■ モンブランと言われて思い描くのは?
栗をふんだんに使ったスイーツ、モンブラン。見た目はちょっと地味なこのモンブランは、スイーツの中で一番好きという人も多い、隠れた人気者。手土産のケーキで、実は取り合いになりがちなのもモンブラン。
そんなモンブランだが、名前を聞いて思い浮かべるのは黄色いもの?茶色いもの?実は、そのイメージで世代が分かれるといっても過言ではないのだ。
『オムライスの秘密 メロンパンの謎〜人気メニュー誕生ものがたり〜』(新潮文庫)の著者・澁川祐子氏は語る。
「昭和生まれの私にとって、モンブランといえば、栗きんとんみたいな黄色いペーストをぐるぐるっと高く盛ったものでした。でも、気づいたら、茶色いペーストで一定方向にした均整の取れたものが主流になったような気が。そこで執筆に当たって、モンブランについて調査し始めたのです」
澁川さんが日本の定番となったメニューの歴史を辿り、それがいつ、どのように生まれて根づいていったのかを探る時に、決めたことが一つある、という。
「文献によってできるだけ事実を明らかにしようと努める、ことです。元祖とされる店に直接話は聞かないということにしました。話を聞いてしまう客観的な判断が下しづら苦なるので、一般に出回っている説を、文献によって改めて検証しようと思ったんです」
■ 元祖・自由が丘「モンブラン」の黄色いモンブラン
日本で初めてモンブランを売り出したのは、東京・自由が丘のその名も「モンブラン」だ。
その「モンブラン」のモンブランは、これである。
「そうそう、これこそモンブラン。そう思った人は昭和世代って言っていいでしょうね(笑)。創業は1933(昭和8)年。迫田千万億(さこたちまお)氏が開いたのが始まりです。登山が好きだった彼が渡欧した際に、秀峰モンブランを見て感動したところから、この店名がつけられました。そして、モンブランを看板メニューにするべく独自のものを開発したそうです」
こちらのモンブランの特徴はまず、土台にカステラが使われていること。
土台のカステラ上部をくりぬいたところにカスタードクリームと生クリームをたっぷり、そして栗を丸ごと一粒。バタークリームで縁取りした後、栗のペーストをぐるぐる絞ってある。
「この栗のペーストもポイント。フランス産のマロンペーストではなく、日本人の舌になじみ深い甘露煮を使っているんです。トップには焼いた白いメレンゲ。アルプスの山々に残る万年雪をイメージしているそうです」
「この和栗のペースト。まさに栗きんとんですよね。おせちに入ってても全く違和感がない。さらっとしてて、どこか懐かしい味わい。そして、フワッフワッのカステラも、とても懐かしい感じがしませんか? 全体的な柔らかい口当たり、しっかりした甘さは、やっぱり日本人の為に開発された昭和の洋菓子なんだと改めて感じます」
「モンブラン」という言葉。迫田氏は、モンブランという屋号を商標登録したものの、独自に開発した黄色いモンブランの方は商標登録しなかったという。
「日本洋菓子界の発展を願い、広く一般にこの洋菓子の銘柄を解放することを望んだから、だとか。そのため、黄色いモンブランはあらゆる洋菓子店で真似て作られるようになり、結果的にモンブランと言えば黄色と認識されるまでになったんです」
ちなみにRetty編集部は、昭和世代2人と平成時代3人の構成。昭和世代にとっては、幼少期の記憶がよみがえるような懐かしい見た目と味わいに胸をときめかせ、平成世代にとっては「初めて味わうモンブラン」と新しい文化との出会いであった。そんな風に世代を超えて語り継がれるもの、それこそが定番メニューの必要条件なのかもしれない。
自由が丘(東京都)ケーキ屋
■ 茶色いモンブランが日本に上陸したのは?
