日本体操協会をめぐる問題は、リオデジャネイロ五輪代表の宮川紗江選手が、パワーハラスメントを受けたとして塚原千恵子女子強化本部長らを告発する事態に発展し、第三者委員会の調査が続いている。
一連の騒動のきっかけは、宮川選手に暴力的指導をした速見佑斗コーチが、協会から無期限の登録抹消処分を受けたことだった。
信頼関係を築いてきたはずのコーチと選手が、時として暴力・ハラスメントの加害者と被害者になってしまうこともある。
スポーツ界のセクシュアル・ハラスメントや暴力問題を研究する明治大学の高峰修教授の目に、体操協会の騒動はどう映ったのか。問題が起きてしまう指導者と選手の関係性などについて話を聞いた。
指導者と選手、"グルーミング"で「信頼が支配に変わる」
宮川選手は8月に開いた記者会見で、速見コーチから暴力を受けたことを認めた上で、引き続き師事したいと話している。
高峰教授によると、スポーツ界で、1対1の関係の中での性暴力やハラスメントは、指導者と教え子の間に起きやすいという特徴がある。問題の行為に至るまでには、「グルーミング」と呼ばれる現象が起きるという。
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(性暴力事案で)典型的なのは、各競技で著名で実績のある指導者が加害者で、被害者はその教え子というケースです。年齢は未成年だったりします。特徴として、この二者の間に圧倒的な力関係や権力の差があること、一緒にいる時間が長いことが挙げられます。
そういう関係の中で生まれがちなのが「グルーミング」です。
加害者は被害者に対して、時として暴力や暴言などで強く出ます。そして時として動機付けるように柔らかく出る。
こういうことを繰り返すことによって、よく言えばだんだん両者の信頼関係が深まっていき、悪く言えば指導者と選手という境界を越えて支配関係になってしまう。
スポーツ界では指導者と選手の間で起こりがちであると、イギリスのセリア・ブラッケンリッジ博士が指摘しています。「グルーミング」はそもそも、セクハラが起こる背景として説明しているのですが、暴力にも十分当てはまることだと思います。
こういう状況下では、被害者も自分が被害に遭っていることを認識できなくなってしまいます。それが当たり前で、それがあるので私が今ここにいられる。まさに宮川選手が話していたようなことなのですが、そういう感覚にならざるを得ないということですよね。一番の被害者は宮川選手です。
宮川選手の暴力容認は「生き残るため、ならざるを得なった」
宮川選手は8月に開いた記者会見で、速見コーチから暴力を受けたことを認める一方で、速見コーチからパワハラは受けていないという認識を示している。無期限の登録抹消処分は重すぎるとして協会に見直しを求め、引き続き速見コーチからの師事を望んでいる。
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例えば(暴力があった)数年前に「私はこういう体罰を受け入れられません」と言っていたら、多分師弟関係は切れていたでしょう。おそらく、強化指定や代表選手から外れる可能性が大きかったと思うのですね。
だから彼女は耐えて、受け入れたのではないでしょうか。今回の騒動で発言する立場になって、「パワハラされたと感じていません」という文言が出ただけの話で、生き残って行くためにああならざるを得なかったんだと思います。
ただ、だからといって社会的に通用する話ではないと思います。性別の問題はすごくセンシティブですし、女性や個人の権利といったエンパワーメントの意識や、自分も暴力やハラスメントの被害者になり得るという認識を持つことも必要です。彼女が19歳ということもあって、そういう機会がまだなかったということも(騒動の背景に)あると思います。
宮川さんに対して、例えあなたが受け入れても暴力指導は許されないということを、誰かが伝えてあげなくちゃいけないと思います。それはもう、アスリートファーストいう次元の話ではないです。
例えばアメリカでは選手とコーチはドライな契約関係にあることが多く、暴力やハラスメントがあればすぐに契約が破棄されたり更新されなかったりします。
それと比べると、日本のコーチと選手の師弟関係はしっとりしており、ボランティアの要素が多いように感じます。今回の件が発覚するまで、速見コーチも相当の労力や時間を宮川選手に費やしているでしょう。そうすると、「コーチを変えます」とは簡単には言えなくなります。
師弟愛は時に、絶対的な権力関係を生んでしまいます。そうした日本的なコーチと選手の関係性も、(問題の)背景にあったのではないかと推察します。
ハラスメントの判断、「人権侵害」と「秩序維持」の両方で
今回のケースのように、本人が暴力行為を受け入れていたり、ハラスメントの被害者とされる人が「なかった」と否定していたりする場合に、どのように問題に向き合ったらいいのだろうか。
ハラスメントはまた、将来のキャリアや周囲への影響に対する懸念から、被害にあったとしても選手自ら声をあげるのは容易ではなく、証言が得られにくいという課題もある。
高峰教授は、その解決策の一つとして、スポーツに関する法律を扱う宗像雄弁護士が勧める「秩序維持モデル」(※1)という見方が必要だと指摘する。
