槍ヶ岳診療所での活動を終えて下山しました。標高3060メートル地点にあり、登山者からは「雲の上の診療所」と呼ばれています。東京慈恵会医科大学の運営により、ボランティアの医師や看護師らが交代で登山者の傷病に対応しています。
2泊3日の短い滞在でしたが、夏休みシーズンということもあって、多くの受診者がいらっしゃいました。ただ、軽症者ばかりだったことは幸いでした。天候も良く、登山者の皆さんと一緒に北アルプスの美しさを満喫させていただきました。
最近は中高年の登山がブームで、旧来の遭難事故ばかりでなく、基礎疾患を増悪させての受診も増えています。とくに糖尿病.....。登山でエネルギーを使うだけでなく、脱水による高血糖も来しやすいので注意が必要です。動けなくなると、救助に行くのも大変です。心疾患や糖尿病など基礎疾患のある方は、従前によく主治医と相談されて、その指示に従っていただければと思います。
あと、外国(とくに韓国、台湾、香港)からの登山者が増えていますね。海外からの旅行登山では、多少の体調不良や天候不順があっても強行する傾向があるようです。また、登山経験も浅い人が少なくありません。そして体調を悪化させる......。
日本の美しい自然を楽しむツアーは歓迎しますが、ただ登山に関しては、売り込む代理店の責任もあると思います。余裕のある日程を組むこと、基礎疾患(医師の診断書)を確認すること、進退の決断を参加者に丸投げしないこと、登山もカバーする旅行保険に加入させること、よろしくお願いいたします。
標高が上がれば空気が薄くなり、呼吸で取り込まれる酸素の量も減ります。この低酸素状態に順応できなければ、徐々に様々な症状が現れるようになります。これを急性高山病と言います。
発症するかどうかや重症度には個人差が大きく、その日の体調によっても左右されます。ただ、高度を上げていけば、誰しも発症しうるものです。頭痛を訴えるのが一般的ですが、すべての臓器が酸素不足にあえいでおり、嘔気・嘔吐などの消化器症状、めまい、フラツキ、眠気、そして倦怠感などの症状を認めることもあります。
槍ヶ岳診療所でも、急性高山病の症状を訴えて受診される方が多かったです。とくに、上高地や新穂高温泉を早朝に出発して、槍ヶ岳山荘へと一気に登ってくる登山者がハイリスクのようでした。
原則として、急性高山病は薬で治すものではありません。しかしながら、ネットから得た知識なのでしょうか、「症状が出たらアセタゾラミド(ダイアモックス錠)を内服すればよい」と考えている登山者が多いことに驚かされました。登山者同士で譲渡しあっているという話も聞きましたが、糖尿病など内服にあたって注意すべき人がいます。必ず医師を通じて処方を受けてください。
たしかに、アセタゾラミドは高山病の予防や初期症状に有効だと考えられます。私自身もチベット高地を訪れたときに内服したことがありました。北米のデナリ山(6150メートル)における研究では、12人の登山者をアセタゾラミド内服群とプラセボ(偽薬)内服群の6人ずつに分けて登らせ、24時間後の症状を確認したところ、前者のうち1人のみが高山病の症状を認めたのに対し、後者は全員が発症したとしています(Grissom CK, et al:Ann Intern Med 1992;116:461-5)。
ただ、アセタゾラミドを内服しながら高度を上げても、もはや後がないことに気がついてください。急性高山病から回復することができなければ、高地肺水腫(HAPE)や高地脳浮腫(HACE)になってしまう可能性があります。こうなると死に至ることも十分に考えられるのです。
急性高山病を発症してしまったときは、最低でも登山を中断して高地順応を待つべきですし、中等症以上であれば下山すべきです。診療所であれば酸素投与をしながら回復させることも可能なのですが、やはり、その後は下山するよう私はアドバイスしていました。
標高のある山や地域(おおむね2400メートル以上)を訪れる方は、急性高山病を侮ることなく、薬に頼ることなく、まずは予防をしっかり心がけてください。すなわち、しっかり睡眠をとってから行動を開始すること。また、一気に高度をあげるような登り方をせず、自分の年齢や体力にあった高地順応を心がけること。そして、休憩をこまめにとること。水分補給を適切にとること(塩分も忘れずに)。最後に、とくに中高年の方、山小屋に着いて開放的な気持ちになるのは分かりますが、アルコールの摂取はほどほどしましょう。