「黄色いモンブランのイメージが強いのは昭和世代かも」と澁川氏が語る理由を知るには、いまや定番になったともいえる茶色いモンブランの歴史にも注目する必要がありそうだ。
モンブランで有名なパリのティーサロンといえば、創業1903年の「アンジェリーナ」である。サロンのメニューにいつモンブランが登場したか定かではないため"初めて"かどうか断言することは難しい。でも、この店の存在がフランスでモンブランの普及に貢献したことは、想像にかたくない。
「アンジェリーナ」のモンブランはこれだ。
「これは日本用にサイズを縮小させたものです。本場パリのものはこのゆうに2倍はあるサイズなんですよ。比べてみると、すごく大きいのがわかりますよね」
「黄色いモンブランがスタンダードだった日本で、本場の茶色いモンブランが注目されたのは1984(昭和59)年。平成になる少し前ですね。その年に『アンジェリーナ』日本第1号店がプランタン銀座でオープンします。メディアにこぞってもてはやされ、ここから茶色いモンブランは市民権を得ていくのです」
そして、平成に入って茶色いモンブランは、各店に真似され、モンブランの定番の座についく。
「メレンゲの土台の上に泡立てた生クリームを絞り、その上に細いひも状の茶色いマロンクリームを絞ってあるのです。マロンクリームはとにかく濃厚な栗の味わい。生クリームも脂肪分の高い、ミルク感たっぷりというか、バター並みの濃さというか」
「元はコース料理のあとの冷たいデザートなので、このモンブランはクリームを味わうメニューだったんですよね。それが、とっても本場フランスらしいなと。日本発祥の黄色いモンブランは、スポンジの存在感がある点からも、やっぱり3時のおやつ。これまた、とっても日本らしいなあと思います」
池袋(東京都)スイーツ
■ でも、本当の最初は「白いモンブラン」!?
「でも...」と澁川氏は語る。
「モンブランとは、フランス語で、直訳すると白い山なんです。フランスとイタリアの国境に位置するアルプス山脈の最高峰ですね。黄色も茶色も、ちょっとおかしいと思いませんか?」
確かに、粉糖がかかっていたりするものもあるため、白の要素が全くない訳ではない。でもちょっと無理があるようにも思う。
「モンブランの発祥でもっとも有力視されているのは、アルプス山脈を望むフランスのサヴォワ地方やイタリアのピエモンテ州などで食べられていた郷土菓子という説なんです。マロンペーストに、泡立てた生クリームを添えたもの。1900年に刊行された料理書の古典には、マロンペーストをドーナツ常に絞り出し、その中心に泡立てた生クリームを絞ったお菓子がモンブランの名で紹介されているのです」
おお、それなら「白い山」かも!
「そんなモンブラン=白い山に近いと私が感じているのが、L'atelier MOTOZO (ラトリエ・モトゾー)のモンブランなんです」
L'atelier MOTOZOのモンブランはこちら。
まさに、モンブラン=白い山。
「惜しまれながら閉店した、人気のイタリアンレストラン『ソル レヴァンテ』の料理長シェフパティシエ藤田統三さんが、オーナーシェフを勤めるパティスリーです。生クリームは口の中に入れるとすっと溶ける。マロンペーストも濃厚だけど、どこか儚げで、郷土菓子だった白い山がこんな風に洗練されていくなんて!と、とても感動しますよ」
「ふだん何気に食べている、定番のメニュー。でもそこには歴史があり、歴史とは変化があり。味の嗜好は個人的なことであると同時に、文化的・社会的なものなんだと、改めて感じます。そして、何よりも美味しいものを求め続ける人々の創意工夫への熱意に感動するんです」
「国や時代を超えて伝えられて来た黄色いモンブラン、茶色いモンブラン、白いモンブラン。
ぜひ一度食べ比べてみてください。きっと食の楽しさを満喫できると思いますよ。」
■「オムライスの秘密 メロンパンの謎〜人気メニュー誕生ものがたり〜」(澁川祐子著・新潮文庫)
(2017年3月29日Rettyグルメニュース「モンブランは黄色?茶色? 世代によって異なるイメージ〜人気メニュー誕生ものがたり①前編〜」4月1日「平成世代の茶色モンブラン。実は白いモンブランが元祖だった?〜人気メニュー誕生ものがたり①後編〜」より転載)
関連記事