「“中の人”は、人気者にならなくてもいい」。森美術館のSNS担当者によるアドバイスが優しくてタメになる

「志」を持って、実直に発信しつづけること。目立とうとしたり、奇をてらったりする必要はない。そんなメッセージが伝わってきました。

建物の壁に、たくさんの人がぶらさがっているこの写真。2018年、InstagramやTwitterで目にしたことがある人も多いのでは?

この写真は、東京・六本木にある森美術館で開催された「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」で撮影されたもの。

森美術館は館内での写真撮影やSNSでの投稿を積極的に促し、ネット上で大きな「バズ」を生んだ。同展には60万人以上が訪れ、2018年の国内の美術館来場者数ランキングで1位(※美術手帖調べ)を記録した。

こうした森美術館のデジタル戦略をまとめた書籍『シェアする美術: 森美術館のSNSマーケティング戦略』が、6月12日に発売された。著者は、同館でSNS運用などを担当する洞田貫晋一朗(どうだぬき しんいちろう)さん。合計約40万人のフォロワーを超えるInstagram、TwitterなどのSNSアカウントの「中の人」だ。

ネットではユーモアある企業アカウントが人気を集めるが、洞田貫さんは「『中の人』は必ずしも人気者になる必要はない」と語る。どういうことなのか?

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写真撮影OKの取り組みは2009年から

森美術館は、国内の美術館の中でも先駆的にデジタル戦略に取り組んできた。 

写真撮影を解禁したのは、2009年。当時、TwitterなどのSNSはまだ普及していなかったが、中国の現代芸術家で人権運動にも取り組むアイ・ウェイウェイ(艾未未)の特別展で、国内の美術館として初めて館内での写真撮影を解禁した。

洞田貫さんによると、館長の南條史生さんが写真撮影解禁の「旗振り」にもなったという。 

「マーケティング的な思考から撮影を解禁したのも、森美術館の特徴だと思います。お客さんに作品をどう鑑賞して楽しんでもらうか、どう発信してもらうか。戦略的に取り組んだ結果だと思っています。海外の美術館はすごく開かれていますよね。日本でも、森美術館から写真撮影を許可することが著作権に関するさまざまな問題とともに1つの議論になればいいという思いもあり、複合的な狙いや意図で解禁したと南條館長から聞いています」

著作権や所蔵者の意向によって、すべての作品が撮影できるわけではないが、今も基本的にすべての展覧会で写真撮影を許可できるよう努めている。 

森美術館がSNSを使ったデジタルマーケティングに力を入れ始めたのは、Instagram日本版がスタートしてまもない2015年だ。

洞田貫さんはもともと六本木ヒルズ展望台の企画や運営、広報業務をしていたが、同年に森美術館のマーケティンググループに所属。以降、SNS広告の運用や、InstagramやTwitterの「中の人」として展覧会の最新情報などの発信を続けている。

写真撮影やSNSの活用に、アーティストたちも協力的かつ肯定的だ。

たとえば、2017年4月に開催された「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」。同展では、閉館後の美術館をインスタグラマーに解放し、自由に撮影してもらう海外発のイベント「#empty」を実施した

作家のN・S・ハルシャ氏は、「一度作品が完成してしまい、自分の手を離れてしまうと、それはもう私の作品ではなくなる」と話し、来場者が思い想いの表現で作品を撮影し、SNS上に作品が広がっていくことを寛容にとらえていた。

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N・S・ハルシャ 《レフトオーバーズ(残りもの)》2008/2007
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「日本では、現代アート展の来場者を呼ぶのが難しい」SNSに力を入れる理由

このように、森美術館が写真撮影を許可し、SNSでのシェアも歓迎するのには理由がある。

「日本では、現代アートの美術展は来場者を呼ぶのも難しいんです」と洞田貫さんは話す。

「展覧会に興味を持ってもらう、という段階まで持っていくだけでも大変なんです。そもそも、興味を持ってもらう前に、まずは『認知』をしてもらわなくてはいけないので。そう考えた時に、やっぱりTwitterなどのSNSで人にリーチして、ワッと広げていく必要がある。砂漠に水を撒く、みたいなことにはならないように、ある程度はターゲットをしぼるんですが...『行ってみようかな』、と来館の意欲がちゃんと醸成するように仕掛けを作って、来てもらえるように頑張っています」

