「マイノリティ=悩み」を打ち破るための第一歩こそ絶対的に家庭環境だ

負の連鎖を断ち切れるのも、幸福を継承していけるのも、その子にとっての今の家庭環境が大いに影響する。

生まれつき、体内のメラニン色素を生成する能力が無い(または極端に少ない)遺伝子疾患の"アルビノ"。

僕はその中でも、生まれつき真っ白なタイプ。(人によって、ブロンドっぽかったり、赤茶色っぽかったり、色々ある)

自分が持って生まれたこの真っ白い日本人という"マイノリティ"を、個性・武器・アイデンティティとして表現活動をしはじめ、アルビノ・エンターテイナーと名乗って発信を続けてきたこの10余年。

NPO活動に参加してみたり、インタビュー取材に応えてみたり、自分のWebラジオ(Podcast)で言葉にしてみたり、自分のブログKASUYA.netで書いてみたり。

今もこうしてハフポストにブログ寄稿させてもらったりしながら、あらゆる角度から寄せられる賛否両論を浴びてきて、世の中の反応を見て...、世界は少し、変わり始めているような気がする。

僕が過ごしてきたこれまでの世界は、どうしても「マイノリティ本人が(苦しい思いをするという前提で)どのように生き抜くか」という考え方を飛び越えることが出来なかった。

周りと自分、社会と自分、マジョリティと自分との対比で突き進まざるを得なかったこれまでの時代は、それはそれで順当なのだろうけれど、本当の人生をどう自分が獲得するか、がすべてだった。

ここ数年で世間に広まり始めた感のある「ダイバーシティ」という思想が僕は大好きなのだけれど。

やっと近年、本当の意味で"意識し合う世界"が築かれ始めたんじゃないか。

普通と呼ばれる人が多くいるからマジョリティ。それと比べて少数の人たちがマイノリティ。これは数の話で、単なる言葉の問題だから、どちらが良い・悪いの話じゃない。

そう、数が多いから正解で、数が少ないから間違いだ、なんて時代じゃなくなった。やっとそれが、実感できるような気がする。

ここまで時代が、世界が成長してきたからこそ、その中を表現者として生き続けてきたからこそ、今の僕が言える見えたもの。

それが"絶対的に家庭環境だ"ということ。

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生まれて初めて身を置く世界は家庭環境。ほとんどの場合はそこで生き方の基礎を学ぶ。(その基礎が必ずしもその後の人生を形成するかどうかはさておき)

「100%受信モード」でのゼロスタート期に、マイノリティ意識の基礎がどのように学ばされるか。それがその子の人生に大きく影響する。

僕が【アルビノの子を産んだ母は、僕をどう育ててきたか】の記事を書いて大きく反響をいただけたのは、マイノリティ本人における家庭環境の影響の大きさと大切さを、なんとなく理解している人が今の時代にはたくさんいるからなんじゃないか。

僕の母が、得体の知れないアルビノの僕を「人と違ってかわいそう、不幸ね、悲しい、隠したい」と、もしも悲観して育てていたなら。

僕は恐らく「人と違うことはダメなこと、自分は不幸で、隠れて生きていかなければ...」と学んで静かな人生を選んだだろう。

幼いころの家庭環境は、当人にとっては「自分が生きていくだろう世界のすべて」で。

今まさに育児(特にマイノリティ)と向き合っている親御さんにはプレッシャーになってしまうかも知れないけれど。僕が感じてきたこと、そして伝えたいこととしてはっきり書くと。

その子の世界の基礎をつくるのは絶対的に家庭環境なので。

差別・偏見の強い家庭環境で育った子は、その系譜を大いに受け継ぎやすい。

愛に満ち、心の幸せを抱く家庭の子はきっと、それをいつまでも大切に生きていける。

負の連鎖を断ち切れるのも、幸福を継承していけるのも、その子にとっての今の家庭環境が大いに影響する

名前に想いや望みを込めるように、今の家庭という世界に、未来への想いを込めていけたら。

そのマイノリティの子が、マイノリティを悲観するか、マイノリティこそ自分のものとして受け入れられるか、将来が変わってくるはず。

ちなみに僕は...「幸せを司る」という自分の名前が好きだし、人と違う少数派(マイノリティ)が必ずしも苦しい人生だと思い込まないで良い、と伝え続けている。