震災後に初舞台→39歳で出産→海外公演。鏡味味千代さんに聞く「太神楽芸人」のしごと

寄席には全くお客さんがいませんでした。「この先、生きていけるのかな」と不安で仕方がありませんでした――。
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寄席には全くお客さんがいませんでした。「この先、生きていけるのかな」と不安で仕方がありませんでした――。

フランス留学やPR会社勤務を経て、30歳で太神楽(だいかぐら)の道を志した鏡味味千代(かがみ・みちよ)さんが、3年間の厳しい修業を終え、プロとしての初舞台に立ったのは2011年4月。東日本大震災からまだひと月も経っていない春だった。

あれから5年。鏡味さんは、震災直後のガラガラの寄席に向き合い、数々の舞台を経て、39歳で子どもを出産した。現在は、子育てをしながら海外公演にも出かけている。

太神楽曲芸師・鏡味さんは、子育てと仕事をどう両立しているのか。世界の人たちに、日本の文化をどう伝えているのか。前編に続いてこれまでの歩みを聞いた。

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■3.11直後のデビュー、寄席はガラガラだった

デビューは震災の直後でしたから、寄席には全くお客さんがいませんでした。そういった楽しむ場に行くことにすら、まだ後ろめたさを感じるような時期で。だからデビューはしたものの仕事がなくて「この先、生きていけるのかな」と不安で仕方がありませんでした。

普通なら、太神楽は色物ですから落語会の仕事が中心なんですよ。とくに若い時期っていうのは師匠たちも声をかけやすいので、自分で仕事を作り出さなくてもなんとかなるんです。でも、私の場合は2011年4月にはまったく仕事がなかったので、自力でなんとかするしかなかった。

自分で会を主催したり、同期のマジックの子と「2人でデビュー公演をやってみよう」と企画したり。今まで太神楽でデビュー公演をやったことある人なんていないと思います(笑)。時間はたっぷりあったので、お稽古も熱心にやりました。とにかく新しい芸を身に付けないと他の人に負けちゃう、と必死でした。

でも今考えれば、そういう時期にデビューできたのが逆によかったかもしれません。とにかく自分でどうにかしよう、新しいネタをどんどん身に付けていこう、と頑張れるようになりましたから。

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■39歳で長男を出産、パートナーと病院へ

プライベートでは、2014年に8年間一緒に暮らしていた彼と結婚、2015年の5月に長男を出産しました。子どもが欲しい、そろそろタイムリミットだ、というのは36歳くらいから意識していたんですが、お互いなかなか歩み寄れず。1年くらい色々話しあいました。

夫は私より11歳年上で、私も(出産年齢を考えると)高齢なので、結婚した後は「子どもが欲しいと思ってもできない可能性もある。できないのなら養子をもらうといった選択肢も検討しよう」という話し合いをして、すぐに2人で病院へ行きました。幸い早い段階で授かることができて、39歳での出産となりました。

出産後は約1カ月後に舞台に立ち、3カ月後には寄席にも復帰しました。芸は大丈夫なんですよ。体に染みついているものなので、歩くのと同じような感覚なんです。でも荷物が17キロくらいあるので、それを持ち歩くのが大変でしたね。あとは最初のうちはおっぱいもすごく張っちゃって、それもつらかったです。

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■妊娠中から保活「明日までに入園するか決めてください」

妊娠中から保活はしていました。「保育園は早めに決めたほうがいいよ」といろんな人に口を揃えて言われていたので、いくつか見学に行って候補を絞り込んで、予約金を払ったり、待機リストに入れてもらったりして。

それで「ここがいい」と思っていた園から「5月に無事産まれたら6月に電話ください」と言われていたので6月に電話をしたら、「枠が1つだけあるので明日までに入園するか決めてください」と言われて。私はもう少し家で育てたい気持ちもあったのですが、夫婦で話し合って入れるなら入れてしまおう、と。そういう経緯で、生後2カ月から認証保育園に預けることになりました。

保育園が始まってからは、さみしくてさみしくて最初の1週間くらい泣いていましたね。それまで産後はずっと私の実家にいて息子と密な時間を過ごしていたのに、東京に帰ってきたらひとりになってしまって、心にすごい穴が空いちゃって。

ただ主人が「預けたほうが絶対にいい」と力強く言ってくれたので励まされました。彼は生物系の研究者なんですが、私の性格をよくわかっているので、私と家の中で2人でいるほうが不健康だとか、保育園は同年代に刺激を受けるしいいことがたくさんある、と言っているのでその通りなのかな、って。

