趣味の領域でやたら他人を見下している人、いませんか? 意識だけ不当に高く、何かにつけて正論を振り回して自分よりも立場が下だと感じた他人を口撃する「見下しマウンティングおじさん」たち。
女性にもいますが、基本的には男性、若者よりも中年以上に多いように感じます。
以前、乃木坂46・生駒里奈氏が番組内においてアニメ「ワンピース」が好きと紹介されていたものの、そのキャラクターの声優を知らなかったこと等がネットで反感を買い、ブログで土下座の写真とともに謝罪するという事態に発展したことがありましたが、その背景にある「オタクの老害化」についてエキサイトニュースで記事にしました。
ただ、このような話は何もオタクの世界に限った話ではなく、趣味の世界には全般的に言えることのように思います。
さらに、昔はリアルな空間で何となく避けられていた彼等ですが、近年はSNSという"活躍の舞台"を手に入れてしまったことで、大暴れしているように感じるのです。
私は山登りを趣味にしているので、今回は山登り界隈に巣窟する「マウンティング山おじさん」(英語にすると「マウンティング・マウンテン・マン」、略して「マママ」)の事例を4つほど紹介したい思いますが、山登り趣味以外の人にも、「いるいる!私or僕の趣味の領域にもこういう人!」と感じることも多い内容になっていると思います。
(事例1)ネクロマウンティングおじさん
2016年のお盆に一般登山道で最難関ルートと言われる北アルプス・穂高岳の「ジャンダルム」というところに行ったのですが、その際同じ時間に山頂には私と友人以外に2名ほどおりまして、うち1名が次の山頂(奥穂高岳)に向かっている途中で滑落してしまったのです。後にニュースで知ったのですが、残念ながら亡くなってしまったとのこと。
そしてそのニュースについてコメントしている人をネットで見かけたのですが、「どうせ素人が装備もテキトーに行ったのだろう。メディアが安易に登山を普及させようとするからこうなるのだ」みたいなことを書いている人が数名いたのです。
でもNHKの報道によると、「亡くなった方は登山歴10年以上のベテラン」と表記されていました。私はこの時、SNSで非難を展開していた彼らに対して非常に強い怒りを覚えました。
狭隘な洞察しか持ち合わせていないのに勝手に邪推する。亡くなっているのに「ご冥福をお祈りいたします」のような気持ちを表明することはなく、ただ見下して非難を展開する。完全に亡くなった方を侮辱していると思います。
このような被害者非難は決して特殊なケースではありません。以前は山登り関連のFacebookページに入っていたものの、今ではやめてしまったのですが、理由は「見下しマウンティングおじさん」たちによる遭難者非難が酷く、辟易してしまったから。
どこからか遭難のニュースを持ってきては、評論家気取りにひたすら遭難者を見下す投稿が随所に目立ちました。
もちろん彼らが言っていること自体は、登山の知識としては正しいことも多いと思います。でも、そのような遭難しないための正しい知識というのは、それを知らない人に「啓発」をすることで、より安全で楽しい登山の普及を目指すことが唯一無二の目的のはずです。
でも彼らがやっているのは「啓発」ではなく、単なる「victim blaming(被害者非難)」による自己満足です。(※victim blamingは主に性犯罪被害者に対して行われることが多い非道徳的行為。「自衛を徹底しなかったお前にも責任or原因がある」のような発言がその代表例で、アメリカ版Wikipediaもあります)
結局のところ、「見下しマウンティングおじさん」たちは他人のために言っているわけではなく、ただ自分の見下し欲求を満たして悦に入りたいがために言っている、だからたちが悪いわけです。
そして同じことをやっていても、生きている人よりも亡くなった人だと非難の量も多くなる。つまり、「死人に口なし」だから安心して言いたい放題というわけです。
(事例2)女子マウンティングおじさん
「ヒートテックは登山に使えるか否か」という話が、ネットの登山クラスタ界隈でかなり話題になるということがちょっと前にありました。
私はあまり詳しくはないのですが、どうやら素材として使われている「レーヨン」のせいでヒートテックを着ると汗冷えしてしまうらしいです。
にもかかわらず、ユニクロが七大陸最高峰日本人最年少登頂記録を打ち立てた南谷真鈴さんを起用して、「ヒートテックは登山にも使える」と広告を打ち出したことに批判が集まりました。
実は彼女はベースレイヤーに別のものを装着してその上にヒートテックを使用していたとのことだったようなのですが、その事実が明らかになるまで、見下しマウンティングおじさんたちが騒ぎ立てていました。
もちろん、問題点を指摘するということ自体は重要なことですが、中には南谷さんに対して「あの子は知識が無い」「実力が無い」「所詮は金で担がれた」など散々マウンティングを展開する人が結構いました。信じられません...
男性の年配登山家であればここまで激しい非難は起こらなかったはず。でも南谷さんが自分より年下の19歳でかつ"女の子"だったことで、「格下の存在」と見なしたから、「見下しマウンティングおじさん」たちによる嬉々としたマウンティングが殺到したのだと考えられます。
(事例3)硬直した原理主義者
先日、私が「高尾山に行くのに数万円もするトレッキングシューズは要らないと思う」という趣旨の発言をしたところ、「見下しマウンティングおじさん」たちや彼等と精神構造を同じくする人々から、「こういうこと言う奴こそ一番に遭難する!」「これだから上級者もどきは!」という批判をたくさん受けました。
確かにコースによってはトレッキングシューズを履いたほうが無難なところもあると思います。知人にかつて周辺山域を管轄とする部署に勤めていた警察官の方がいますが、高尾山で実際に遭難する人が結構いるという話も聞いています。
ですが、舗装された1号路であればトレッキングシューズの必要性は低いのではないでしょうか?