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セクシュアル・ハラスメントに関して、私たちはまず被害者がどう感じたを第一に考えてきました。「権利侵害モデル」と呼ばれていて、権利を侵害されたという被害者の自覚や主観的な判断を根拠にしています。
一方で宗像弁護士は、「秩序維持モデル」からも判断するべきだと話しています。これは、本人がどう思うかに関係なく、組織やコミュニティの秩序を損なう行為であるか、健全な環境が保たれているかどうかで判断すべきだという考え方です。
この両方のモデルがあって、初めて個人の権利と組織や場全体の健全性が守られるということです。宮川選手のケースは、この点を非常に分かりやすく説明する事例と言えると思います。
宮川選手は、速見コーチからパワハラを受けていないという認識なので、「権利侵害モデル」では問題にできません。暴力を受けている映像も出ましたが、一般社会だったら、なぜあれが問題にならないのかが不思議じゃないですか。ですから今回のケースは「秩序維持モデル」で考えないといけません。
基本的には本人が声をあげるのが原則だと考えていますが、グルーミングなどで被害者がNOと言えず、受け入れてしまっているケースもあり得ます。
スポーツ界に限らず、今後いろいろなハラスメントを考える際に、「秩序維持モデル」でも考えていくという、新しい局面を迎えているのではないでしょうか。人権侵害と秩序維持の両方のモデルがあって、初めて成り立つものではないかと考えています。
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※1 宗像弁護士によると、「秩序維持モデル」を採用することで、次のような利点や効果があるという。
・組織の責任・姿勢を問うことができる
「秩序維持モデル」では、ハラスメントが起きた組織の体質を問題視できる。そのため、ハラスメント対策にどう取り組むのか、各組織の姿勢が問われ、環境を改善する責任が生じるという。
・ハラスメントの基準の明確化
組織の姿勢が問われることで、ハラスメントの基準・ルールなどを示す必要が生じるという。例えば、体操協会がコーチを採用する際、誓約書にハラスメントに関するルールを盛り込むことで、違反すればハラスメントと認定できる。被害者の受け止め方に左右される「権利侵害型モデル」と比べて、基準が明確になり、ハラスメントの判断がしやすくなるという。
・暴力・ハラスメントの目撃者による告発
秩序維持モデルでは、「組織が被害者」という捉え方ができるという。そのため、例え被害を受けた本人が名乗り出なくても、ハラスメント・暴力を許した組織の問題として、その行為を目撃した人が告発できるという。
・癒着型のハラスメントにも対処
例えば、当事者同士が癒着し、肉体関係の見返りに便宜を払うといった行為も、組織の秩序を乱すハラスメントとして捉えることができるという。
「️洗練・成熟したスポーツシステムへの転換期」
日本体操協会は8月の記者会見で、速見コーチが2013年9月〜17年9月にかけて、宮川選手に対して繰り返し暴力行為や暴言をしていたと発表。具体的な行為も列挙した。
これに対して速見コーチは、9月5日の記者会見で「事実は全て受け入れて、しっかり反省したい」と認めた形となっている。
その翌日にフジテレビが報じた動画には、埼玉県内の体操クラブの練習場で2015年2月、速見コーチが実際に宮川選手に暴力を振るう瞬間が収められていた。
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2012年に大阪・桜宮高校で、バスケットボール部の生徒が顧問から体罰を受けた末に自殺して、2013年には女子柔道の暴力問題が発覚しました。暴力があれだけ大きな社会問題になったその後に、速見コーチが暴力を振るっていたのは深刻なことです。
日本体操協会は暴力やハラスメントの撲滅に組織としてしっかり取り組んでいたという印象を持っています。そうした状況でトップ選手を指導するレベルの指導者があれだけのことをしたのですから、無期限の登録抹消という協会の処分は妥当だと考えます。
もし将来的に、速見コーチが再登録されることがあるならば、協会として矯正プログラムを考える必要があると思います。他のコーチから注意されても暴力的な指導を続けていたのですから。復帰ありきではなく、速見コーチが適切な判断をできるようになったのかを客観的に評価すべきです。
速見コーチが「自分もプレーヤー時代に暴力的な指導を受け、(選手を)叩いてでも分からせなきゃいけないという認識を持っていた」と語っていることを考えると、指導者としての研修を受けていないか、受けた研修は全く意味がなかったということになりますよね。指導者になるための研修制度も、もう一度見直さないといけません。
また日本のスポーツ界では、指導者が私財を投じて選手を自分の家に住まわせたりします。そういった努力があってこれまで日本の競技が発展してきた面も確かにありますが、そのようなボランティア的な要素が問題を生み出す背景にあるとも考えられます。こうした点の見直しも含めて、今こそ洗練・成熟したスポーツシステムに変えていく時期だと思います。