男は、女を信じていない 結婚してそれがわかった。

イライラしている女性を見ると「きっと大げさに反応してるんだろうな」と考える。
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Couple talking
Jacquie Boyd via Getty Images

「あること」を理解するのに、彼女と付き合っていた約1年、婚約していた8カ月、そして結婚して5カ月もの期間がかかった。この間に、もちろん多くのことを学んだ。彼女はスナギー(着る毛布)とワンジー(つなぎタイプの部屋着)を両方とも持っていて、その2つをよく一緒に着ている。しかし、その「あること」については、最近までわからなかった。

その日、私と妻のパナマはローリング・ストーン誌が取りあげた大学キャンパスでのレイプ事件について話していた。それから、話題はビル・コスビー(過去の性的暴行を、共演者から訴えられている俳優)へと移った。話をしているうちに、こういった種類の話には共通点があると気付いた。

それは「相手を信じているか」だ。いや「信じていないこと」と言った方が正確かもしれない。私たち男性は、女性の言うことを信じていない。母親や教師、もしくは権力の座についている女性でなければ、信じないのだ。では、男性は女性が嘘つきだと思っているのか? そうではない。しかし、全く同じことを女性から言われた場合、男性から言われるよりも信じるのに時間がかかるだろうか? その通りだ。

結婚して5カ月、婚約して8カ月、婚約する前の約1年かかってようやく、妻を信じていないと気付いたのだ。

普通、相手を信用するかどうかは行動に基づく。誰かを信じるというのは、その人が自分を騙したりはしないと信じることだ。盗んだり、うそをついたりしないと信じることだ。もしくは寝ている間に自分を窒息させたりしないとか。この基準では、私は妻を心の底から信じている。大事な物事についての彼女の意見も信用している。すばらしい妻になると信じていたし、とても良い母親になるとも信じている。それに彼女が作るマニコッティ(パスタ)を食べても死んだりしないと信じている。

けれど、信じていないこともある。彼女に関わらず、これまでつきあってきたどの女性でも信じられかった。それは「感情」だ。

妻がイライラしてこちらに歩いてくるのを見た場合、私はまず最初に「一体どうしたの?」と聞く。

そして何があったかを彼女が話す前に、私はこう考える。「きっと大げさに反応してるんだろうな」

それから何があったかを彼女が話した後、こう考える。「なるほど。君の言いたいことはわかったよ。助けになるよ。でも君が腹を立てていることは、本当はそんなに深刻じゃないと思うな」

私はそれを口に出して言うほど馬鹿ではない。しかし、大抵の場合そう考えている。納得のいく説明がない限り、彼女の感情レベルと、その状況にふさわしいと私が考える感情レベルには差がある。彼女が8の反応をする状況を、私は6で十分だと考えているのだ。

これは私の個人的な話だけれど、当てはまるのは私だけではないだろう。「女性の感情はあまり信用できない」という場面は、コメディドラマの72.81%くらい、書籍の31.2%くらい、そして男性が身近な女性について話す時の98.9%くらいを占めている、と推定だが私は思う。要するに、女性はクレイジーで男性はそうでないのだ。大勢の女性はそういった描かれ方に腹を立てているように見えるけれど、それは大抵かわいらしい男女の違いとして描かれる。

皿洗いやゴミ出しに関して言えば、それは間違いではないのかもしれない。しかし、この不信感は他のことにも広がりやすい。話の内容の正当性まで疑う可能性がある。感情を信用していないと、腹を立てる原因になった出来事を、女性は正確に覚えていないのではないかと思いかねない。

それが、何十人もの女性が訴えて初めて、ビル・コスビーが本当は私たちが知っている良い男性ではないかもしれない、と男性が考えるようになった理由だ。ガールフレンドや友達、いとこ、妻、クラスメートがストリート・ハラスメント(路上でのセクハラ)について不満を言っているのを聞いていながら、自分の目で見るまでがそれが深刻な問題だと多くの男性が信じなかった理由だ。実際に証拠動画を見るまで、R.ケリーによって性的暴行を加えられたと主張する女性たちを信じられなかった理由だ。

女性の感情に対する(多くの)男性の典型的見方と、有色人種の人々の感情に対する(多くの)白人の典型的な見方には共通点がある。黒人は人種差別を訴えているが、(多くの)白人はそれを実際に目にするまで信じないと、世論調査や研究が伝えている。白人や社会的地位の高い黒人の話は信用されるが、その他の黒人の個人的な体験や感情は論理的でないとみなされるのだ。

この状況はどうすれば改善できるのだろうか? いや、そもそも改善できるのだろうか? 私にはわからない。女性の感情に対する不信感は根深くあまりに日常的なので、私たち男性がその存在に気付いているのか確信が持てない。けれど私には1つできることがある。次に妻が何かに腹を立てているのを目にしたら、それがそんなに腹立たしいかどうかわからなくても、彼女を信じることだ。それが、5カ月の結婚、8カ月の婚約、その前の約1年間を過ごした私にできるせめてものことなのだ。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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