令和が幕を開けた。平成から持ち越された働き方改革は、企業にとって「待ったなし」の課題だ。
そんな中、「KAITEKI(快適)」をキーワードに、社員の働き方をアップデートしようとしている会社がある。化学メーカー最大手の三菱ケミカルだ。
子育てや介護をしながら働く社員、障がい者、外国人…。
多様な人材が輝くために社内制度が急速に進化している。
「KAITEKI」に込められた理念とは何か。和賀昌之社長に、健康社会学者の河合薫さんが迫った。
(以下、敬称略)
社員の求心力を高めるためのKAITEKI経営とは?
河合 化学メーカーにはさまざまな事業があるとお聞きしています。その点で社員をまとめるご苦労があるのではないでしょうか。
和賀 そうですね。いわゆる石油化学製品から食品包装フィルム、植物工場、炭素繊維、リチウムイオン電池材料まで、事業部が違うと会社が違うかと思うくらい、お客様も仕事の内容も異なります。ですので、私たちは何をするのか、何のためにこの会社に集まっているのか、わかりやすい「旗印」が必要と考えました。
10年後、20年後の社会がどうなっているか、そのときに当社ができることは何かと考えたのですが、地球温暖化や健康・医療などの社会課題に、化学会社ならではの解決策を示すことだと思いました。
それを「KAITEKI」を実現するという一語に込めたわけです。
KAITEKIとは「人、社会、そして地球の心地よさがずっと続いていくこと」を表しています。
人の快適を追い求めた結果、地球環境を壊してはいけない。
逆に環境ばかり重視する世界は窮屈で長続きしません。人と社会と地球環境が調和している状態が理想だと思います。
化学メーカーとしては素材やサービスを社会に届けることで、人の生活を便利にしたり、環境問題を解決したりする役割がある。
つまり、人々の心地よい生活やサステナビリティに貢献しない事業は当社のポートフォリオには入れないという決意でもあります。
河合 新商品やお客様へのサービスに対して、社員自身がKAITEKIかどうかを判断の羅針盤にしているということですか。
和賀 KAITEKIは会社としての判断基準です。
よくCSRと言いますが、事業と縁もゆかりもないCSRではなくて、事業そのものが社会課題の解決に貢献している。
そこが明確になれば、自ずと従業員のモチベーションアップにつながると信じています。
河合 KAITEKIは御社が社会に向けて発したコンセプトであり、それを今度はKAITEKI健康経営として社員の働き方にも適用されたのですね。
和賀 社会と企業が持続的に発展するためには、やはり「人」がその原動力ですし、それぞれが能力を発揮して活躍してほしいという思いから、「KAITEKI健康経営」をスタートしました。
化学メーカーには多くの製造現場があり、そこではまだ男性が中心です。
労働人口が減る中、高齢者や女性、外国人などダイバーシティに取り組み、誰もが快適に健康で働いてもらいたいということを強調したかったのです。
ダイバーシティという意味では、元々KAITEKI経営に含まれている概念ですね。
『三菱ケミカルは決めました』で社員にアピール
河合 そのKAITEKI健康経営をさらに推進するために、新たな施策も追加して「三菱ケミカルは決めました」として打ち出されたわけですね。
「三菱ケミカルは決めました」と決めた方はどなたですか。
和賀 従業員の意見を集約して、私が決めました(笑)。
従来進めてきた施策に新たな施策を追加し、その考え方や内容を伝え、従業員の共感をより得るためです。
ステップ1からステップ3まで30個の宣言とアクションを公開して、会社として必ず取り組むと約束しています。
KAITEKI経営は目標がすべて定量化されているのですが、「三菱ケミカルは決めました」も同じようにしたいと思っています。今後、育休取得促進などを定量化していきます。
河合 その中にはさまざまな施策がありますね。
和賀 ユニークな施策もあります。製造現場のトイレを改善する「爽快プロジェクト」は、全事業所にある数百カ所のトイレを現場の従業員が使いやすく、また、女性や高齢者にも使ってもらえるように改修していくものです。
「今さらトイレ?」と思われるかもしれませんが、私は働き方改革の象徴と思っているのです。
化学プラントの現場のトイレは屋外にある場合もあるので、冬は寒いし、夏は暑い。
さらに中には、古い和式の便器で床はコンクリートの打ちっ放しのトイレもあり、正直快適ではないですよね。
製造現場ですからヘルメットやゴーグルを着けていますし、ハーネスなどの装備を置く棚やフックがないところもあります。
これでは、現場の従業員は使いづらいですし、まして女性や高齢者に現場に入ってもらうことはできません。
営業でも研究所でも事業所でも、多様な方々が気持ちよく働ける環境を整えなければならない。その象徴がトイレであって、私としては重要な一歩だと思っているのです。
河合 元気な会社は例外なくトイレがきれいですから「今さらトイレ」ではなく、大切なことだと思います。
男性中心と言われる化学メーカーも、今後は女性に頑張ってもらわないと立ち行かないわけですね。
和賀 人事部にダイバーシティ推進グループという組織があるのですが、社長になる前にそこの女性社員たちと意見交換したことがありました。
私は会社が保育所を用意すれば女性に喜んでもらえると思っていたのですが、「育児は女性がするものというその考え方を改めてほしい」としかられました(笑)。
保育所も大事ですが、女性だけではなく男性も育児休職を取りやすいように環境を整備し、男性でも女性でも、育児という会社が提供できない貴重な体験を積んだことをもっと評価するべきだと痛感しました。
今後は、男性の育児休職または時短勤務の取得率100%を目指すつもりです。
現在、育休は最長でお子さんが3歳になった後の4月までですが、育休を取ったことで昇格や配置を考える際に、不利に取り扱われることはありません。
