三味線やベースの奏法をギターに応用した「スラップ奏法」で、世界で注目を集める日本人ギタリスト、MIYAVI。8月にはアルバム「Fire Bird」をリリース、2017年にはワールドツアーを予定するなど、活躍を続けている。
アーティストとしての精力的な活動の傍ら、MIYAVIは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が活動する、シリア国境に近いレバノンの難民キャンプを2度訪れている。なにをきっかけに難民問題に取り組むようになったのか。なぜキャンプを訪れ、そこで何を見たのか。ハフィントンポスト日本版の編集主幹・長野智子が聞いた。
■きっかけとなったアンジェリーナ・ジョリーとの会話
—国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のプロジェクトに参加したきっかけは。
出演した映画「Unbroken」(邦題「不屈の男 アンブロークン」)を通じて、監督のアンジー(アンジェリーナ・ジョリー)と仕事をすることになり、彼女自身UNHCRの特使をずっとやっていて、演技や映画のこと以外にもいろんな話をする中で、彼女のそういう活動に、自分も感化されてUNHCRを紹介して頂きました。
—アンジーとはどういう話をしたんですか。
今現在どういう状況で、これまでどういう活動をしてきて、彼女自身、何を見てきたか。彼女は本当に若いときから、ずっと現場に足を運んでいて、各国のUNHCRのスタッフとも信頼関係を築き上げてきた。彼女の中でも、次の「具体的に難民問題をどう解決していくのか」というフェーズにきている。その中に、僕みたいな、さらにこの問題を広められる役割を担う人を探すというのも含まれていたんだと思います。
―彼女も、自分が影響力を持っている存在だから、難民のことを広く知らせたいという思いでこの問題にかかわりはじめたんですか。
そうでしょう、もちろん。とにかく彼女と話したことは、「シリアだけじゃなく世界中で難民がどんどん増加している、その中で私たちクリエイターが何を発信していくのか」。パーティーソングだ、イェーイって、それももちろんいいんですけど、そこにプラスどういうメッセージを込めていくのか。
音楽にしろ映画にしろ、カルチャー自体が、平和という前提のもとで成り立つ産業じゃないですか。いま、人種間だったり宗教間だったり、世界中いたる所に摩擦がある中で、自分たちが発信できる立場にある者としてどうあるべきなのかを、彼女の姿勢から学んでいますね。
■親が働けないから、子どもが働いている
—行ったのはレバノン。
はい。2015年の5月にはじめて行って。
—私も難民キャンプには何カ所か行っているんですけど、すごく荒廃しているテントのようなところから、住居化して難民が何代もそこに住んでいるところもあって。MIYAVIさんが行った難民キャンプは...
前者です。テントの方。本当に仮設ですね。シリアとレバノンの国境に山があるんですが、その麓です。
—実際に行ってみて、どういう状況でしたか。
やはりセキュリティがすごい厳しいですし、混沌としていました。その状況下で暮らしている子どもたちの姿は、本当に衝撃的で。目が覚めるような経験でしたね。
今やレバノンは、国民の4分の1が違う国から来ている移民・難民で。それだけでも充分すぎるほど寛容なんですが、同時に政府としても、国民をもちろん守らないといけない。シリアから来た人たちが働きはじめて、レバノン人の職がなくなったら、政府としては本末転倒な話になっちゃう。
皆、働けないとご飯が食べられない。でも職がない。何もできないし、すると罰せられちゃう。親が働けないから、子どもが働いているんです。学校に行きたくても行けずに。
ただ、そこで暮らしている人々は、力強く生きています、すごく。僕たちよりも。子どもたちの目の輝き、あの状況下で生きている彼らの、生きることに対してのバイタリティと、強さ。それには、僕自身が正直、学ばされました。
■難民の男の子が手に入れた「ロックスター」という夢
―ギターを持っていったわけですよね。どういう交流をしたんですか。
正直、行く前は、アンジーほど有名でもないし、いったい自分で何ができるんだろうかと不安だったんですけど、行ってギターを一発弾いたら、もう。僕なんかよりもパワーがすごいんで。もうお祭り。
―みんなわーって喜んで。
そう。すっごい強いです。最初は、「The Others」という楽曲に合わせてミュージックビデオを撮りました。" We are all different, but we are One, we are the others" というテーマも合っていたので。
で、みんなもギターを弾きたがるから、自分がコードを押さえてあげて、1人ずつギターを弾かせてあげて。たまにめっちゃケンカするけど(笑)。
―ギターをはじめて見た子もいるのかな。
いるでしょう。物心ついたときにはもうキャンプの生活だったという子もいるし、実際キャンプで生まれた子もいるので。
僕はね、正直すごく、怖かったんです。不安だった。自分に何ができるんだろうか。ありがたいことですけど、日本という国で、ぬくぬくと育って、いまも世界中旅していますけど、果たして彼らと向き合うことができるんだろうかと。
でも行って、ギター弾いて、音で1つになって、自分自身パワーをもらった。
ギターを弾くことは、僕たちにとっては毎晩やっていること。でも彼らにとっては、一生ではじめての経験なわけで。
1人の男の子がいて。ずっと横についてくるんです。みんなついてくるんですけど、ずっと隣にいて。
名前、ウサマって言うんですが、彼が僕の帰り際、車のドアが閉まる瞬間まで僕を見てるんですよ。ずっと見てるんです。自分の娘と同じ世代の子が。
胸が張り裂けるというか。「もし彼が自分の息子だったら...」と。
で、レバノンから帰って、現地のスタッフとメールのやり取りをしている中で、ウサマや何人かの子どもたちが「僕もロックスターになりたい」と言っていたと聞いて。
何も解決はしていないし。まだ何も始まっていないけれど...。
―でもすごい素敵なことですね。夢を持ったんだ。MIYAVIくんと会ったことによって。
そうですね。「音楽でやれること、まだまだあるんだ」って、はじめてその時に気付かされましたね。
©UNHCR
■すべてのものごとは、教育に帰結する
―すごいことだと思う。その子どもたち、たぶん夢を持つことさえできないのかなって。
そうだと思います。学校にも行けずに、毎日、働いてる。
―私もアフガニスタンの難民キャンプに行った時に、5歳ぐらいの男の子に「何がいま一番欲しい?」って聞いたら、お菓子とかおもちゃじゃないんですよ。「教育が欲しい」って言ったんですよ。私びっくりして「なんで教育がほしいの?」って言ったら、「教育を受ければ夢が持てる」って言うんです。5歳ぐらいの子が。
だから、夢を持つこと、そのために教育を受けること。物を知ること。MIYAVIくんはその子のところにいって、ロックスターという仕事、新しい夢を与えた。そういうことが、もしかしたら私達のできることなのかもしれないですね。
今、僕はもう、すべてのものごとが、音楽に限らず映画、メディアも含めて、すべて教育、子どもたちを育てることに帰結すると思うんですよ。すべて集約されると思うし、それこそがすべてだと思うんですね。
なぜならば、彼らが僕たちの明日をつくって、その明日が僕たちの希望だから。彼らがいま一番欲している、そして必要としているものは、教育なんです。
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後編では、2016年8月のMIYAVIによる2回めのレバノン難民キャンプ訪問と、教育への思いについて聞く。
Fire Bird
MIYAVI
初回盤、通常盤共通 全10曲