水俣病、公式確認から60年 なぜ福島でも、同じことが繰り返されるのか(インタビュー)

その教訓から、日本は学んだと言えるだろうか。
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「公害の原点」とも呼ばれる水俣病が公式にその存在を確認されてから、5月1日で60年になった。

経済成長一辺倒からの転換点とも言われる「4大公害裁判」の筆頭だが、その教訓から、日本は学んだと言えるだろうか。

熊本県水俣市に拠点工場を持つ化学企業「チッソ」が、戦前から不知火海に排出してきた水銀の中毒で、目が見えにくい、手がしびれるなど、全身の機能障害に陥る人が続出した。行政が正式に認定した患者は熊本・鹿児島の両県で計2280人(3月末現在)だが、現在も2000人以上が認定申請を済ませて処分を待っており、不認定患者らによる訴訟も続いている

日本各地で水俣病についての写真展示や講演会を開いているNPO「水俣フォーラム」は2016年5月3~5日、東京で「水俣病公式確認60年記念」と題した特別講演会を開催する。実川悠太理事長に、水俣病が2010年代後半の現代に問いかけるものについて聞いた。

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1973年、水俣病の胎児性患者

――水俣病というと、私を含めほとんどの人が「教科書で習ったことがある」という印象だと思いますが、60年後の今、問う意義とは何でしょうか。

60年間、患者とチッソ、そして行政との間で争われてきたのは、4つのことでした。そのすべてが、誰も解決したと思っていない。そのこと自体、普通の人からみたら驚きだろうと思うんです。

■水銀汚染は除去されたのか

水俣病と聞いて、皆さんが思い浮かべるイメージは重症者でしょう。実は、圧倒的に多いのは、それより汚染の度合いははるかに少ないけれど、大脳皮質、つまり中枢神経の障害を抱えている患者なんです。「手がしびれる」「目が見えにくい」という典型的な症状は、大脳の情報整理機能が冒されているからです。そして今、WHOが問題にしているのは、そこからさらに2~3桁レベルが低い、胎児への影響なんです。デンマークのフィリップ・グランジャン博士の研究で、微量の水銀摂取で、母胎が発症しなくても、胎児の脳の発達に影響があるということがわかってきました。

1977~1990年に総額485億円をかけて、水俣湾の水銀を含んだヘドロを取り除いて、約58haが埋め立てられました。熊本県知事は1997年に「安全宣言」をしましたが、自然界の含有量を大きく上回る水銀が残っています。すぐ発症する量ではないですが、本当に大丈夫なのか。また、埋め立ての方法自体、今の国際基準ではまったく評価されていません。

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チッソ水俣工場の排水に含まれる汚泥が積み上げられた堆積池(八幡プール)

■補償問題

補償問題は、この20年、患者認定問題でした。まだ新たな患者で、認定申請しているけど行政が認定を判断していない。つまりチッソから補償金や償いを受けていない、2000人以上の人がいます。

■資金負担

これが本質だという人もいます。患者があまりに多いため、どこから補償金を調達するかが問題になりました。1978年6月には熊本県が県債を発行して捻出する方針が決まり、2009年の「水俣病被害者救済特措法」では、資金捻出のためチッソを分社することになりました。しかし、チッソ本来の事業から水俣病の補償債務を分離することで、株価と収益の向上を狙った分社化も、株価低迷でまだ上場できていませんし、埋め立てをやり直すにも、その資金をどこから調達するのかという問題も出てくるわけです。前の2つが片付かないので、この問題も解決していません。

■差別、偏見、無理解

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2007年6月8日、胎児性水俣病患者の施設「ほっとはうす」で。

これがある意味、最も重要と言えますが、患者や地域住民への差別、偏見、無理解は全然なくなっていません。

たとえば、現地で患者からの相談や調査活動などをしている「水俣病センター相思社」が、地元の高校で「自分の出身地が水俣と言える人は?」と尋ねたら、「言える」と答えた人が半分しかいなかったそうです。

歴史的に、地域は4段階で分断されてきました。公式確認の直後は「伝染病」と言われた時代がありました。当然、みんなが患者を遠ざけます。次に「魚が原因」と分かりますが、魚を捕って暮らしている人たちから「困るじゃないか」と、漁村内で患者が疎まれました。

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1963年11月のチッソ水俣工場

やがて「チッソのせいだ」となってくるわけですが、チッソは地元にとって雇用を生み、税金を納めるありがたい存在なんですよ。そして被害が広がって補償金を受け取る段階になると、補償をもらえる人、もらえない人の分断が始まる。だから圧倒的に多くの患者は、何らかの医療手当をもらったり、認定を受けていたりすることを互いに知らない。親子でも知らないことがある。一種のタブーですね。

