公文書を隠蔽すれば「国家が死ぬ」 歴史家・磯田道史さんが危惧する日本政治のおかしさ

「公文書は国家・国民の病状に対するカルテです」――自衛隊PKO日報問題、森友問題などから考える。
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自衛隊の活動を記録した大事な日報を「廃棄した」と言っていたのに、のちにデータが見つかる。国の土地を学校法人へ売却した経緯に関する文書も「廃棄」したと財務省の官僚が繰り返す——。

「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と公文書を定め、きちんと管理するよう求めた公文書管理法が施行されて6年も経つのに、国や政治家の間では、歴史的な記録を大事にしようという機運が未だ広がらない。

かたや外へと目を向ければ、北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、9月3日には6度目の核実験を実施した。非常に不安定な世界情勢の中、日本は今後の将来像を描く必要性を迫られている。

5月に『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(NHK出版新書)を上梓した歴史学者の磯田道史さん(国際日本文化研究センター准教授)は、自身を「古文書にとりつかれた」と表現する。様々な「記録」を読みあさり、権力者から一般の庶民まで、磯田さんはリアルな証拠を元に歴史を現代に浮かび上がらせてきた。

私たちが生きる時代の政治・外交の記録を残すことの大切さや、この国を良くするために日本人が考えるべきことについて、磯田さんに聞いた。

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磯田道史さん
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

——南スーダンにおける自衛隊の国連平和維持活動(PKO)日報問題では、最初は首都で「戦闘」があったと記録した陸自の日報が「廃棄した」とされた後に見つかり、組織的な隠蔽疑惑が指摘されました。「日報」はいわば「戦史」でもあります。国家が歴史を後世に残そうとしていない、と私は感じました。

そうですか。私の新著『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』の取材とは、話が離れますが、大事な問題なので、「日報問題」について、考えてみましょう。

いきなり、話は飛びますが、作家で元東京都知事の猪瀬直樹さんが「戦後の日本というのはディズニーランドに近い」とおっしゃっていたことがあります。

これまでの日本は、アメリカに守ってもらいながら、ある種フィクションの「夢の国」の中で非常に楽しく暮らしてきたという意味だと思います。日本人は、「国家ぐるみのディズニーランド」の「入場料」として、米軍の駐留経費をしっかりはらってきたのです。

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普天間基地
Issei Kato / Reuters

自国で核武装する必要もなく、豊かで、平和。民主主義と、ある程度の平等性が保たれていました。あるいは「そういうことである」というフリをしていた。

原子力発電所が顕著な例ですが、巨大な地震が発生する可能性は考えず、事故も起こらない「ことにする」という前提で政治も社会も進んできました。フィクションの中を生きていたんです。

つまり、戦後日本は「リアル」ではなかった。こんな風に、戦後の繁栄を謳歌したのですが、最近、どうもこのシステムが怪しくなってきた。アメリカが世界の「1強」ではなくなってきました。

そのうえ、テロなど国家の枠では捉えきれない危機が起きている。経済も大きな成長は期待できず、不透明な時代になりました。フィクションの中で生きていけなくなり、「リアル=現実」と向き合わないといけなくなりました。「現実」とはすなわち「歴史」なわけですね。

——そうした現実や歴史の軽視が、南スーダンにおける自衛隊の国連平和維持活動(PKO)日報問題につながるのでしょうか。

先ほどお伝えしたように、戦後の日本はフィクション性の強い国でした。つまり、「○○なことにする」で成り立ってきた。原発は事故が起きないことにする。米軍が日本を守ってくれることにする、と。

一方で、明治の日本はリアリズムの時代でした。政府に相当都合が悪いものでも、できるだけ記録を取ってきましたし、それが残っていれば公表されたり、後年に編纂されたりして、国民の前に政治の記録が提示されてきました。

日本を国家として強くしようするならば、政府にとって都合が悪かろうが、記録を記録として認めるという姿勢が非常に重要です。実に簡単なことですよね。

『孝明天皇紀』『明治天皇紀』という本があります。明治大正期の人が編んだ歴史記録です。とくに明治に編まれた『孝明天皇紀』は権力にとって都合が悪いことでもなんでも原物の史料がきちんと削除されず示されています。さすがは明治のリアリズムです。事実は事実として隠さない。これが明治の精神でした。

今回のPKO日報問題や学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、いささか心配なのが、公文書であるものを「私的メモ」だと軽く言い換えたり、「公文書ではない」と言い張ったり、「確認できない」と繰り返したりしたことです。

それだけならまだしも、公文書のことをひどいことに「怪文書」とまで、わかっていながら、政府がウソをつき始めました。これはいけません。明治人は、ここまで恥ずかしいことはいいませんでした。

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学校法人「加計学園」が獣医学部新設を認められた経緯をめぐる文書について、菅官房長官は「怪文書」としていたが...。
時事通信社

もしPKOの活動地域で、実際に戦闘があったのだったら「戦闘状態があった」と、記録は記録として残さないといけない。「その場しのぎ」ではなく、都合が悪いこともあるけれどもまずは記録をとって残すことが重要です。

戦闘状態があったのなら、現場の兵士はその困難に直面したわけですから、その「リアル」な事実を前提に、きちんと政府・国家が、この事態に向き合わねばならず、議会の野党も言葉尻をとらえて批判するばかりでなく、自衛隊をそのような場所に派遣している状態について国民の代表として責任ある議論をしなければならなかった。