洞田貫さんは著書の中で、森美術館の来場者を以下の4つの分類に分けて紹介している。

①どんな展覧会でも毎回必ず来てくれるアートファン
②興味ある展覧会には来てくれるリピーター
③面白そうだと思ったら来てくれる層
④興味は薄いがきっかけがあれば来る層

『シェアする美術: 森美術館のSNSマーケティング戦略』P.154

③と④の層は、滞在している人数は多いが行動が「受動的」だ。きっかけがないと来館には繋がらない。SNSやデジタル広告の施策では、特にこの③と④の層にアピールしていくことが大切だという。

いつも森美術館に来てくれている層には、確実にお知らせする。あとは、思いも寄らないターゲット層にも来てもらえるように、毎回工夫を凝らしています。たとえば、2018年の『建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの』では、年齢が高めの男性や建築の仕事に従事しているような方が来てくださったので、その層にもリーチするような施策を考えました」 

『来てくれるべき人に届けたい』という執念でプロモーションをしています。執念というか、届けなきゃいけない、という思いかもしれません。美術展というのは、開催期間が過ぎてしまったら二度と見られないですよね。『もし知っていたら行きたかったのに』となるのが、一番悲しいじゃないですか。それは、届けられなかったこちらの責任でもあるので、来てくれそうな人には100%届くようにしてあげたいですよね。それにはやっぱりSNSが一番いいと思っています」

 

「必ずしも“人気者”になる必要はない」

「SNSをやりたいけど、センスに自信がない」、「何を発信すればいいかわからない」——。ユーモア溢れる、人気者の「企業アカウント」が注目を集める今、このような悩みを抱える人もいるかもしれない。

Twitterでは、「SHARPさん」の愛称で親しまれるシャープやタニタ、セガホールディングスなど、「中の人」のキャラクターが前面に出るアカウントが人気だ。

一方で、洞田貫さんは「『中の人』は必ずしも人気者になる必要はない」とも主張する。

森美術館のSNSアカウントを見ると、確かに内容は極めてシンプルだ。展覧会の基本情報をわかりやすく伝える投稿が多く、「キャラクター性」も薄い。

その理由は何なのか。 

「美術館のアカウントでは、写真を投稿するにしても撮影の仕方に制限がありますし、文字で伝えるにしても作家の意図を汲み、ちゃんと作品のストーリーから外れないようにしなくてはいけない。その中でできることの限界に挑戦しているつもりですが、ある意味では“足かせ”もやっぱりあるんです。キャラクターを押し出すアカウントもいいと思いますし、少しうらやましくもあります。(笑)」

「ただ、個人を押し出すことに振り切っているアカウントの場合は、『中の人』が変わったら、一気にツイートの内容も変わってしまう、という“紙一重”な部分もあると思います。そうするとやっぱり、人気アカウントを持続させるのが難しくなる。あとは、企業がそれで良しとするならいいんですが、僕はその企業の『底上げ』をできるように、その企業が何をしたいのか、どんな価値を伝えたいのか、ということを発信するべきだとも思います」

「アートの力で心や人生を少しでも豊かにしてもらいたい」

著書の中で、洞田貫さんはこのように書いている。

情報過多のタイムラインの中にネガティブではなく、せかせかした情報でもなく、どちらにも直結していない、第三の価値を流したい。文化的な情報やアートの力で、自分の心や人生を少しでも豊かにしてもらいたい。それが、私が考える森美術館SNSアカウントの「志」です。

『シェアする美術: 森美術館のSNSマーケティング戦略』P.170

この「志」を持って、実直に発信しつづけること。目立とうとしたり、奇をてらったりする必要はない。

洞田貫さんの著書からはそんなメッセージが伝わってくる。 

僕は、美術館そのものが1つの文化施設でもあり、教育機関でもあり、情報発信をするメディアでもあると思っています。森美術館は『アート&ライフ』というモットーを掲げているんですが、人の生活や実社会に文化や芸術を浸透させていくためには、こちらから率先して情報を発信しないといけない。今の時代、『お客さんの方から来てくれるだろう』と受け身で構えているだけでは広がらないとも思います」 

発信している側が自分たちのコンテンツや商品に対して持っている『愛』みたいなものって、SNSを通して伝わってきますよね。自信満々過ぎてもいけないんですけど、そこは意識すべきだと思います」

「激しいジェネレーションギャップを感じる」と苦笑しつつも、洞田貫さんは今、10代〜20代の間で流行中のTikTokを研究中だという。「開かれた美術館」でありつづけるため、森美術館の新しいチャレンジはこれからも続いていく。