「メルケル後」の「ライバル」を競わせる「閣僚人事」--花田吉隆

メルケル首相は次の4年間を手放すつもりはない。
Open Image Modal
German Chancellor Angela Merkel addresses a news conference at the chancellery in Berlin, Germany, February 27, 2018. REUTERS/Hannibal Hanschke
Hannibal Hanschke / Reuters

「反メルケル急先鋒シュパーンを取り込むか」。これこそが今回の人事の焦点だった。

 ドイツの連立政権は、実はまだ発足していない。3月4日に社会民主党(SPD)党員が連立の是非を判断する。それにもかかわらず、その1週間前の2月25日、アンゲラ・メルケル首相はキリスト教民主同盟(CDU)の閣僚人事を発表した。この人事でイェンス・シュパーン財務次官が、保健相に抜擢されたことがわかった。

若返りの「象徴」

 2月7日、SPDとの連立合意が妥結してから、CDUの党内は批判に荒れた。「メルケル首相はSPDに過度な譲歩をした」「CDUの牙城の財務相を明け渡すとは何事か」「メルケル首相は若手にその座を譲るべきだ」――。かくして、「若返り」が党内の合言葉になった。

 批判派は、2月25日を閣僚人事発表の期限に定め、メルケル首相に迫った。翌26日にはCDU党大会がある。要求が容れられなければ、党大会で連立合意を葬るとのあからさまな脅しである。その若返りの「象徴」がシュパーン次官だった。37歳。CDU保守派のホープ。メルケル首相は、党内で起こった「シュパーン次官を入閣させよ」という要求をのんだのである。

 メルケル首相は待ちの政治家と言われる。じっと党内の動きを読み、流れの行き着く先を見極める。そうやってこの12年間、首相の座を守ってきた。しかし、それは単に待っていただけではない。陰に凄惨な権力闘争があった。この12年間、メルケル首相の前に多くのライバルが現れては首相の座を狙ったが、そのいずれもが消え去った。過去に連邦議会でCDU議員団長を務めたフリードリッヒ・メルツ氏、ローランド・コッホ・ヘッセン州元首相、ノーバート・レットゲン元環境相など、皆、メルケル首相に戦いを挑んだものの敗れて屍となり、消え去った。その数は数えきれない。そういう権力闘争の修羅場を潜り抜けてきたメルケル首相に、今度は弱冠37歳が挑んだ。

 シュパーン次官が頭角を現したのは、2015年の難民危機だった。この危機は、CDUの外に「ドイツのための選択肢」(AfD)を、内にシュパーン次官を「ライバル」として呼び込んでしまった。シュパーン次官はそれ以来、反イスラム、反難民でのし上がってきた。今や押しも押されもしない、次代を担うCDUの星である。

 そのライバル台頭を前に、メルケル首相は決断を迫られた。要求に屈して閣内に取り込むか、あるいは無視するか。結局、メルケル首相は批判派に譲歩した。他でもない、連立合意が人質にとられていたからである。

 さすがのメルケル首相も、ここで連立合意をかけた争いを繰り広げる勇気はない。批判派の要求を容れ、シュパーン次官に閣僚ポストを提供する、これがメルケル首相が下した選択だった。

保健相のポストは「試練の場」

 さて、この人事は何を意味するか。メルケル首相は批判派に抗えないほどその政治力を低下させたのか。2つの視点がある。

 まず、シュパーン次官にあてがわれたのが保健相だったということである。

 CDUが、今回ようやくの思いで取り返した悲願の経済相には、ペーター・アルトマイアー首相府長官が就いた。国防相にはウルズラ・フォン=デア=ライエン氏が留任だ。それらに比べ、保健相はやや影が薄い。しかし、このポストを過小評価するわけにはいかない。

 メルケル首相はかねてから党を、更に左に持っていくと公言していた。意図するところは、弱者の取り込みである。この層を取り込むことにこそ、CDUの生き残りのカギがある、というのである。その意味で保険相は、メルケル首相にとって最重要である。そういうポストを、なぜ反メルケルの急先鋒シュパーン次官に委ねるのか。

