こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
参加しているオンラインサロンヨッセンスクールブログ科の企画で「失敗から学んだ事を記事にしよう!」というのがあったので、参加してみます。
ただ、いざこのテーマで記事を書こうとすると筆が進みませんでした。というのも2015年で失敗したなぁ...と思える何かを思い出せなかったんですよ。
ブログを読み返したりツイッターを遡ったりしましたが、肝心のエピソードが思い出せない。
でも気付きました。この「失敗を思い出せない」という状態こそが、2015年の自分の失敗だったんです。
失敗をするのは、なにか行動したとき
2015年を振り返ればイベントは盛り沢山でした。怪我から復帰したり、シルクドソレイユを離れることになったり、人生で初めての通訳の仕事をしたり。
でも考えてみたら、どれもこれも自分が必死こいて動いたことじゃないんです。会社、ないしは環境の中にいて降り注いできただけ。
つまりリスクを取って何かにチャレンジした!というワケじゃない。だから失敗したなぁ...と心を揺らすほどの記憶として留まってないのです。
失敗がないのはヤバイ
常に新しいことにチャレンジしてる人は必ず失敗してます。新しいことにはリスクがつきものですからね。
自分もキャラクターを目指していた時はリスクを取りました。努力が実る可能性は未知数、さらにアクロバットの練習をすれば怪我をする恐れもあります。それでも「やってみたい!」という気持ちに突き動かされてチャレンジしました。
この頃を思い出せば「あぁ・・・あれは失敗だったな」というのが思い出せるんです。トランポリンの練習はもっとこうだったとか、クラウンの師匠がいなくなる前にもっと教えを請うべきだったとか。
でも2015年は失敗したなぁという記憶が無い。これはリスクを取ったチャレンジをしなかった事を意味するんです。
チャレンジ精神はどこからくるか
自分はチャレンジするのが好きでした。日本に居た頃も、シルクドソレイユに入ってからもそうだと思っていました。
でも実際にはチャレンジ精神がどこかのタイミングで衰退していた。この事実に気づいたのはつい最近でした。
チャレンジ精神が生まれるかは「環境」が大きいと考えてます。10年前にバリバリ全国の小学校を回っていたとき、他に誰も同じことをしている人が居なかった。この時代と環境があったからチャレンジしたい!と思えました。
シルクドソレイユに入ってスグも同じでした。クラウンと縄跳びを組み合わせたら、きっと面白い化学反応が生まれる!この衝動に突き動かされてチャレンジしてました。
でも人間は流されていく。シルクドソレイユでチャレンジ精神を衰退させ始めたのは、クラウンの師匠「Balto」がラヌーバを離れたのがキッカケですね。
ショーに向かう気持ちは変わりません。でも、これ以上にプラスアルファを見つけて挑戦したい!!という気持ちが萎えてしまったのです。
定期的に失敗してるかを点検したい
チャレンジ精神は「変化」を望む情熱です。変化の必要性があれば、自ずとチャレンジ精神は湧き出てくるモノです。
しかし変化を止めるのは簡単です。むしろ変化を拒むのは「安心・安定」をしたいという人間の本能にすら思えます。先を見通せない環境だからこそ人は変化の必要性に駆られ、チャレンジ精神を燃やすのではないでしょうか。
2016年の帰国に向け、いくつものプロジェクトが動き出してます。
来年はチャレンジ精神を燃やし続けられるような環境に身を置けるよう、工夫したいと思います。
(2015年12月27日 「なわとび1本でもできるのだ」より転載)