映画はアツいか――『丸』公開に寄せて

自由な立場から生まれる新しい映画、新しい才能をいち早く目撃したいと、毎年映画祭に足を運ぶ人たちがいる。

ここ数年、縁あって「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」に関わっている。PFFとは、「"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭」(公式サイトより)で、今年で39回目を迎える。

映画祭の目玉のひとつは、自主映画を対象としたコンペティション部門「PFFアワード」。「作品の長さ、ジャンル、応募者の年齢、性別、国籍など一切の制限のない、世界の映画祭でも類を見ない、最も自由なコンペティション」(同上)で、入選作は映画祭で広く上映される(筆者は2015年より、セレクション・メンバーの一人としてアワードの審査過程に参加)。

自主映画とは、その名のとおり、誰に発注されたわけでもなく、制作に関する一切を制作者個人が背負って「自主的につくられた映画」で、監督・スタッフ・役者が無名という作品も珍しくない。それでも、自由な立場から生まれる新しい映画、新しい才能をいち早く目撃したいと、毎年映画祭に足を運ぶ人たちがいる。

現在公開中の映画『』も、そうして世界に可能性を見出された自主映画のひとつだ。

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(映画『丸』)

『丸』は、本作が長編デビュー作となる鈴木洋平監督による作品。シネアスト・オーガニゼーション大阪の助成のもと、大阪・西成区で撮影。PFFアワード2014での入選を皮切りに、バンクーバー国際映画祭、New Directors / New Films 2015、ウィーン国際映画祭など、数々の海外映画祭で上映された後、このほど日本に「逆輸入」され、劇場公開と相成った。

ストーリーは、「平凡な無職の男の部屋に突如出現した謎の球体が、奇妙な現象の数々を引き起こし――」という、謎めいたもの。何が起きたのかは劇場で確かめてほしいが、何かと正体不明な本作について、これから『丸』に出会う人、あるいはすでに『丸』と出会い、抱えきれないものを抱えてしまった人のために、監督へのインタビューをもとに、いくばくかの手がかりのようなものを以下に記す。

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(鈴木洋平監督)

鈴木監督は、1984年茨城県日立市生まれ。両親は市民劇団で役者をしており、映画好きでもあった父親の影響で幼少期から映画に触れて育つ。高校3年の文化祭で映画作品を初監督。多摩美術大学映像演劇学科への進学と同時に上京し、在学中に『空気に殺される』『素人アワー』(いずれも2010年にNippon Connectionで上映)などの作品を制作。卒業後は郷里に戻り、現在は水戸を拠点に映画制作を行いながら、クラブの空き時間を活用した映画館「CINEMA VOICE」の運営なども行っている。

『丸』が制作された背景には、2011年の東日本大震災があったと監督は言う。「どうしても、"以前・以後"を意識せざるを得ない地点というものが存在していて、2011年もそうだと思うんです。『丸』も"以後"の映画にする他ないというか」(鈴木)

震災時、監督が住んでいた茨城県日立市は震度6強の揺れに襲われた。自身は無事だったが、周囲の被害は甚大で亡くなった人もいたため、しばらくは映画を作らず喪に服そうと考えた。「だけど、知り合いが原発関連の仕事に関わり始めるなど、震災に関するいろんな動きが噴き出しているのを目の当たりにしたんです。普通にしていたら見えないけれど、いろんなものが動いている。人でも、原発でも、政府でも。それは『丸』における球体ですよね。そういうものを映画にしたいと考え始めました」(鈴木)

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(映画『丸』)

そうして完成した『丸』は、海外の映画評論家からも高い評価を受け、前述したように海外ではすでに多くの観客が『丸』を目撃している。「海外の映画祭では、自分の映画がすごく広い劇場でかかるわけです。でも、多くの人に観てもらえることよりも、大きな劇場が街中にいくつもあって、それが普通に成り立っていることの方が印象的でした。それだけ多くの人が映画を観に来てるっていうことじゃないですか。台湾の映画祭も若いお客さんが多くて、日本と活気が違うんです。映画がアツい場所は世界中にいっぱいあるんだなって」(鈴木)

有名な役者が出ているわけでもない。ベストセラー小説が原作なわけでもない。商業映画のような派手さはない。だけれども、誰に望まれずとも今という時代に生まれて来ざるを得なかった映画の出現を、まずは拍手でもって迎えたいと思う。そうして、日本もまた「映画がアツい」場所になることを望まずにはいられない。

』は、シアター・イメージフォーラムにて公開中、ほか全国順次ロードショー。

(文中敬称略)