【後編】金融を通じて、ミャンマーで「国づくり」という壮大なロマンに関わる〜Money Buffet Company Limited. COO 萩原豪介氏〜

学生時代から抱き続けた思いを、今実現されている萩原氏。「ロマンがひしめいている」というミャンマーでの活動、そして目指す未来とは?
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現在ミャンマーにてローカル向けにマイクロファイナンス事業を中心とした事業を展開されている、Money Buffet Company Limited. COOの萩原豪介氏のインタビュー後編です。

今回は、「ミャンマーで銀行を作る」という目標に出会われ、ミャンマー移住するまでについて伺いました。学生時代から抱き続けた思いを、今実現されている萩原氏。「ロマンがひしめいている」というミャンマーでの活動、そして目指す未来とは?

「銀行を作る」という話に、鳥肌が立った

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----転職先のIT企業でも営業職だったのでしょうか?

萩原:営業として入りました。最初はIT業界の若い「ノリ」に慣れるまで苦戦したものの、仕事での結果を証明できてくると段々と仲間も増えて私の社会人人生では一番「穏やかな」期間となりました。

しかし、商社時代のがむしゃらに働いた時期がベースにあった私にとって、少しずつ物足りなさも感じるようになりました。その頃に、IT業界や社内でフィンテックが話題になり、「ビックデータを使って人の行動を分析し、そのデータに基づいて商売をする」という取り組みに興味を持ち始めました。

そんな時、前職でお世話になったクライアントである社長とお会いすることに。この再会が、私とミャンマーを繋げることになったのです。

久しぶりに会った社長から突然言われたのは、「実は、今ミャンマーで銀行を作っているんだ」という言葉。正直、「銀行を作るなんて、この人は一体何を言っているのだろう!?」と驚きしかありませんでした。でも、同時に「なんて面白そうなんだ!」と興奮している自分もいて。ビジネスの世界で、鳥肌が総立ちするような瞬間を何度か経験してきましたが、そのひとつはこの時でした。

銀行設立とは、貧困撲滅をしながら事業収益も上げていく「マイクロファイナンス事業」をしているということでした。のめり込むように話を聞いていると、社長から「お前、目がキラキラしているな。一緒にやるか?」と言われ、1日冷静に考えましたが、「その」話を聞いた時の興奮は忘れられず。翌日には勤めていたIT会社の上席に辞めることを伝えました。

退職を伝えさせていただいた上席は、自身の成績が好調だったのもあり、突然の話に驚かれました。ですが、しっかりと自分の将来について伝えると、最後には「応援するからまたいつか一緒にビジネスをやろう」という温かい言葉をいただけました。その上席は、今でも日本に帰ると色々とアドバイスをしてくれる良き理解者です。

退職の旨を伝えた時は入社してちょうど1年目でしたが、あと1年だけ待って欲しいと言われ、その方への義理もあり合計2年勤めて退職致しました。

----ミャンマーにはいつから滞在されているのでしょうか。

萩原:2015年9月24日からいます。ちょうど前日が30歳の誕生日でした。日本の生活は嫌いではなかったので、このまま穏やかな環境に身を置くことも悪くないな、とミャンマーの話を聞くまでは考えたこともありました。もし家庭を持っていたりしたら来ていなかったと思います。私はミャンマーに対して強い思い入れがあったわけではなく、マイクロファイナンスという事業に興味を持ってこの地に飛び込みました。

大学時代からの野望を、仕事で実現

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----ミャンマーに来られてちょうど1年ということですが、事業状況はいかがでしょうか。

萩原:現在支店は6支店にスタッフが合計30人います。赴任当初、会社の立ち上げは済んでいたのですが、それ以外の仕組みはまだ何もないような状態でした。そこから支店で管理する情報を把握するのに5ヶ月かかりました。