「チッソあっての水俣」という気持ちは今でも強いですし、補償の問題や差別、偏見が複雑に絡んでいる。差別、偏見が完全になくなっているのなら、患者は名乗り出やすくなっているはずですよ。そうすれば問題の解決はもっと容易だったでしょう。

だから水俣病は社会問題として、現役であり続けています。4つは、何も解決していない。

――お話を聞いていて、福島のことが頭に浮かびました。

低濃度汚染の話は、福島との共通点という上で象徴的でもありますね。福島の人たちが広島、長崎の被爆者のようにならなければいいという問題ではない。福島第一原発事故のとき、枝野幸男官房長官が「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」と繰り返しましたが、長期、微量、複合がどういう影響を及ぼすのか。

大企業への依存構造も似ています。強権的、暴力的に地域を支配しているわけではありません。でも圧倒的な影響力を持っているという意味では変わらない。最近出てきた患者の中には「自分は祖父母のようなひどい症状じゃないから、チッソが多少でもお金をくれることに感謝しなきゃいけない」と思っている人が多いので、いたたまれない気持ちになりますよね。

除本理史・大阪市立大大学院教授は、福島で東京電力を救済した政府の手法と、水俣病でチッソを救済した政府の手法の共通点を指摘しています。水俣の悲惨を見てきた人たちは「また水俣の苦しみを背負った」と福島を見ていますね。地域住民が相互に傷つけ合う構図を。

――私が学校で習った記憶では、4大公害裁判というのは「経済成長一辺倒から、環境に配慮した政策への転換点」と、肯定的なとらえ方だったと思います。

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1973年3月20日、水俣病患者による裁判の判決の日、熊本地裁前で。中央にいるのは胎児性患者の坂本しのぶさん

そう教わった方も多いと思いますが、果たしてそうでしょうか。1973年の第1次水俣病訴訟で補償協定書が結ばれますが、その頃に行政が想定していた数より遥かに多い患者が出てきたので、チッソが倒産してしまう可能性が出てきた。国は倒産しないように救済策をつくると同時に、患者がなかなか認定されないようにする。すると認定されない人たちがまた裁判を起こす。だから水俣病患者の認定裁判が続いているわけです。

今や事故で1億円台の損害賠償も珍しくない時代ですが、水俣病患者の場合は、症状の度合いに応じて1600万~1800万円。これに重度の人は、家族の数に応じて数百万の加算があったり、年金や医療費の加算、減免があったりしますが、1973年の物価水準で決められています。本来は損害に対して賠償されるべきで、疾病の軽重に対して賠償するものではないわけですからね。「これが近代国家なのか」と思うような話です。

そもそも、普通の事件で真っ先に調査されるべき、被害の結果が分からない。水俣ではきわめてベーシックな全域の調査もされていない。公式な認定患者は約2000人ですが、不知火海周辺で医師が診断書を書いたのが8万~10万人いる。メチル水銀を流し始めたのは昭和7年からなので、死んだ人たちや、推測も含めると患者の数は20万人規模と言われているのです。

だから水俣のようなことは繰り返され続ける。それが新潟の第2水俣病でした。1973年には有明海、徳山湾で類似の例が報道された「水銀パニック」がありました。世界中でも水銀汚染は繰り返されているし、そのことから学んで、食い止めることもできていない。

――どう生かしていけばいいのでしょうか。

確かに、政治がもっと被害者に優しく、再発防止などに取り組むべきだったとは思いますが、水俣病の患者や支援者は、政治の力に限界を感じている人は多いでしょう。必ずしも被害者の意向を反映していない救済法案に、与党から野党まで多くの政党が合意してきたのを見てきましたから。それより、私たち一人一人の普通の日々の価値観や、選択基準を変えていくということが重要なのではないでしょうか。

福島はなぜ福島になるのか。水俣はなぜ、1959年に止められなかったのか。チッソの水銀が原因だと分かっていながら、なぜ止められなかったのか。それを担っていた人たちが、「会社の仕事を続けないと食っていけない。子供もかみさんも食えなくなる」ではなく、「じゃあやめちゃいなさいよ、私が働くから」と奥さんが言えるような社会の方がいいんじゃないか。今の給料が2割減っても、子供と遊ぶ時間がほしいと言える男が増える、そういうことが問われている気がします。

【訂正】2016/05/01 19:40

当初の記事で実川さんの肩書を「事務局長」としていましたが、正しくは「理事長」でした。

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