今は園のみんなにすごく可愛がられて、構われている姿を見ると、預けてよかったな、と思えるようになりました。お兄ちゃんたちを見ているからなのか、すごく発達が早いんですよ。保育園で兄弟がいる感じが味わえてすごくいいですね。

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■39歳で出産したことのよさも「心に余裕がある」

高齢出産のリスクも理解していますが、今は39歳で出産したことのよさもあると思っています。まず、20代で会社員をしていた頃よりも「遊びたい欲」がないこと。あの頃の私にとって、仕事はお金を稼いでストレスをどんどん積み重ねていくものでしたから。今は好きな仕事に出会えてしまったから、ストレスが全然たまらないんです。

それから心に余裕があること。感情的に怒って爆発した経験がこれまでの人生でありすぎるので(笑)、子どもが泣いたりぐずったりしてもあまりイライラすることがないんです。主人は私よりさらに年上なので、息子が何やっても2人で「かわいいね~」っていう感じです。

やっぱり子どもってすごく面白いじゃないですか。子どもの目線で見ると、全部が新しく見えるんですよ。「そうか、こういう風に世の中って見えてるんだ」って。お母さんでいると、赤ちゃんとその同じ目線になれる。それが楽しいですし、どんどんいろんな場所へ連れて行って、刺激を与えてあげたいなと思っています。

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■2016年はブラジル公演へ 太神楽は海外でも人気

3月には産後初の海外公演でブラジルへ行きました。これは産前から決まっていた仕事なんですが、「10日間も息子と離れて暮らすなんて(涙)」という寂しさで今はいっぱい。息子は実家に預けようかなとも思ったのですが、主人が「俺が見るよ」と言い出したのでこれもいい機会かな、と考えて頑張ってきましたね。

これまでもフランス、タイ、フィリピンなど、年に1~2回は海外公演を行ってきました。太神楽への海外の反応はすごくいいんですよ。スタンディングオベーションを受けるときもあるほど。フランスでやったときは、フランス人が「意味はわからないけど日本語も聞きたい」と言うので最初はフランス語で、次は日本語でと2ヵ国語を交えながら芸をしました。それ以外の国では英語で説明しながら芸をします。

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■「笑いが福をもたらす」太神楽の魅力を翻訳することのむずかしさ

やってみてわかったんですけど、英訳するのってすごく大変。たとえば傘回しで使う「升(ます)」。まずこの升が海外にはないんですよ。だから升とは何かってところから説明した後で、「ます」がふたつで「ますます」を「more and more(もっと、もっと)」といった風に説明していると、全然芸を見せられない(笑)。

太神楽の芸はそういった言葉を掛けあわせていくものがほとんどなので、それをどう的確に海外の人に伝えていくかというのは、今も試行錯誤しています。

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「おめでたい芸を見て福をもらえた」という感覚、日本人ならわかるじゃないですか。アジア圏の人にもそれは通じるんです。でもヨーロッパの人たちには伝わらない。

以前、芸を見たフランス人から「人の幸せを祈ることは教会で静かにすることだ。曲芸はピエロや物乞いの人がやることで、なぜそれが祈りにつながるのかわからない」と言われたんですよ。

それをきっかけに色々考えて、ヨーロッパでやるときは「日本には『笑う門には福来る』という言葉があるんだ。笑えば笑うほどいいことが起きる。だから色々深く考えずに、とにかく私の芸を楽しんで。そうしたらいいことがあるかもしれないよ?」ということを英語かフランス語で最初に話すことにしたんです。そうしたら結構みんな「うんうん」と頷いてくれて。

日本の文化って楽天的なんですよね。笑うこと、楽しむこと、エンターテイメント性が、日本では宗教的なことと近くに結びついている。それってすごく素敵な文化ですよね? そんな太神楽の魅力をこれからももっと世界へ伝えていきたいですね。

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鏡味味千代(かがみ・みちよ)

1976年、山梨県出身。国際基督教大学卒。PR会社員勤務を経て、29歳で太神楽の道を志す。2007年4月、第5期国立大神楽養成所に入る。2010年4月から落語芸術協会にて前座修行を開始。2011年4月、浅草演芸ホールにて高座デビュー。特技は英語、フランス語。2015年5月に長男を出産。ブログ「味千曜日」、Twitter

(取材・文 阿部花恵