——記録を取っても、公表すれば、野党や世論から批判をされるという不安が政府にあるのでしょう。

政府にとって「都合が悪い」という気持ちはわかりますが、健全ではありません。

一方で、批判する側も、記録に「戦闘」という文字があったからといって、そういう字面だけでPKOの活動や政府を攻撃し、それだけでおしまいというのもよくない。政府や自衛隊を批判する側も、そこはちゃんと考えておかないといけない。現場には生きた兵士がいるわけですから。

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自衛隊・南スーダン派遣施設隊の日報。首都ジュバにおいて「戦闘が生起した模様」と記されていた。
時事通信社

——批判する側の「記録を読み解く」姿勢も大事だと。

そうです。そこが重要だと思います。野党も「ともに国を運営する」という考えのもと、記録を保全し、双方がやっぱり事実にもとづいて話さなければなりません。事実に基づいてPKOの活動を検証し、どこに課題があり、どこを改善できるかを議論し合う。リアリズムの考え方です。

兵士の命と国益を天秤にかけた問題は、事実を直視し、政府も与党も野党も、この国にとって最善の策とは何かを考えなければいけません。

政府は事実を隠ぺいしようとする。野党は「戦闘があったじゃないか。許せない」と言葉尻だけで批判するというのは、まずい。そうすると、政府側は、批判に敏感になって、実質的な「戦闘状態」があったとしても、記録に「戦闘」と書かなくなる可能性がありますから。

「記録」というのは、病状に対する「カルテ」という意識を持っていないといけません。公文書というのは国民にとっての「カルテ」なんです。それは国民の財産で、政府は開示すべきものです。

国民の側も、悪いことが書いてあったとしても、批判するのではなく、政府と一緒に国を良くする「データ」ととらえて、最善の治療法を一緒に考えないといけない。

カルテをなかったことにしたり、隠蔽したり、改ざんすることは、例えば重篤な病気や悪性の病気を「良性です」と改ざんすることです。

そんな風に記録をいい加減に扱えば、国家は死にます。「国家が死ぬ」ということは、国民が死にかねないということです。

「公文書は国家・国民の病状に対するカルテである」という意識は、医者=政府・野党を含めた議会だけでなく、患者=国民の側も持っていないといけないものです。

「自衛隊」「内閣」「与党」とかいうと、自動的に嫌悪心を持つ人もいますが、「医者」だと思えば、見方も変わります。

——ただ、逆もしかりで、「医者」側の意識の変化も必要だと思います。

それは、その通りです。東京都議選の最終日、「やめろ」コールをした聴衆を安倍首相が「こんな人たち」と表現しましたが、これはいけません。国民は患者なんですから。

昭和天皇は「日月私照なし」という言葉を、倫理の眼目においていました。幼少時代に倫理のご進講をうけて、この言葉が一番心に残ったとおっしゃっています。太陽や月のように、くまなく、日本の皆を照らす。これがこの国で上に立つ者の根本精神です。

政府と国民が歴史的な記録をもとにきちんと関係を結べない状態はまずい。しかし、嘆いても仕方がない。未来のためには、この淵源を考えなくてはいけないでしょう。

僕はやはり江戸時代に根ざしているのだと思います。江戸時代は、「治める者」と「治められる者」が分離していた。やはり、ここに問題の根があるように思います。

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都議選最終日に秋葉原駅前で演説する安倍首相(上)と、抗議する人々(2017年7月)
時事通信社

——「お上のなさることだから、政(まつりごと)は知ったことではない」というような、江戸の町人のような感覚ですか。

ええ。日本人は、自分で自分を治める伝統をずっと持っていなかった。この点は江戸期の日本を見たヨーロッパ人が指摘するところです。その後遺症に150年たったいまも悩まされている可能性がある。僕は江戸時代が好きだと思われがちですけれど、江戸時代の今通用しないところは、見習う必要はないと思う。

——悪いところは悪いところでちゃんと見つめなければいけない。

日本は、とっくに、自分で自分を統治する段階に入っている。世界に見事な国家モデルを提起すべき段階に入っている。にも関わらず、政府や自衛隊や警察を「医者」のように見ない国民がいる。

一方で「医者」をやっている本人も、「患者」たる国民に情報開示をしない。「批判してくるから黙っておこう」となる。記録をもとに議論しない。政府や政治家が、平然と嘘をつく。悲しいことです。

「由らしむべし 知らしむべからず」は、いまは健全でないことを自覚すべきです。こうした相互不信が続く以上は、本当の意味での国家ではありません。

批判する側も批判される側も、一緒の姿勢で、「病状があるなら良くしよう」という視点で、カルテたる公文書を見るという姿勢が貫かれないと、日本は良い国家にはならない。それは誰かが言わないといけないことです。でも、日本には健全な「真ん中」がない。すぐ左だ、右だと言い始める。

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Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

――なるほど。

もはや世界は東西冷戦下ではありません。ここまで経済規模も大きく、しっかりした民度を持った国なのだから、ちゃんとした国家にならないといけない。それは日本国内だけではなく、他国に対する責任でもあります。そういう高い視点の歴史哲学的議論が必要だと思います。

こうした問題意識は、戦争を経験した復員軍人、例えば、司馬遼太郎さんなどとも重なります。『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』では、そういうことを書きました。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。――自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

(司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君達へ』より)

「もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、"たのもしい君たち"になっていくのである。

(司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君達へ』より)

戦車隊から生き残って帰った、この司馬さんの言葉は、いまも、我々に生きている言葉だと思います、

磯田道史(いそだみちふみ)1970年、岡山市生まれ。2002年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。専攻は日本近世社会経済史・歴史社会学・日本古文書学。現在、国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』『殿様の通信簿』『日本人の叡智』『龍馬史』『歴史の愉しみ方』『無私の日本人』『天災から日本史を読みなおす』など著書多数。

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『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』はNHK出版から発売中。