社会的格差は800年以上前からずっと続いていることが判明(研究結果)

最新の経済学研究によると、われわれの社会的地位には「流動性」が無い。しかもそれは、1世代の問題ではなく、複数の世代にわたって長く引き継がれているという。多くの人にとっては気の滅入るような話だ。
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OXFORD, ENGLAND - MARCH 22: All Souls' College quadrangle seen through its Radcliffe Square gate on March 22, 2012 in Oxford, England. (Photo by Oli Scarff/Getty Images)
Oli Scarff via Getty Images

われわれの社会には「流動性」がない。

これは、カリフォルニア大学デービス校のグレゴリー・クラーク氏と、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのニール・カミンズ氏という二人の経済学者が最新研究で出した結論だ。社会的にエリートの立場にある人にしてみれば良い知らせだと言えるだろうが、多くの人にとっては気の滅入るような話だ。

しかもそれは、1世代の問題ではない。彼らによれば、社会的な地位は、複数の世代にわたって長く引き継がれているという。複数の世代とはつまり、この研究のタイトル「Surnames and Social Mobility in England, 1170–2012(1170年~2012年までのイングランドにおける姓ならびに社会的流動性)」からもわかるように、一世代を30年として「28世代」のことだ。

この研究では、イングランドの家族の社会的地位に関する数百年分のデータが検証されている。1170年当時に社会的地位が高かった地主で、モンゴメリーやネヴィル、パーシーといった姓を持つ家系の多くは、2012年になっても変わらず社会的エリートの立場にあることがわかった。

この研究では、「社会的に高い立場にある人間」として、「オックスブリッジ」(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)の在籍者が取り上げられた。両大学に進学するのは、一般的にエリート層の学生だけだとされているからだ。

幅広い世代にわたって「相関係数」(2つの物事の関係性の強さを示す値で、それが0の場合は相関がまったくなく、1の場合は完全なプラスの相関関係にあるとされる)を導き出したところ、オックスフォードとケンブリッジ大学に在籍した同一家系における世代間の相関係数は、0.7から0.9だった。それに対して、研究結果によると、世代間における身長の相関関係は0.64にすぎないという。

つまり、身体的な「遺伝の法則」よりも強力な「相続の法則」が存在しているわけだ。「家族文化や社会的つながりの強い力や、相続されるものが、世代を長年にわたって結びつけていると考えられる」と、研究者は書いている。

これはイギリスが伝統的に社会的流動性の低い国だからではないか、と考える人もいるかもしれない。しかし、アメリカでも状況はさほど変わらない。オタワ大学のマイルズ・コラック氏が行なった2013年の研究で、イギリスとアメリカは、先進国の中で社会的流動性が最も低いことがわかっている(リンクは英文PDF)。それを示すのが下のグラフだ。

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先進国の「グレート・ギャッツビー・カーブ」。横軸は、経済格差の大きさを表すジニ係数、縦軸は、親と子の所得の連動性を表す。経済格差が大きいほど、親の所得と子供の所得レベルが固定されやすい。

コラック氏の研究で留意すべきなのは、社会的流動性が低い、つまり、社会的地位を上げるのが難しいことが、所得格差の大きさと結びつく点だ。

経済的不平等を専門とするフランスの経済学者トマ・ピケティが、その著書『21世紀の資本論』の中で警鐘を鳴らす世界が、ますます普通になりつつあるのかもしれない。それは、一般の人たちの所得が伸び悩む一方で、富裕層の相続財産はひたすら蓄積されていく世界だ。

考えてみれば我々は、そういった世界にいま現在、生きていると言える(リンク先の記事は、「アメリカでは人口のわずか0.1%が世帯資産全体の22%を所有し、格差拡大が懸念されている」という内容)。

深く憂慮すべきなのは、クラーク氏とカミンズ氏が行なった研究から、イギリスではここ数十年間において「社会的流動性を促すための社会制度」が導入されたにもかかわらず、社会的流動性に大幅な改善が見られないことがわかったことだ(具体的には、たとえば、富裕層に対する税率を上げることや、低所得者層の学生が「オックスブリッジ」に進学できるよう後押しするプログラムなどが行われてきた)。

もしかしたら、そういったプログラムや政策が功を奏するまでには、さらに時間がかかるのかもしれない。格差拡大が経済的リスクを多く生み出していることを考えれば、社会的流動性を促進させる試みをやめるべきではないだろう。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

[日本語版:遠藤康子、合原弘子/ガリレオ]

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