また、配偶者の転勤に帯同したい社員がいる場合は、その転勤先で当社やグループ会社を含めて働けるように支援する方針です。
さらに、過去当社に勤めていて、一旦退職したり、他社に転職したりした方で、もう一度当社で働きたいという方に復職していただく「Welcome Back」という施策も始めています。
これらの施策をバラバラと打ち出してもなかなか伝わらないので、「三菱ケミカルは決めました」と銘打って、会社が本気であること、また、その内容をまずは従業員にしっかり理解してもらおうとシリーズにまとめたわけです。
多様な働き方を認める社会になってほしい
河合 現在、女性の管理職の比率はどのくらいでしょうか。
和賀 管理職の比率は6.2%程度、三菱ケミカルの役員は2名です。
河合 足りないですね。
和賀 その通りです。男女雇用機会均等法が施行された年に入社した女性たちも役員になる年齢層になっています。
管理職や経営層となってもっと活躍してほしいと願っていますし、すぐにそうなるでしょう。
河合 ダイバーシティはただのスローガンだけに終わることも多いのですが、御社が本気で取り組む理由は何ですか。
和賀 ダイバーシティは日本語で「多様性」と訳されますが、性別、国籍、年齢、宗教や文化などいろいろあるでしょう。
要するに自分と違った背景、考え方を認め合い、尊重し合うことだと思います。文化でも組織でも均一になりすぎると変化に対応できなくなります。
バラエティがある組織は発想の数も増えるので、そこから新しいアイディアや文化が生まれてきますし、変化に対して柔軟に対応でき、機動力も増します。
例えば、日本人の中年男性ばかりという単一文化の組織は言わなくても何となく考えが伝わってしまい、一見効率がよく見えるのですが、変化に弱く、新しいものは生まれない。
社会が100年に1度という大きな変革期にある今、女性、外国人、高齢者が活躍してもっと意見を出してもらいたい。
例えば当社は、外国人役員は欧米の方はいても東南アジアや中国の方がまだいないので、まだまだ不十分です。
河合 私は「女性ダイバーシティ」と呼んでいますが、女性も育児をしている人だけでなく、子どもがいない人や結婚していない人もいます。
ひとくくりに「女性」というのも違和感があります。
和賀 いろいろな背景の方がおられますよね。現在、当社には海外を含めて約4万人の従業員がおります。
理想的には4万通りの働き方があるべきですが、それは難しいとしても、なるべく多くの働き方のパターンを認めたいと思っています。
テレワークもありますし、例えば転勤のない総合職があってもいいでしょう。親の介護が必要になれば転勤のないコースに変更したり、また戻るのもまったくかまわないと考えています。
「明るく楽しく元気に」が理想のビジョン
河合 外国人雇用についてお伺いします。今国内には何人ほどいらっしゃいますか。
和賀 社員が60人ほどです。また、これとは別に、今年4月から「Experience Japan」という研修プログラムを始めました。
世界各国から14人の当社グループ社員を日本に呼び寄せ、1年間日本で学んでもらいます。
研修するだけでなく、いろいろな人と会ったり、日本の伝統文化に触れたり、日本中を旅行して楽しんでほしいと言っています。
帰国後、周囲の同僚に「日本は面白かった」と伝えてもらうことが大事。
ポジティブな意見だけでなく、日本はこんなところが変だったでも構いません。
国際化は日本人が海外を理解するのはもちろんのこと、外国人が日本を学ぶ相互理解が必要です。
河合 受け入れた日本人社員の反応はいかがですか。
和賀 彼らの遊びと学びをサポートして欲しいと作ったメンター制度やボランティア制度に七十数人も応募があり、みな好奇心があるんだなと安心しました。企画された旅行など費用は会社が負担します。
河合 障がい者の雇用は進んでいますか。
和賀 上昇している法定雇用率達成に向け、当社および特例子会社とあわせ採用活動に取り組んでいますが、人材と職務のマッチングがなかなか思うようにいかないのが実情です。
河合 せっかく会社に入っても仕事がなくて、悩み、孤立してしまうという話も聞きますね。
和賀 当社ではそれはないように対応をしています。障がいを持つ方でも、個々人の状況に応じて環境を整えれば力を発揮していただけます。
例えば、当社の特例子会社では、視覚障がいの方には画面読み上げソフトや点字プリンターなどを用意し、専門知識を活かした業務を担当していただいています。
その他にも、当社の植物工場での収穫業務など、人によって向き不向きはあるかもしれませんが、貴重な「戦力」として活躍頂いています。
河合 LGBTの方々への対応はいかがですか。
和賀 先日、LGBTの方々を支援するNPOの代表の方に役員に向けて講演してもらいました。
工場ではトイレやお風呂も配慮が必要とアドバイスをいただき、今検討しているところです。
河合 高齢者への対応はどのようにお考えでしょうか。
和賀 雇用延長は本人と会社の考えがマッチすれば、契約して働き続けられます。政府は70歳まで延長と言っていますが、健康で意欲のある方には、どんどん働いていただけるようにしていきたいと思っています。
私が大事にしたいのは高齢でも無理なく働ける環境を作ること。
そのためにロボットスーツやIT機器などの導入を検討、準備しています。
河合 ダイバーシティというと女性活用ばかり注目されますが、御社は本来の意味の多様性に取り組んでおられるところに感動しました。
最後に未来に向けて社員へのメッセージをいただけますか。
和賀 私が以前から従業員に言い続けているのは、「明るく楽しく元気に」。
三菱ケミカルで働くことは楽しいし、家族にも自慢できる。それ以上のビジョンはないと思っています。
河合 本日はどうもありがとうございました。