苦労話は尽きませんが、特に苦労したのは、スタッフにエクセルを使って進捗報告をしてもらうこと。すべての顧客情報を紙によるマニュアル作業で管理していた彼らは、パソコンを使ったことがほとんどなかったので、パソコンの電源の入れ方を教えるところからスタートしました。

さらにミャンマーは停電も頻繁に起こるので、パソコンが動かなくなります。田舎の方にある支店だとクーラーすらなく、掘建て小屋で汗だくになりながらデータ入力ミスを目視で確認しましたね。あまりの暑さに、私は人生で初めての熱中症を経験したのですが、一度なった後は毎日のようになるほどでした。

また、ミャンマーは経済発展の途中であり、ファイナンスの概念やルールがまだ一般の方までは普及していません。そのため支店ではスタッフ各々が独自のやり方や解釈で運用していたり、金融の共通言語の理解に差異があり、確認のためのコミュニケーションがうまく取れないことが多々ありました。

特に時間を使ったのが、システムを作動させた時の誤差が生じる理由が、スタッフの入力した「データの間違い」なのかスタッフ毎の「独自ルール」に因るものなのかを判断すること。猛暑の中、通訳とシステムを作ってくれたパートナー様たちとともに何度も紙のデータとパソコンを見比べ、支店の子たちと話し合ったのは「格闘」の日々でした。

大変なことも経験してきましたが、一方で、マイクロファイナンスを導入している田舎でアンケートを取ると、「お陰でお店を2店舗に増やせました」「働くことができ、子どもが学校に行けるようになりました」という声をたくさんいただきます。仕事の意義を実感でき、このように自分がやっていることが、この土地に住むたちの経済発展に繋がっていて非常に嬉しいです。

大学時代から抱いている「困っている子どもたちや人に、挑戦する機会を提供したい」という思いに、今この場所でたまたま繋がる活動ができていることに感謝しています。

金融の力で、国づくりに貢献したい

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----ご自身の仕事に強い意義を感じられるのは、素晴らしいことですね。

萩原:そうですね。意義だけではなく、ミャンマーでビジネスをすることに対してロマンを感じます。マイクロファイナンスひとつ取っても、まだ発展途上にあるミャンマーにおいては、金融の力は貧困の人たちの経済力を大きくすることに繋がります。人々の生活が豊かになることは、国づくりに繋がると思うのです。商社の時のように、今も大きなロマンを感じながら仕事ができていてとても楽しいです。

----会社のメンバーの方たちと共有されている思いはありますか?

萩原:会社では、「期待され続ける集団であれ」という社是を掲げています。理念は行動をする時の判断基準だと考えています。元々は「貢献され続ける集団であれ」でしたが、貢献とは「上からのエゴ」だとある経営者に言われました。

一方で「期待される」とは、何かを成しえようと挑戦して失敗したとしても、周りから「あなたたちだったら、また何かやって欲しい」と応援されることだと思います。

この場所でやりたいことは、まだまだたくさんあります。マイクロファイナンスから得られるデータに基づいたビジネスをはじめ、壮大なロマンがあるこの国で、期待してもらって結果を出し、それを周りの人に還元していきながら前に進んでいきたいですね。

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【プロフィール】

萩原 豪介 / Hagiwara Gosuke

1985年生まれ。東京都町田市出身。地元の高校を卒業後、青山学院大学卒業。大手総合商社の社内ベンチャーにて小売業、外食産業を中心にフランチャイズ開発、M&A仲介などのマッチングビジネスの新規開拓に従事。その後、ウェブ総合広告代理店にて金融業界を中心とした運用型広告の営業に従事した後、ミャンマーに来緬。現在Money Buffet Company Limited.にてマイクロファイナンスを中心とした金融事業に携わりながら、人事部代行を最終ゴールとした人材紹介事業、ミャンマーで一番親切で情報量の多い不動産屋を目指して不動産仲介事業従事。進出から進出後までヒトモノカネをワンストップで支援するコンサルティング事業をI.G.C.Co.,Ltdにて展開。