 ドイツ有力紙『ツァイト』は、やれるものならやってみろ、という挑戦状だという。シュパーン次官はこれまで難民危機に乗じ、扇動的言動でのし上がってきた。保健相のポストは扇動だけでは務まらない。財政の制約、年金制度の運用、増え続ける高齢者人口の扱いなど、国民の介護、健康、保健制度をどう設計していくか、難問目白押しである。連立相手のSPDにとっても、ここは党の最重要分野であり、シュパーン次官にとり一筋縄ではいかない交渉が待っている。シュパーン次官には高い政治力が必要とされるのだ。

 つまり、保険相ポストは、「扇動家シュパーン」にとり試練の場である。むろん、ここで成功を収めれば、将来の芽も出てこよう。だが、同じく、無邪気に国防相ポストを取りにいったフォン=デア=ライエン氏が、今、その任務の困難さに息も絶え絶えであることを見ると、シュパーン次官もうかうかとはしていられないのだ。

「彼女が希望した」

 もう1つの視点が、アンネーグレット・クランプ=カレンバウアー氏である。彼女の党幹事長起用がシュパーン人事に影響を与えた。

 メルケル首相は、彼女にどこかの閣僚ポストを与えるつもりだったと言われる。けれども、クランプ=カレンバウアー氏は幹事長を希望した。ザールラント州首相のポストを擲(なげう)ってである。「これは自分が考えたことではない。彼女が希望したのだ」とメルケル首相は記者会見で明らかにした。

 彼女が幹事長として党を仕切ることは、メルケル首相としても悪くない。自分の腹心が党に睨みを利かせてくれる。その方がいいに決まっている。この人事を発表した記者会見で、メルケル首相は終始笑顔だった。しかし、なぜわざわざ「彼女が希望した」と言ったのか。

 そこにクランプ=カレンバウアー氏の野心をかぎ取った、というのが『南ドイツ新聞』の見立てだ。

 通常、ドイツで幹事長は首相の「出先機関」とされる。これまでメルケル首相の下、6人の幹事長がいた。いずれもメルケル首相に唯々諾々と従い、「出先」としての任務をそつなくこなした。それにしても、州首相だった人物がなぜ「格下」の幹事長ポストに好んで就くのか。メルケル首相の下でこの新しい幹事長がこれまで同様、「出先機関」に甘んじるとは思えない。しかも、クランプ=カレンバウアー氏は単なる州首相ではない。中央政界に経験はないとはいえ、敗北必死のザールランド州選挙を2度も勝利に導いた。財政再建、難民政策などの実績もある。要は、十分な実績を備えた政治力ある州首相が、彼女なのである。さらにこれから党は、2007年党綱領の改訂に入る。ここで党の基本路線をどう定めるかは、今後のCDUにとり極めて重要だ。つまり、彼女は党を拠点に権力基盤を強化していく可能性があるのだ。

 しかも、クランプ=カレンバウアー氏は単にメルケル首相の言いなりではない。ザールラント州選挙はメルケル首相の反対を押し切って実施された。難民政策もメルケル首相べったりではなかった。権力を狙う者がこの先どう転ぶか、これは誰にもわからない。そのことを熟練の政治家メルケル首相が嗅ぎ付けないわけがない。

 かくて、シュパーン次官を当て馬にした、と『南ドイツ新聞』はいう。人事の要諦は、「次を狙うライバルを競わせること」とは、洋の東西を問わず真理である。クランプ=カレンバウアー氏を独走させるのには、一抹の不安がある。対抗馬をおいておく方がいい。

 2月26日の党大会は、幹事長人事を98.9%、連立合意を97.2%のそれぞれ圧倒的多数で了承した。幹事長人事の98.9%は記録的である。

 ドイツ政治は一気にメルケル後に向け走り出した。しかし、走っているのは2人ではない。3人である。メルケル首相も一緒に走っているのだ。メルケル首相は次の4年間を手放すつもりはない。

花田吉隆 元防衛大学校教授。1977年東京大学法学部卒業。同年外務省入省。在スイス大使館公使、在フランクフルト総領事、在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授などを歴任。

関連記事
(2018年3月1日
より転載)