安倍晋三首相を国賓級でもてなした米ホワイトハウスの晩餐会で、私が注目したのはオバマ大統領のミシェル夫人がどのデザイナーのイブニングドレスを着るかだった。夫人は国賓の晩餐会で賓客の国出身のデザイナーのドレスを着用することで知られるが、ふだん日本人デザイナーの服を愛用している夫人だけに目が離せなかった。
ゲイの執事長が飾る「有終の美」
4月26日からの安倍首相の訪米を前に、『ワシントン・ポスト』の電子版(4月10日)は「晩餐会でどのような演出が凝らされるか注目しよう」とのタイトルの記事を掲載。この中で注目点として2つを挙げた。
1つは、安倍首相の晩餐会を最後にホワイトハウスを去る、ファーストレディー専属の執事長(ソーシャル・セクレタリー)のジェレミー・バーナード氏(53)だった。執事長はファーストレディーの指示の下、国賓晩餐会の演出(会場設営、テーブルセッティング、進行、食後のエンターテイメントなど)を一手に取り仕切る。
自分がゲイであることを隠さない同氏は同性愛者の権利擁護運動に関わり、オバマ氏が大統領選に立候補した時は募金の責任者を務めた。一時、パリで米大使の上級顧問を務め、2011年3月、その美的センスを見込んだミシェル夫人から執事長就任を打診され、ホワイトハウス入りした。
これまで女性が務めてきたファーストレディーの執事長に男性が就いたのは初めてで、それも自分がゲイであることを隠さない人間だったことに、
「多様性を重んじるオバマ大統領夫妻らしい起用」
と話題になった。
この4年、バーナード氏はミシェル夫人の
「晩餐会は特権階級の催しではなく、米国の多様性と開放性を示すショーウィンドーであるべきで、これを表現してほしい」
との希望を形にしてきた。秋にもたれた晩餐会では、会場を森に見立て、本物の枯れ葉を敷き詰めて招待者をあっと言わせ、春にはテーブルクロスの代わりに花びらをテーブルに隙間なく敷いて感歎を誘った。そのスケール感と色彩の美しい演出は高い評価を受けてきた。
今春、同氏は
「新しい挑戦をしたい」
と辞任を申し出て認められ、安倍首相の晩餐会が最後の仕事となった。
「バーナード氏はどのような演出で有終の美を飾るのか」
と注目が集まったのは当然のことだった。
賓客の国のデザイナーに
ワシントン・ポスト紙がもう1つ注目したのはミシェル夫人のイブニングドレスだった。
オバマ大統領は歴代米大統領の中で外国首脳を国賓で迎えた回数が最も少なく、2009年1月の就任以降、6年で8人しか招待していない。しかし少ない分、賓客の心をくすぐる計算し尽くされた晩餐会を催してきた。ファーストレディーのドレスはその象徴で、その度に夫人は賓客の国のデザイナーにドレスを特注する。
オバマ大統領夫妻が最初に国賓として迎えたのは、2009年11月のインドのマンモハン・シン首相夫妻だった。この時、ミシェル夫人はインド出身の米人デザイナー、ナエム・カーンにドレスを依頼。カーンはインドの生地を使い、3週間かけて仕立てた。金糸を織り込んだ豪華なシルバーのベアトップの細身のイブニングドレスはサリーにも似て、大きな話題を呼んだ。
2011年10月、韓国の李明博大統領夫妻の時は、韓国出身の米人デザイナー、ドーリ・チュンだった。例外はその8カ月前の胡錦濤・中国国家主席の時で、夫人は世界的な英国のデザイナー、アレクサンダー・マックイーンのブランドのドレスを着用した。これといった中国系のデザイナーがいなかったためと見られたが、真紅のドレスで中国国旗と色を合わせた。
安倍首相の晩餐会でミシェル夫人が誰のドレスを着用するかにこれまでに増して注目が集まったのは、ふだんから夫人が日本ブランドを愛用しているからだ。特にコム・デ・ギャルソン(川久保玲)、ジュンヤワタナベ(渡辺淳弥)、ヨウジヤマモト(山本耀司)、サカイ(阿部千登勢)がお気に入りだ。
「もしファーストレディーが荘重な晩餐会で前衛的なコム・デ・ギャルソンのドレスを着たら、『私は新たな生き方を希求する』とのメッセージになる」
と米ファッション・ジャーナリストは指摘した。
ミシェル夫人の心遣い
4月28日の本番で、夫人が選んだのはロサンゼルスで活躍する日本人デザイナー、庄司正氏(67)の豪華な紫色のロンググドレスだった。ちなみにこの日の午後、ミシェル夫人は安倍昭恵夫人とバージニアの小学校を訪れたが、この時のファッションも庄司氏のフローラルレースのドレスだった。1日で2度、同じ日本人デザイナーの服を身にまとうサービスを見せた。
庄司氏は仙台生まれ。高校卒業後上京し、現代美術に魅了され、前衛芸術家の高松次郎氏に師事した。1973年の渡米で立ち寄ったロサンゼルスに魅せられた。ハリウッドのコスチュームデザイナーの下で働きながら服飾デザインを学び、エルトン・ジョン、スティービー・ワンダーなどのステージ衣装を手がけた。1982年、自分のブランドを設立。芸術的要素を盛り込んだ構築的で優雅なデザインが特長で、女優など有名人に多くの顧客を抱える。
国賓晩餐会で賓客の国のデザイナーのドレスをその度特注するのは、世界のファーストレディーでもミシェル夫人だけだ。デザイナーが誰かはニュースを通じてすぐに伝わる。賓客やその国の人々で夫人の心遣いに親近感と敬意を覚えない人はいないだろう。
しかし同時に押さえておかねばならないのは、デザイナーは米国に移住した人たちであることだ。米社会のもつ大いなる機会(チャンス)と開放性の中で才能を開花したことが服を通して示されてもいるのだ。
日本ブランドを愛用するミシェル夫人は約200人の晩餐会の招待客の1人に、デザイナーの阿部千登勢さんをわざわざ日本から招いた。ブランド「サカイ」を展開する阿部さんは「日常の上に成り立つデザイン」をコンセプトにしている。一方のミシェル夫人は自分の趣味と感覚に忠実で、「高価であろうと、安価であろうと、好きなものを着る」という哲学を持っている。夫人が「サカイ」を着るのがよく分かる。
日本づくしの演出
さて最後の仕事となった執事長のバーナード氏は桜のシーズンに重ねて、会場を桜の花で満たした。10人掛けの円卓が会場を埋め、円卓の中央には桜の枝が天井に向けて伸びる。各招待客の前には位置皿とナイフ、フォーク、そして日本の国旗の配色を想像させるように真っ白なナプキンの上に真紅の箸が添えられた。その箸にもサクラが彫られる凝りようだった。
「バーナード氏は会場をサクラで飾った。日本人はサクラの散り際も大切にするが、氏にとっても最後の仕事に相応しいテーマとなった」
と米テレビのコメンテーターは語った。
米国の料理と和食の共演とでもいうべきメニューを招待者は堪能し、終わると会場を移して夜更けまで音楽会を楽しんだ。日本づくしの演出が凝らされた一夜だった。
西川恵
毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、論説委員を経て、今年3月まで専門編集委員。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、本誌連載から生れた『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。本誌連載に加筆した最新刊『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)が発売中。
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(2015年5月14日フォーサイトより転載)