私は決して「全てのコースにおいて安全だ」と言ったわけではありません。また、年齢等もリスクに大きく影響するので、高齢者等は1号路でもトレッキングシューズのほうが無難かもしれません。
決して「全ての人が安全だ」と言っているわけではないのです。そもそも私は上級者ですらなく、むしろ初級者と自称しています。
そのようなケースバイケースを考えることもできず、彼らはひたすら「絶対必要だ!」「安全軽視だ!」と原理主義的にルールの適用を叫びます。
ですが、遠足で来ている小学生はほとんどがトレッキングシューズを履いていないわけで、どうして彼らはその先生たちに「絶対必要だ!」「安全軽視だ!」と怒らないのでしょうか? 本当に必要だと思うのならば、体の未熟な彼等こそ危険から守るべきだと思うのですが。
その矛盾を考慮すると、彼らは「事故を起こさないために」と潜在遭難者のことを思って発言しているのではなく、「俺様ルール」とは異なることを言っている人を非難したいだけのように感じます。
子どもが事故をした時に母親を執拗に叩く人が全く子供のことを想っていないのと同じ構造ですね。
また、合わせて、私は「高尾山に行くのに(中略)ロープウェイ(ケーブルカーの間違い)使えばサンダルやハイヒールでも大丈夫」という発言をしたのですが、もちろんこれは「サンダルやハイヒールでも高尾山には行動可能な範囲がある」という意味です。
ところが、「全てのルートでサンダルやハイヒールで最初から最後まで登山可能」と勝手に解釈して、「頭おかしい!」と非難をする人が後を絶ちませんでした。もちろん、「そんなこと一言も言っていない」わけです。そんな読解能力くらい未就学児でもあると思うのですが...
それだけではありません。「勝部、高尾山に行った事ないなw」「勝部が高尾山に行くなんてアオカンくらいしか理由が思い浮かばない」等、ビックリするほど邪推のオンパレード。そう、彼等にとっては文脈や意図はおろか、事実すらもどうでも良いのです。
彼らはひたすら血眼になって相手を見下せるポイントを探し、見つけたと思ったら文脈は完全に無視して都合の良いように文字を切り取り、事実とはかけ離れたスーパーアクロバティックな独自の解釈を加えて、矛盾していてもお構いなしで、ひたすら人を見下して非難をします。
見下し欲求に飢え過ぎて殺到する様子に、憤りを通り越えてもう哀れな気持ちにしかなりません。そして自分の周りには彼等のような人がいなくてホッとしています。
(事例4)自治厨マウンティング
マナーの悪い人はもちろん登山者の中にもいますし、マナー違反が起こらないよう、より一層の啓発が必要というのは誰も疑いの無い事実だと思います。ただ、マナー違反を見つけると、SNSでこれ見よがしに叩く人たちがいます。
確かにマナー違反は不快ですが、正直なところ、傍から見れば彼等も同じように不快です。犯罪者に対して石を投げる行為が犯罪であるのと同様に、マウンティングや見下し行為も十分マナー違反ですから。
このようなケースも前述の事例と同様に、本当にマナーを守った登山を啓発しようとしているわけではなく、他人を非難して自己の溜飲を下げたいだけだと思うのです。
昔、ネットでよく見かけた「自治厨」(新参者に独自ルールを押し付けようとする古参メンバー)にも精神構造は近いように感じます。
ちなみに彼等の過剰な反応を見ていると、邪推かもしれないですが、「本当は自分がマナー違反をしたいから、抜け駆けをした人に強烈にズルイという感情を抱いているのではないか?」とさえ思ってしまいます。
もちろん全てがそうだとは思いませんが、実際にそういう人もいるのではないでしょうか。
というわけで4例ほど「見下しマウンティングおじさん」の事例についてご紹介しましたが、彼らは山登りに限らず幅広い趣味の領域に着々と生息域を広げているので、おそらく彼らをSNS等で見かけて気分が悪くなった人もすごい多いと思うのです。
でもなぜ、彼らは人を見下せずにはいられないのでしょうか? それは承認欲求の問題が強いと考えられます。要するに、弱い犬ほどよく吠える。今週末2017年3月26日(日)に東京・高円寺にて著述家の古谷経衛氏との出版記念トークイベント( http://pundit.jp/events/2707/ )に出演させて頂く予定なのですが、今回の話題にも触れつつ、彼等の問題を詳しく論じたいなと考えています。
一方、「お前こそ彼等のことを見下しているのではないのか?」と感じた人もいるかと思うのですが、基本的に私には誰かと比べるという発想がほとんど無いですし、誰かを見下したい欲求は微塵もありません。
上とか下とかではなく、人としてのただの拒絶。平和に楽しみたいのに、彼らが向こうから土足で荒らしに来るから仕方なく応戦しているだけで、自ら荒らしに行く彼等とは完全別です。
私はこれからも「見下しマウンティングおじさん」とは無縁に、誰かと比べたり見下したりすることなく、心穏やかに自分の趣味を楽しみたいと思います。
もしこの記事をご覧になった方が「見下しマウンティングおじさん」に絡まれたくないなと思ってらっしゃったら、「見下しマウンティングおじさんお断り」ということをSNS等で先に表明しておくことも多少は効果があると思うので、是非その際にこの記事やエキサイトニュースの記事を利用して頂けると嬉しいです。
(2017年3月23日「勝部元気のソーシャルアップデート論」より転載)
Author 勝部元気(Katsube Genki)
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