のやり方に戻ろうとしている。

現状、客観的状況が変わってしまったんですよ。だから元に戻れないんですよ。

だとすると、今後どういうビジネスモデルで生き残るか、どういう形のジャーナリズムで生き残るか、倫理観、価値観、使命感を考え直す時代になっている。

この答えによって、日本のメディアが生存できるかどうか、そういう時代になってきたと思う。

 前川さんはいかがでしょうか。

前川 僕はある大新聞からひどい目にあったことがありまして、政治権力の手先になったんじゃないかと思われるような動きがあったわけですよね。

これは私自身が対象になったということを置いて考えてもね、非常に危ないことだと思います。政治権力に使われてしまっている大手メディアなんていうものが実際に出てきてしまったわけで。

これはものすごく危険なことだろうなと。

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前川喜平氏
時事通信社

メディアというものが政治権力のプロパガンダのために使われるってことはね、これはどんどん進んでいけば、それはもう1930年代のドイツのようになってしまうんじゃないかと。そういう心配を持っていますね。

テレビにしても新聞にしても、権力寄りなのか、あるいは権力を批判する側に立つのかという色分けがはっきりしてきちゃってると。これが非常に問題だと思う。

是々非々であればいいんですけど、是々々々のところと、非々々々のところ。まあときには是のところもあるかもしれないけど。そういう分断、二極化が起こっている。

でもこれ、二極化って言うんだろうかと。政権の言うことを全部、大本営発表のように報道するようなメディアはメディアって言えるのかと。真剣に問う必要があると思いますね。

 望月さんはどうですか。

望月 私自身の経験でやっぱり、官邸の記者クラブの記者たちは会見で、シーンと静かなわけですね。(そこに自分が出席するようになって)「ああ、なんかいつもと全然違うムードでこの記者やっちゃってる」と。

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記者会見で挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(中央下)を指す菅義偉官房長官=2019年3月、首相官邸
時事通信社

でも一番力になったのは、あれを見ている市民一人ひとりです。「ようやく質問してくれるやつが一人出たか」と。今、会見がネットで見れますから、それを切り取りながら、ネット上で拡散する。

そうして反響が会社に届く。「色々官邸サイドから言われることがあるかもしれないけど、やっぱり望月さんを行かせてください。守り続けてください。助けてください」と。

すごく反響が出て、これはSNSが発達したことによって、私が一人ひとりの読者や視聴者の方々にある意味、支えてもらっている。

この反響のおかけで、「視聴者や読者の(求めるように)きっちり聞く必要があるんだ」と会社も判断してくれて、今も行き続けられるようになったんですけど。

SNSの弊害っていっぱいあって、トランプさんしかり、政治家がマスに頼らなくても個人個人で発信できるようになった。

マスの力が弱まったという一方で、一人ひとりがいろんな形で発信できるようになった。記者と市民の方たちが問題意識を共有して、物事を考えたり見たりできるようになる時代になった。

そうするとこれまでは記者クラブの中で、「じゃあ、今日はこれぐらいのコメントということにしておこう」とか、もしかしたらできたかもしれないけど、色んなことが可視化されてできなくなった。

そうするとやっぱり、問われてくるのは、どこの会社かではなくて、やっぱりそこにいる記者さんが何をどういう問題意識を持ち、どんな物事をみて取材しているのか、一人ひとりの「個」が問われる流れになったと思うんですね。

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望月衣塑子記者
HuffPost Japan

私最近、たまたま大学で4回ぐらい集中して話す機会があって。みなさん、新聞読まなくなっている世代なんですけど、「今新聞社は斜陽になってますけど、私たちに何を期待しますか」って若者に聞いたんですね。

そうしたら、みんなが「ネットが発達しているけど、私たちが記者に求めるのは、時の権力をどうチェックしてウォッチしているのか、どういう時代になっても、きっちり追及してみてもらいたい」と。

ネットになって新聞という紙面は減っていったとしても、やっぱり記者が求められる、ジャーナリストが求められるのはやっぱり変わっていかないんだろうなっていう気がする。

しかも若者もやっぱり求めてくれているんだっていう。これが一つの私の励みにもなりましたし、だからこそ個を確立して、ジャーナリズムとは何なのかと。常に記者が問い続けなきゃいけないのかなと思いますね。